[過去ログ] 【大学】東大が防衛省に協力拒否 機体不具合究明「軍事研究」と、一方教授は個人で参加 [2014/07/06] ★3 (320レス)
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4: 名無しさん@0新周年@転載は禁止 2014/07/06(日)18:02 ID:3QHhQVcZ0(1/2) AAS
★ 東大が日本を戦争に導いた主犯

麻生 久  戦前の無産政党・社会大衆党の党首

1913年東京帝国大学仏法科に入学。
学生時代はトルストイ、ツルゲーネフなどロシア文学に熱中し、これがロシア革命に関心を寄せる契機となった。
また女性関係も派手であったといわれている。
東大卒業後の1917年、東京日日新聞(現・毎日新聞)に入社。
翌1918年には東日紙上に「ピーターからレーニンまで」を連載しロシア革命を支持した。
また同年には吉野作造らとともに大正デモクラシーの啓蒙組織である「黎明会」を立ち上げ、
新渡戸稲造・大山郁夫・小泉信三・与謝野晶子ら錚々たる知識人・文化人を参加させた。
また東大新人会にも先輩グループとして参加している。
東大新人会は吉野作造の指導のもとに麻生久・宮崎龍介らがつくった思想運動体で、そこに大宅壮一がいた。

1932年、全国労農大衆党は社会民衆党と合併して社会大衆党となり、麻生は書記長に就任した(委員長は安部磯雄)。
この頃から、軍部の「革新派」と連携することで社会主義勢力の拡大を企図するようになり、
1934年陸軍省が「国防の本義と其強化の提唱」なるパンフレットを発行すると、
これを「軍部の社会主義的傾向の表現」として高く評価する声明を出した。
以後、親軍派で国家社会主義の信奉者でもあった亀井貫一郎とともに社大党の全体主義化を推進してゆく。

第2次近衛内閣においては新体制準備委員会委員となる。
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