[過去ログ] 【日韓】DHC会長の発言「日本には驚くほどの数の在日がいる 似非日本人はいらない。母国に帰れ」に反響集まる★13 (1002レス)
上下前次1-新
抽出解除 必死チェッカー(本家) (べ) レス栞 あぼーん
このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています。
次スレ検索 歴削→次スレ 栞削→次スレ 過去ログメニュー
458: 名無しさん@1周年 2018/03/03(土)07:59 ID:fP68Z11Z0(1/36) AAS
なぜ日本会議が明治や大日本帝国憲法にこだわるかは理由がある。
大日本帝国は、列島と半島からなる多民族国家だった。
朝鮮の李王家は大日本帝国では王公族となり皇室とほぼ同じ権利義務を得た。
殖民地の王が宗主国の皇帝とほぼ同じ権利義務とかありえない話だ。
実は、大日本帝国はオーストリア・ハンガリー二重帝国のような
日本朝鮮二重帝国が正体。
あと開戦時と終戦時の外相は朝鮮帰化人。
今は靖国に合祀された戦犯の東郷茂徳は朴茂徳でした。
萩原延寿『東郷茂徳 伝記と解説』から
東郷の故郷の苗代川は、上述の歴史的経緯をもった陶工人の村で、ほとんどが朝鮮姓でした。
省5
465: 名無しさん@1周年 2018/03/03(土)08:00 ID:fP68Z11Z0(2/36) AAS
長州や薩摩の維新の志士は帰化人。
天皇を利用した維新の真実はこうだ。
関ヶ原で負けた長州は対馬を通じて朝鮮との密貿易で藩を維持した。
外部リンク[pdf]:www.lib.kobe-u.ac.jp
同様に、薩摩は琉球を通じててチャイナ及び朝鮮と密貿易していた。
外部リンク[html]:www.shuseikan.jp
このため、薩摩藩の藩校では年に2回
朝鮮語のスピーチ大会が行われていた。
外部リンク[php]:www.toyo-keizai.co.jp
そして、
省22
469: 名無しさん@1周年 2018/03/03(土)08:01 ID:fP68Z11Z0(3/36) AAS
実は明治維新は征韓論、朝鮮併合、満州建国、開戦と繋がっていた。
それは、明治維新を起こした薩長の下級武士は建州の女真(女直)系帰化人だったからだ。
彼らは、日本人を犠牲にして北部中国、半島、日本にまたがる大高麗または大韓の復活を一貫して目指した。
そして、今も薩長支配は復活しつつある。麻生は大久保利通子孫。安倍は、岸の子孫。
彼らは統一朝鮮のTPP加盟や
集団的自衛権での朝鮮戦争介入や
日韓トンネルで大高麗復活を目指している。
476: 名無しさん@1周年 2018/03/03(土)08:02 ID:fP68Z11Z0(4/36) AAS
薩長の上級武士子孫っていないだろw
薩長の家老子孫とかテレビや雑誌で見たことあるか?
なぜか賊軍はあるだろw
実は、薩摩長州肥前の上級武士つまり日本人武士は網走で死ぬ迄、強制労働で全滅w
開拓初期の北海道では鉄道敷設に囚人を使った。枕木一本に一人埋まっていると言われた路線もある。
明治政府を去った江藤新平らが佐賀の乱(1874年明治7年)を起こし、神風連の乱、秋月の乱、萩の乱と士族の反乱が相次ぎました。
省4
480: 名無しさん@1周年 2018/03/03(土)08:02 ID:fP68Z11Z0(5/36) AAS
文鮮明は、韓国版の著作では西郷隆盛や吉田松陰も朝鮮人と言っている。
日本語版では削除されている。
岸や笹川と懇意だった文鮮明がこういうということは岸や笹川もそう思っていたのではないか?
実はアホウヨもそうだろう。
統一教会に近い安倍も、そうだろう。
これが統一教会と明治維新の連結点だ。
省8
485: 名無しさん@1周年 2018/03/03(土)08:03 ID:fP68Z11Z0(6/36) AAS
旧統一教会幹部ご一行を“歓迎”した菅官房長官、高村副総裁らの思惑
旧統一教会(世界平和統一家庭連合)が全世界に配信したネット番組の内容が波紋を呼んでいる。
同会の幹部が菅義偉官房長官から首相官邸に招待されたり、自民党本部で高村正彦副総裁ら幹部と面会したりと大歓迎を受けたと発言したのだ。
これらの発言は同会所有の放送局「PeaceTV」が5月19日、韓国で放送した「天地人真の父母様主管 韓・日・米 希望前進大会 勝利特別報告会」という番組内で飛び出した。
番組は同会の金起勲(キムギフン)北米大陸会長らが信者に向け、活動報告をしている様子を韓国から生中継したもので、以下の発言があった。
省7
493: 名無しさん@1周年 2018/03/03(土)08:04 ID:fP68Z11Z0(7/36) AAS
「大内者本来非日本人、蒙古国者也、或又高麗人云々」(大乗院寺社雑事記)
現代訳:長州人(大内者)は日本人ではない、モンゴル人か朝鮮人だ!
