[過去ログ] 【国際】「『南京大虐殺』はなかった」は翻訳者の無断加筆 ベストセラーの英国人著者が言明★2 (992レス)
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717: おんなは家畜 [おんなは産む機械] 2014/05/10(土)01:06 ID:IiNDn3uF0(1/10) AAS
日本軍の様子
当時を記しなの老人たちの証言
・日本軍の兵士は痩せているものは少なく、どちらかというと小太りのものが多かった。
・日本軍の兵士たちは、ちゃんと品物をお金を出して買ってくれた。
・日本軍の兵士たちは(故郷に残してきた我が子の事を思い出すのか)、子供たちをかわいがってくれた。
・日本軍の若い兵士は、つたないシナ語で村の老人たちに笑顔で話しかけてきた。
省8
718(1): おんなは家畜 [おんなは産む機械] 2014/05/10(土)01:25 ID:IiNDn3uF0(2/10) AAS
黄河決壊事件
外部リンク:ja.wikipedia.org
中国国民党軍が日本軍の進撃を止める目的で起こした黄河の氾濫である。中国では花园口决堤事件と呼ばれる。犠牲者は数十万人に達し、農作物に与えた被害も住民を苦しめた。
国民党軍側では劉峠第一戦区副司令官の「黄河の堤防破壊により洪水を起すことによって日本軍の進撃を阻止」する案が示され、蒋介石の承認を得た。
氾濫は河南省・安徽省・江蘇省にまたがる54,000平方kmの領域に及んだ。
水没範囲は11都市と4000村に及び、3省の農地が農作物ごと破壊され、水死者は100万人、被害者は600万人と言われるが被害の程度については諸説ある。
日本軍の対応
12日午後5時に日本軍の2部隊が堤防修理に出動し、開封治安維持会からも50名以上が自発的に応援に出た。
日本軍は筏船百数十艘を出して住民とともに救助活動を行い、同時に氾濫した水を中牟付近から別の地域に誘導するために堤防と河道を築いた。
国民党軍は現場に近づく日本軍に攻撃を加えたほか、日本軍が住民と共同で行っていた防水作業を妨害した
省4
719: おんなは家畜 [おんなは産む機械] 2014/05/10(土)01:32 ID:IiNDn3uF0(3/10) AAS
>>718のつづき
各国メディアの報道
中国軍は黄河の堤防を破壊してノアの大洪水に勝る大水害を起こそうとしている。
中国の中部地域における70万平方キロメートルの地域が水没の危機に晒され、7千万の住民が大洪水の犠牲となろうとしている。しかし英、米、仏いずれからもこの世界に前例なき人類一大殺害に対し一言たりとも抗議する声を聴かない。
民衆の離反
水害、干ばつ、イナゴの発生、および湯恩伯による重税により、300万人あまりが餓死した。
この状態が続けば河南省は全滅していたが、1943年の冬から1944年の春までの間に日本人が河南の被災地区に入り多くの軍糧を放出して多くの人々の命を救った。
(ウーによれば飢饉の数年間、日本側は各地の食糧倉庫から食糧を放出し、飢えた人々に食糧を調達していた)
河南省の人々は日本軍を支持し、日本軍のために道案内、日本軍側前線に対する後方支援、担架の担ぎ手を引き受けるのみならず、軍隊に入り日本軍による中国軍の武装解除を助けるなどした者の数は数え切れない程だった。
農民は猟銃、青龍刀、鉄の鍬で武装すると、シナ兵士の武器を取りあげはじめ、最後には中隊ごと次々と軍隊の武装を解除させるまでに発展した。
省7
726: おんなは家畜 [おんなは産む機械] 2014/05/10(土)03:06 ID:IiNDn3uF0(4/10) AAS
日本軍が大虐殺したというなら、なんでその後付近に逃げてたシナ人民が南京に入城して人口が増えてるんだよ?
同胞のシナ人を大虐殺したところに集まるのか?
