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【慰安婦】殺害予告を受けても『慰安婦絵本』の出版に唯一協力した日本の出版社[05/01] (108レス)
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<丶`∀´>
2018/05/01(火)16:18
ID:kFSAUb4o(1)
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64: <丶`∀´> [] 2018/05/01(火) 16:18:17 ID:kFSAUb4o 慰安所管理の朝鮮人の日記に「強制連行」「性奴隷」の記述ナシ http://www.zakzak.co.jp/soc/news/180423/soc1804230008-n1.html (抜粋) 朴氏は30年以上に渡り1日も欠かすことなく日記をつけ続けた。安氏により刊行されたのは、 26年分存在する日記のうち、日本軍政下にあったビルマとシンガポールの慰安所の帳場人として 働いた1943年と1944年の2年分である。 朴氏は穏やかで華やかな生活を送り、慰安所の仕事は規則正しかった。一方で、勤務する慰安所や 住むところを変えることも多かった。当時は、戦争の前線を追って多くの商売が成り立っていた。 軍需産業から性産業まで、多様な商行為が各地で行われていたのである。朴氏も、当該2年間だけでも 釜山からビルマのプローム、アキャブ、ラングーン、シンガポールと移動し様々な慰安所に滞在している。 その過程で朴氏は、職場が決まるまでは寝食する場所も定まらない毎日を送ることがあった。 (中略) 朴氏は帝国臣民としての意識を強く持ち、日本帝国に忠誠を尽くした人だった。彼は慰安所を、 国家のために戦う兵士を慰安する、国策の慰安業だと考えていたようだ。命がけで戦地に赴く軍人に とって、性は恥ずかしいものではなく、慰安業とは公的な“セックス産業”であった。やっていることは 売春でも、「遊郭」は単なる女遊びの場所で、「慰安所」は兵士を慰安するところ。実際、日記の中でも 両者は区別されており、自分の仕事にプライドを持っていたと言ってもいいだろう。 朴氏はまた教養のある人で、博物館や映画にも頻繁に出かけている。時には慰安婦たちや仲居などと 一緒に行くこともあった。「慰安婦を連れて市庁前の広場の大詔奉戴記念式に参加した」といった記録も 多く、積極的に行事にも慰安婦と共に参加している。慰安婦が蔑むべき存在であるなら、このようなことを するだろうか。 (中略) 近代以前や、平時より戦時には、売春は醜業ではなかった。今の感覚ではなく、その時代に即した 考え方をしなければならないのは学問の基本である。日記を読む限り、彼女たちが“性奴隷”であったとは 到底考えにくい。 前述した通り、韓国はこの日記をもって「強制連行」の確証を得たと思っている。しかし、この日記には 慰安婦の募集に関する記述が一切ない。残っていない期間の部分で触れているのかもしれないが、私には 慰安所の関係者や慰安婦たちにとって慰安婦の応募の動機や募集の過程が関心事ではなかったのではないかと 思われる。いずれにせよ、この日記ではそうした慰安婦の連行などにはまったく触れられていない。 強制連行につながる言葉すらないのである。 --- (註)『朝鮮出身の帳場人が見た 慰安婦の真実−文化人類学者が読み解く「慰安所日記」』 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1525138124/64
慰安所管理の朝鮮人の日記に強制連行性奴隷の記述ナシ 抜粋 朴氏は年以上に渡り日も欠かすことなく日記をつけ続けた安氏により刊行されたのは 年分存在する日記のうち日本軍政下にあったビルマとシンガポールの慰安所の帳場人として 働いた年と年の年分である 朴氏は穏やかで華やかな生活を送り慰安所の仕事は規則正しかった一方で勤務する慰安所や 住むところを変えることも多かった当時は戦争の前線を追って多くの商売が成り立っていた 軍需産業から性産業まで多様な商行為が各地で行われていたのである朴氏も当該2年間だけでも 釜山からビルマのプロームアキャブラングーンシンガポールと移動し様な慰安所に滞在している その過程で朴氏は職場が決まるまでは寝食する場所も定まらない毎日を送ることがあった 中略 朴氏は帝国臣民としての意識を強く持ち日本帝国に忠誠を尽くした人だった彼は慰安所を 国家のために戦う兵士を慰安する国策の慰安業だと考えていたようだ命がけで戦地に赴く軍人に とって性は恥ずかしいものではなく慰安業とは公的なセックス産業であったやっていることは 売春でも遊郭は単なる女遊びの場所で慰安所は兵士を慰安するところ実際日記の中でも 両者は区別されており自分の仕事にプライドを持っていたと言ってもいいだろう 朴氏はまた教養のある人で博物館や映画にも頻繁に出かけている時には慰安婦たちや仲居などと 一緒に行くこともあった慰安婦を連れて市庁前の広場の大詔奉戴記念式に参加したといった記録も 多く積極的に行事にも慰安婦と共に参加している慰安婦が蔑むべき存在であるならこのようなことを するだろうか 中略 近代以前や平時より戦時には売春は醜業ではなかった今の感覚ではなくその時代に即した 考え方をしなければならないのは学問の基本である日記を読む限り彼女たちが性奴隷であったとは 到底考えにくい 前述した通り韓国はこの日記をもって強制連行の確証を得たと思っているしかしこの日記には 慰安婦の募集に関する記述が一切ない残っていない期間の部分で触れているのかもしれないが私には 慰安所の関係者や慰安婦たちにとって慰安婦の応募の動機や募集の過程が関心事ではなかったのではないかと 思われるいずれにせよこの日記ではそうした慰安婦の連行などにはまったく触れられていない 強制連行につながる言葉すらないのである 註朝鮮出身の帳場人が見た 慰安婦の真実文化人類学者が読み解く慰安所日記
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