応仁の乱で大内政弘が京都を荒らしてた頃から、
「長州人=朝鮮人」と批判されてたわけで、
反「薩長史観」は今に始まったことじゃない。
半島渡来系の長州人を美化する「薩長史観」が狂ってるんだよ。
504: 名無しさん@1周年 2018/03/03(土)08:05 ID:fP68Z11Z0(8/36) AAS
安倍も朝鮮系帰化人。
鹿児島の朝鮮系帰化人の窯元である14代沈壽官に渡した佐藤栄作の揮毫という物的証拠がある。
以下は、2006年の韓国の雑誌から翻訳。
「佐藤さんの言うことは驚くべきことでした。私に'あなたは日本へ来てからどれくらいになりました か'と問うので、400年近くなったと言ったら、'私たちの家門はその後に渡って来た家'というのです。
半島のどの故郷からいつ来たかは詳らかに分からないが、自分の先祖が朝鮮から渡って来て山口に定着した、という話だったです。」
14代沈壽官は佐藤元総理が自分の家に密かに伝えられて来たこのような来歴を明らかにし、その席で書いてくれた揮毫を30年以上まさに彼と会った部屋に今でもかけている。
省3
511: 名無しさん@1周年 2018/03/03(土)08:06 ID:fP68Z11Z0(9/36) AAS
>>500
帰化人一族である岸家の真実とは?
岸家と佐藤家にまつわる余談の挿話だが、「郷里田布施の選挙戦のとき佐藤派はなんとかして岸信介にケチをつけたいと頭をひねった。
思いついたのが、土地に古くから言い伝えられていた“ガン”の故事である。もともと岸家は悪代官の家系ではないか、とだれかが言い始めた。
というのは、毛利元就が陶晴賢と厳島沖で戦って大勝を収めた際、寝返って毛利方についた船の調達人が“ガン”と称する帰化人であったという。
周防長門を手中におさめた毛利公は、その功績によって“ガン”を田布施周辺の代官に召し立てた。
省7
519: 名無しさん@1周年 2018/03/03(土)08:07 ID:fP68Z11Z0(10/36) AAS
>>500
今は靖国に合祀された戦犯の東郷茂徳は朴茂徳でした。
萩原延寿『東郷茂徳 伝記と解説』から
東郷の故郷の苗代川は、上述の歴史的経緯をもった陶工人の村で、ほとんどが朝鮮姓でした。
彼らは気位が高く、薩摩藩では士族と同等の扱いを受けていたと考えていました。ところが、明治5年の壬申戸籍作成の際に、彼らは平民身分とされてしまいました。
これに対して「士族編入之願」を繰り返し願い出ましたが、すべて却下されました。何とか士族になろうとして、
没落士族から「士族株」を購入して戸籍を変え、「士族」身分と記載されるようになった、という経緯でした。
省2
522(1): 名無しさん@1周年 2018/03/03(土)08:08 ID:fP68Z11Z0(11/36) AAS
>>500
未だに賠償ビジネスで慰安婦を喧伝しているのは薩摩帰化人の戦犯の東郷茂徳の孫の東郷和彦。
国費謝罪を主張し安倍の償い金10億円謝罪のベースになった。
東郷重徳の双子の孫の東郷和彦は、外務省に入り、慰安婦問題を担当し条約局長までなった。2001年、
在オランダ日本国全権大使になり、2009年オランダ、ライデン大学で博士号取得。
なんと、東郷が赴任中のオランダでは、2007年にはオランダ下院慰安婦問題謝罪要求決議が決議された。
現在では大学教授となり、「慰安婦問題解決の第一歩は政府予算による償い金」という主張をしている。
外部リンク:www.amazon.co.jp歴史認識を問い直す-靖国、慰安婦、領土問題-角川oneテーマ21-東郷-和彦/dp/404110453X
533(1): 名無しさん@1周年 2018/03/03(土)08:09 ID:fP68Z11Z0(12/36) AAS
>>520
財務省の森友書類の改竄隠しだよ。
565: 名無しさん@1周年 2018/03/03(土)08:13 ID:fP68Z11Z0(13/36) AAS
>>544
そう。こちらを盛り上げてる。
574: 名無しさん@1周年 2018/03/03(土)08:14 ID:fP68Z11Z0(14/36) AAS
>>564
大戦中も安倍の祖父である岸はグルー米国大使とゴルフをし、戦後はCIAのエージェントになっていた。
下記は「CIA秘録」で公知だよ。知らんの?