当時から国際都市であった南京には多くの外人プレスがいたにもかかわらず、大虐殺を目撃した者が一人もいないのはなんでだ?
「あそこで日本軍が虐殺してるアル」という通報をもとに、外人記者が駆けつけても多くはガセ情報で何もないということばかり。
反日シナ人のプロパガンダは当時からひどいものがあった。
武器弾薬など、当時南京に行く途中の戦闘でも弾薬を使い尽くし、南京戦でも消費し、その後逃げたシナ軍がまた舞い戻って囲城戦されることにも備える必要があった中で、
原爆死者数を越える大虐殺する弾薬や銃がない。
大虐殺したというのにも関わらず、その死体が現在においても出てこない。
シナが「これこそ大虐殺の死体アル」ということがあるが、日本側の調査には一切応じず。出所不明の、銃創さえあるかどうか分からない死体。どうせシナの戦乱時の死体か、毛沢東による大粛清による死体だろう。
省4
727: おんなは家畜 [おんなは産む機械] 2014/05/10(土)03:17 ID:IiNDn3uF0(5/10) AAS
南京に参加した日本兵が10万人以上いるから大虐殺が可能とキチガイ左翼は言うが、全員がその"大虐殺"とやらに参加できるわけでないから。
中には監視や連絡、記録係の日本兵や、工作班の日本兵もいる。機械類のメンテや整備する兵。衛生兵もいる。
運ぶ食料や武器の担当や主計の者もいる、。そんなのも数に計上してるだろ。
更に南京城内で無く城外にいて、逃げたシナ軍に備えて敵が来ないように配置する部隊もいるし、情報戦用の諜報部員もいる。
南京戦に参加した兵士みんなが、南京内で活動できるわけでないから。
730: おんなは家畜 [おんなは産む機械] 2014/05/10(土)04:07 ID:IiNDn3uF0(6/10) AAS
一番乗りした日本歩兵部隊も、大虐殺など目撃してないしやってない。
それどころか、すでに南京には死体の山があったと証言してる。
シナ軍の空室清野作戦
シナ軍は、南京陥落を前に「空室清野作戦」で、公共物や公邸や私邸などを焼き払った。
日本軍が利用できそうなあらゆる物、あらゆる家、あらゆる施設を破壊し、建物ばかりでなく、樹木・竹やぶ・茂みなどもすっかり焼き払われた。
この損害は、2千万ドル以上にのぼり、これは南京攻略に行われた日本軍の空襲による損害よりも大きく、おそらく占領後の日本軍部隊によって生じた損害にも匹敵する額。
犬飼總一郎(第16師団通信班長)の証言。
「南京に向かう追撃戦で、自分は常に第一線にあって、10月25日の無錫、29日の常州に一番乗りを果たしたが、無錫も常州も中国兵による掠奪の跡歴然たるものをこの目で見た。いかにそれがもの凄いものか、全く想像外であった」
第19旅団長草場辰巳少将の証言。
「隆平県城になだれこんだシナ敗残兵は、まず住民から衣類を奪って便衣となり、次に食糧を奪い、財宝を奪い、明け方を待って逃げ出す算段で、城壁がすでに日本軍によって占領されているのも知らず、
省9
733: おんなは家畜 [おんなは産む機械] 2014/05/10(土)05:00 ID:IiNDn3uF0(7/10) AAS
中国兵の総崩れの様子
シナ城外守備兵が城内へ流れ込み、大混乱となった。城内外の各部隊は数方向に突出を試みた。その一部は長江に向かったが、長江の渡江禁止の守備を厳命されていたシナ兵の部隊が、押し寄せるシナ潰走兵の渡河を認めなかったため、大半が水流に呑み込まれた。
「舟が足りず大混乱の中で河に入り溺死する者数知れず、の惨状を呈した」
また、一部は各街道筋に向かったが、ここでも(シナ守備隊に)阻止され、(シナ兵同士で)同士討ち銃撃戦が始まり死体の山が築かれることになった。
