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名無しさん@0新周年
2014/07/17(木)00:33
ID:280/Zkot0(5/6)
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389: 名無しさん@0新周年 [] 2014/07/17(木) 00:33:39.89 ID:280/Zkot0 藤子・F・不二雄 子どもの世界を描き、その中で「ほんとうの子ども」を活躍させるためには、 かつて自分が子どもだった頃をふりかえって、その姿を自分の主人公に投影しながら描いていきます。 じつは、意外とこれが、むずかしいことなのです。 人間は成長していくにつれて、自分の視点が少しずつ高くなってきていることに、なかなか気づきません。 小さい頃と今とでは、いつのまにか視点が違ってしまっている。 自分は、まぎれもない子どもを描いているつもりでも、ひどいときにはそれが子どもの姿をしたおとなであったり、 おとなが外から観察し概念的にとらえた子どもであったり。そういう危険性が、往々にしてあります。 ジェネレーションギャップというのも、そういうところから生じてくるのだ、と思います。 以前、電車の中で女子中学生と思われるグループが、興奮して話し合っていました。 話の内容から察すると、どうもその子たちは中学二年生らしく、さかんに嘆いているのは、「近ごろの一年生どもは……」ということでした。 わずか一年の間に、これだけのズレができてしまうのです。 ですから、自分がまぎれもない子どもだった頃の姿を、修飾したり歪曲したりすることなく、一所懸命探ろうと努力することがたいせつだ、と思うのです。 ぼく自身の経験から、意外と簡単で有効だった手が、ひとつあります。 ぼくは子どもが三人おりまして──今は、みな大きくなりましたが──ほどほどの理解力がついた頃から小学校にあがるまでの間、 ごく幼い童話から高学年程度の児童文学と呼ばれるものまで、いろいろな本を読んでやりました。 これらを読んでいて、思い当たることや、なるほどと思うこと。身につまされることや、かつて自分が子どもだった頃をあらためて思い知らされることが、ちょくちょくありました。 そもそも文学というものは、人間を追求し、人間を描くことを目的とします。 ですから、すぐれた文学を読めば、ファーブルが昆虫を冷静に観察しその生態を描いたように、 非常にいきいきとした本当の子どもの姿が描かれております。 ぼくらが子どものときに読んで、とても感激した「トムソーヤの冒険」などは、いまだに多くの人に読まれています。 百年ほど前の作品ですが、しかし、あらためて読んでみると、今の子どもたちに重なる部分が、とても多いのです。 古い作品であっても、名作と呼ばれるものの中には、おとなが読んでも面白い要素が無数にあります。 そういうものを読み取っていくことが、自分のまんがに本当の子どもを投影させていくうえで、ひとつの有効な手段ではないか、と思います。 ぼくも今まで、そんなふうにしてまんがをかいてきました。子どものために本を読んでやったという体験は、 じつは自分のためにとてもプラスになった、と考えています。 http://peace.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1405520742/389
藤子不二雄 子どもの世界を描きその中でほんとうの子どもを活躍させるためには かつて自分が子どもだった頃をふりかえってその姿を自分の主人公に投影しながら描いていきます じつは意外とこれがむずかしいことなのです 人間は成長していくにつれて自分の視点が少しずつ高くなってきていることになかなか気づきません 小さい頃と今とではいつのまにか視点が違ってしまっている 自分はまぎれもない子どもを描いているつもりでもひどいときにはそれが子どもの姿をしたおとなであったり おとなが外から観察し概念的にとらえた子どもであったりそういう危険性が往にしてあります ジェネレーションギャップというのもそういうところから生じてくるのだと思います 以前電車の中で女子中学生と思われるグループが興奮して話し合っていました 話の内容から察するとどうもその子たちは中学二年生らしくさかんに嘆いているのは近ごろの一年生どもはということでした わずか一年の間にこれだけのズレができてしまうのです ですから自分がまぎれもない子どもだった頃の姿を修飾したり歪曲したりすることなく一所懸命探ろうと努力することがたいせつだと思うのです ぼく自身の経験から意外と簡単で有効だった手がひとつあります ぼくは子どもが三人おりまして今はみな大きくなりましたがほどほどの理解力がついた頃から小学校にあがるまでの間 ごく幼い童話から高学年程度の児童文学と呼ばれるものまでいろいろな本を読んでやりました これらを読んでいて思い当たることやなるほどと思うこと身につまされることやかつて自分が子どもだった頃をあらためて思い知らされることがちょくちょくありました そもそも文学というものは人間を追求し人間を描くことを目的とします ですからすぐれた文学を読めばファーブルが昆虫を冷静に観察しその生態を描いたように 非常にいきいきとした本当の子どもの姿が描かれております ぼくらが子どものときに読んでとても感激したトムソーヤの冒険などはいまだに多くの人に読まれています 百年ほど前の作品ですがしかしあらためて読んでみると今の子どもたちに重なる部分がとても多いのです 古い作品であっても名作と呼ばれるものの中にはおとなが読んでも面白い要素が無数にあります そういうものを読み取っていくことが自分のまんがに本当の子どもを投影させていくうえでひとつの有効な手段ではないかと思います ぼくも今までそんなふうにしてまんがをかいてきました子どものために本を読んでやったという体験は じつは自分のためにとてもプラスになったと考えています
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