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【ロヒンギャ問題】バングラデシュにロヒンギャ難民29万人流入=飢える子、泣き崩れる母 ★2 [無断転載禁止]©2ch.net (362レス)
【ロヒンギャ問題】バングラデシュにロヒンギャ難民29万人流入=飢える子、泣き崩れる母 ★2 [無断転載禁止]©2ch.net http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1505061297/
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360: 名無しさん@1周年 [] 2017/09/15(金) 14:45:48.17 ID:CYO7hhsY0 >>353 ジアウル・ラフマン政権 その後、軍部からジアウル・ラフマン(英語版)少将が大統領となった。 1979年以降バングラデシュ政府の政策によってベンガル人がチッタゴン丘陵地帯に大量に入植するようになり、チッタゴン丘陵地帯におけるジュマとベンガル人の人口比はほぼ1対1となった。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%87%E3%82%B7%E3%83%A5#.E6.B0.91.E4.B8.BB.E5.8C.96 チッタゴン丘陵地帯 バングラデシュが1971年に独立すると、1972年に先住民族(ジュマ)はチッタゴン丘陵人民連帯連合協会(英語版) (PCJSS) という政党を作り独立運動を開始し、翌年からバングラデシュ陸軍(英語版)との戦闘状態に入った。 1977年、民族の自決権を求めるシャンティ・バヒーニー(英語版)とバングラデシュ陸軍(英語版)との間でチッタゴン丘陵地帯紛争(英語版)(1977年-1997年)が勃発。 紛争から避難した人々が、主にインドトリプラ州に大量に流出した。また、約1万人がミゾラム州、そして数千人(のマルマ族)がミャンマーに逃れた。 1979年、バングラデシュ政府のベンガル化政策によって、チッタゴン丘陵地帯にベンガル人が大量入植した結果、チッタゴン丘陵地帯におけるジュマとベンガル人の人口比は1990年代初頭にはほぼ1対1となった。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%B4%E3%83%B3%E4%B8%98%E9%99%B5%E5%9C%B0%E5%B8%AF チッタゴン丘陵はラカイン州の上にある http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1505061297/360
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