このシナ兵同士の銃撃戦はどの街道でも行われ、その戦死者もかなりの数に上ると思われる。この経過で中国兵による略奪の動きもあった。
ダーディン記者「ニューヨーク・タイムズ」12.18日及び1.9日付けには、「土曜日には中国兵による市内の商店に対する略奪が広がっていた。目的が食糧と物資の獲得にあることは明らかであった」と記載。
一部シナ兵は安全区内を目指した。大勢のシナ兵隊が軍服を脱ぎ始め、民間人の服を盗んだ。「平服」を調達出来なかった兵士は軍服を脱ぎ捨て下着だけになる者も居た。
ダーディン記者「記者が日曜日の夕方、市内を車で廻ったところ、一部隊全員が軍服を脱ぐのを目撃した。多数の兵が安全区委員会の本部を取り巻いて銃を渡しており、門から構内に銃を投げ入れる者さえあった。
安全区の外国人委員たちは投降する兵士を受け入れ、彼等を地区内の建物に収容した」
日本軍が入城したとき、南京の治安その他について交渉しようにもその相手もなく、責任者もおらず、書類さえなく、あるのはただ放火、掠奪のあとの文字通りの廃墟の都市であった。
省1
735: おんなは家畜 [おんなは産む機械] 2014/05/10(土)05:25 ID:IiNDn3uF0(8/10) AAS
南京ではシナ兵同士の殺し合い、略奪・暴行・放火事件があった。
その後、多くのシナ敗残兵が大量に投降してくるに当り、日本軍は多くの捕虜の処置に困りこれを殺害した。食料や収容の余裕が無かった。
しかしこの捕虜といっても、この捕虜兵たちはシナの正規軍の兵士と言うより、抗日ゲリラ兵。いわばアルカイダのようなもの。
このようなテロリスト集団の捕虜兵たちにも、当時のハーグ条約が適応されるのかどうか。今でもダメリカはアルカイダ捕虜など、ニュースにならないところで虐待して殺しまくってるだろ。
もちろん日本軍側も、長期の戦闘で軍規の乱れなどもあり、自暴自棄気味だった日本兵部隊に、中央があわてて憲兵隊を派遣しても治まらなかったことも事実だろう。
しかしそれ以外にもシナの便衣兵は度を越しており、これをやること自体国際法違反。
当時のシナの反日教育は徹底し、おんな子供まで日本軍を発見すると信号弾を上げて、逐次日本軍の進軍の位置を暴露させ、老婆に至るまで手榴弾などの武器を隠し持っていた。
百姓のふりして安心させ、油断した背後から銃で日本兵を撃ち殺す。
こういうことを繰り返してたから、日本軍も堪忍袋の緒が切れ徹底的な便衣兵狩りを行った。その死体の山も相当な数だろう。
平服を着た便衣兵の諸兄は、遠くから見ると民間人の虐殺のように見えて誤解されたことも多かった。
省7
736: おんなは家畜 [おんなは産む機械] 2014/05/10(土)05:29 ID:IiNDn3uF0(9/10) AAS
と、言うところで手打ちしましょーや。
751: おんなは家畜 [おんなは産む機械] 2014/05/10(土)06:48 ID:IiNDn3uF0(10/10) AAS
こういうのもある。もうひとつの南京事件。
朝日新聞との闘い・われらの場合
~都城23連隊の戦史を汚すことは断じて許さぬ~
外部リンク[html]:www.history.gr.jp
「文藝春秋」昭和62(1987)年5月号
アサヒ便所紙の「南京大虐殺」に関する捏造記事を掲載
記事内容「今日逃げ場を失ったチャンコロ(中略)、それぞれ色々な方法で殺して…」
「今日もまたニーヤを(中略)、頭から火をつけてなぶり殺しにする。…」との記事を掲載。
↓
生き残ってた「都城23連隊会」の人々のその後の調査によって、見るも無残に突き崩される。
省14
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