[過去ログ] ニダーカフェ本店☆ (781レス)
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697: (ワッチョイ b2c1-1hA/) 2017/12/14(木)11:40 ID:UgkMnsCV0(6/10) AAS
原告側弁護士・馬奈木厳太郎さん
現地検証 勝訴の要因
福島地裁の判決は、非常に評価しています。
特に国の責任を認めた点は大きい。
千葉地裁の判決と差が出た理由の一つは、裁判官が現地検証をしたかどうかだと思っています。
実際に被災地に行かないと、原発事故の規模や被害の大きさは分かりません。
前橋地裁も現地検証しています。
福島地裁判決では、中間指針を上回る損害があることが明確に認められました。
判決は、避難指示区域以外の人たちにも幅広く賠償を認めました。
これまで国と東電は、避難指示区域以外の人たちを被害者としてきちんと扱ってこなかったが、もう通用しない。
また、前橋、千葉の両地裁同様、大津波が襲ってくることを事前に予測できるとした。
「想定外」という国と東電の言い分も、もはや通用しなくなりました。
認められた賠償金額は、決して高くありません。
それは、個別に一人一人の損害を証明しないからです。
この裁判は、原告ではない被害者も、同程度の賠償金を認められるようにするのが目的です。
事故の被害地域の住民全てを救済するのを目指しています。
千葉地裁=不認定 原告会長・遠藤さん
「このまま引き下がれぬ」
「千葉県原発訴訟 原告と家族の会」会長の遠藤行雄さん(84)は、東京都内の借家で妻の公子さん(76)と暮らす。
18世帯45人が原告となった9月の千葉地裁判決は、国の責任を認めなかった。
「このまま引き下がれない。国と東電は事故の責任から逃れられない」と、きっぱり言う。
福島県内の新制中学を卒業後、大工修行を経て、20歳の時に東京の会社に就職。
8年後に自ら不動産会社を立ち上げた。
60歳を前に経営から退き、「安住の地」として福島県富岡町に新居を建てた。
同町に移住後も工事現場の監督などとして働き、千葉県で仕事をしているときに東日本大震災が起きた。
富岡町の自宅は福島第1原発から約8`。
事故発生から5ヵ月後に一時帰宅できた。
家の中はめちゃくちゃでテレビや洋服、着物などが盗まれていた。
「ひどくて涙も出なかった」。
思い出が詰まった家は今年7月に取り壊した。
東電からは、精神的慰謝料が夫婦に1人60万円ずつ支払われただけ。
労災保険の関係などから、住民票を便宜的に千葉県に移していたためだ。
東京都内の原子力損害賠償紛争解決センターで、東電側の弁護士に説明すると
「富岡町に住所がなければ賠償金は払えない。年金をもらっているから生活は大丈夫でしょう」と言われ、怒りがこみ上げたという。
遠藤さんは裁判を決意。
2013年3月、千葉県に避難した被災者らとともに千葉地裁に提訴した。
判決は東電に対し、17世帯42人に計約3億7600万円の支払いを命じ、生活を丸ごと壊されたことに対する「ふるさと喪失」の慰謝料を認めたものの、
国の責任は認めなかった。
心に引っ掛かっているのは、裁判官が現地検証をしなかったことだ。
「ゴーストタウンとなった町並みを自分の目で見てほしかった」と悔しがる。
裁判は4年半に及び、遠藤さんも公子さんも手術を受けるなど体調を崩した時期もあった。
「自分たちの健康や命がもつのかどうか。最終的な判決まで頑張らないと」。
遠藤さんは、自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
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