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【宮城】大川小訴訟 4且26日高裁判決 遺族、和解選ばず「判決 学校防災の礎に」 (1002レス)
【宮城】大川小訴訟 4且26日高裁判決 遺族、和解選ばず「判決 学校防災の礎に」 http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1517375605/
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687: 名無しさん@1周年 [] 2018/02/03(土) 19:37:32.10 ID:kvSbnyZV0 日露戦争前の青森歩兵第5連隊の雪中行軍遭難事件を題材にした映画「八甲田山」 では、雪中行軍隊の指揮官に任じられていた中隊長 神田大尉(史実では神成大尉) が猛吹雪に遭遇して進退に迷った時、参観者として随行していた山田大隊長(史実 では山口少佐)に指揮権を奪われてしまい、帰隊を言い出すことができなくなる場面 があった。 神田大尉は士官学校卒ではなく兵卒から叩き上げた苦労人の特進将校だったがゆえに 「この場の指揮官は自分である」と強く主張できない人間関係だったという描かれ方 だったと思う。実際、大隊長は上官でもあるわけだし、無理からぬと思う。 翻って大川小学校の場合を考えてみると、校長が有給休暇を取得して不在だったため、 指揮命令権の代行順位1位の教頭が最高責任者で、代行順位2位の教務主任(生存教諭) がそれを補佐する立場にあった。 教務主任は、地震の直後「山だ、山だ、山に逃げろ!」と叫んで「津波てんでんこ」的 避難を考えていたことがわかる。(その声に応じて裏山に逃げようとした児童たちは、 別の教員に呼び戻されてしまった) 教頭は、避難所としての小学校に避難してきた住民の代表格である「区長」(町内会長) に「裏山に登らせてくれないか」と懇願したが、言い争いになって断られてしまっていた という証言がある。 学校管理下の児童の安全に責任があり、待機していたスクールバスに指示を出すべき責任 もあった指揮命令権代行順位1位の教頭と2位の教務主任の両方が「裏山に避難すべき派」 だったにもかかわらず、裏山へ避難する命令を下せなかったのは、教頭に最高責任者として の自覚が欠けていたと言うしかない。 だから、上官でも何でもなく、近隣住民の一人に過ぎない民間人の「区長」老人に懇願して 断られるなどという醜態を晒したあげく、津波の迫る河川に向かって行軍するはめになって しまったのだ。生存した教務主任もその場ではNo.2だったのだから、もっと強く裏山避難を 主張すべきだった。 http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1517375605/687
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