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【国際】「白旗にソ連航空機が猛爆撃」 ロシアが”解放戦争”とする対日戦の現実…サハリン残留日本人、泣いて断ち切った帰国の思い (411レス)
【国際】「白旗にソ連航空機が猛爆撃」 ロシアが”解放戦争”とする対日戦の現実…サハリン残留日本人、泣いて断ち切った帰国の思い http://daily.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1283428829/
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2: ぽっくりφ ★ [] 2010/09/02(木) 21:00:43 ID:???0 >>1の続き 1946年12月には米ソ協定が結ばれて国の引き揚げ事業が始まったものの、 ここで対象とされたのは日本人と子供のみ。40年代末までに魚住さんは朝鮮人と、 根本さんはロシア人と結婚し、子供も生まれていた。家族と暮らすためには、 帰国の思いを断ち切るしかなかった。 炭鉱労働の募集などでサハリンに渡っていた4万人ともされる朝鮮人も戦後、韓国への帰還の 道は閉ざされた。残留日本人は「お前らはなぜ自分の国に帰らない」とロシア人にいじめられた上、 反日感情を強めた残留朝鮮人との複雑な関係も乗り越えねばならなかった。それでも魚住さんは7人、 根本さんは3人の子供をサハリンで育て上げた。 残留日本人やその子供たちで構成されるサハリン日本人会の白畑正義会長(70)によると、 十数年前には300人ほどいた会員が今では約200人。ソ連解体後に日本や韓国での永住を 選んだ人もいれば亡くなった人もおり、45年9月2日までに生まれた「1世」は95人ほどに減った。 「やはり子供や孫を残して日本に発つことはできない」(根本さん)。1世の多くは80代と高齢になり、 永住帰国は難しい。その代わり、国の集団一時帰国事業で1年半に1度ほど、祖国の土を踏めるのを 楽しみにしているという。 日本の降伏後に攻撃を続けたロシアが、「戦勝」に浮かれていることをどう思うのだろうか。 魚住さんは「戦争に勝った国よりも、負けた日本の方が立派な暮らしぶりだと言ってやる」と切り捨て、 「私たちはここにいても日本人です」と力を込めた。 http://daily.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1283428829/2
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