噂・伝聞一切なし。機密解除文書5万点を使って書かれた
諜報機関を20年以上にわたって取材した調査報道記者が、その誕生から今日までのCIAの姿を全て情報源を明らかにして描いた衝撃の書
外部リンク:books.bunshun.jp
1 日米開戦後の1942年、岸は軟禁中の米国大使、ジョセフ・グルーをゴルフに招いた(聖戦中に岸はなんと、敵性スポーツのゴルフをしていた。それも鬼畜の大使と!)。
二人はそれ以来、友人になった。岸が戦後、巣鴨から釈放されたとき、
グルーはCIAのフロント組織、「自由ヨーロッバ国民委員会」の初代委員長だった。
省17
607: 名無しさん@1周年 2018/03/03(土)08:18 ID:fP68Z11Z0(15/36) AAS
なぜ日本会議が明治や大日本帝国憲法にこだわるかは理由がある。
大日本帝国は、列島と半島からなる多民族国家だった。
朝鮮の李王家は大日本帝国では王公族となり皇室とほぼ同じ権利義務を得た。
殖民地の王が宗主国の皇帝とほぼ同じ権利義務とかありえない話だ。
実は、大日本帝国はオーストリア・ハンガリー二重帝国のような
日本朝鮮二重帝国が正体。
あと開戦時と終戦時の外相は朝鮮帰化人。
今は靖国に合祀された戦犯の東郷茂徳は朴茂徳でした。
萩原延寿『東郷茂徳 伝記と解説』から
東郷の故郷の苗代川は、上述の歴史的経緯をもった陶工人の村で、ほとんどが朝鮮姓でした。
省6
614: 名無しさん@1周年 2018/03/03(土)08:19 ID:fP68Z11Z0(16/36) AAS
薩摩藩に朝鮮通詞が存在し、活動していたことはあまり知られていない。
朝鮮通詞の制度は朝鮮との貿易を幕府から許可された対馬藩以外にみられないと思われていたからであり、薩摩藩に朝鮮通詞が存在していたことは驚くことであるが、
意外にも薩摩藩朝鮮通詞はその職制や役料、漂着朝鮮船への派遣など制度として確立していたといえるのである。
朝鮮通詞という職掌自体、苗代川という地域に付随した職能集団から派生し、ある一人の人物の熱意が朝鮮通詞という職を興し、
それを受け継ぐ形で指南家ともいえる家柄が生まれた。それは朝鮮通詞の系譜とも呼べる李家の努力によるもので、
その功なって苗代川の朝鮮語は維持され、同時に藩も漂流民救助の必要から朝鮮通詞の確保の目的に合致した結果、
朝鮮通詞の養成や継承が藩の全面的支援のもとでなされた。そのため、李家の継承者が代々通詞を務めたことで歴代通詞と呼ばれ、世襲的な通詞制度が堅持された。
朝鮮通詞の役割は通訳という補助的職務であるようにみえるが、貿易や漂流民救助において重要な職掌であったことはいうまでもない。
頻繁に往来する唐船とは違い、極めて稀に漂着する朝鮮船を対象とするものではあったが唐通事同様に朝鮮通詞への藩の命令系統や対応する諸役、
省5
622(1): 名無しさん@1周年 2018/03/03(土)08:20 ID:fP68Z11Z0(17/36) AAS
外務省に代々巣食う薩摩の朝鮮系帰化人の東郷一族7つの大罪。
・東郷重徳は、回答期限は付いておらず、「暫定」「交渉基盤」とある単なる強い調子の交渉文であったハル・ノートを「最後通牒」であると偽りの上奏を行った。これを受けた御前会議の決定によって太平洋戦争開戦決定となった。
・東郷重徳は、陛下宛のルーズベルト親電を握り潰し開戦になった。宣戦布告も遅れ日本が騙し討ちしたことになった。
・東郷重徳は、小磯国昭内閣で重光葵外相が進めたスウェーデンを仲介者とする和平工作を打ち切ち切った。
・仮想敵国で対日参戦を伺っているソ連を和平仲介に選び、ポツダム宣言発表後もソ連仲介の和平に固執し続けた。
省5
628: 名無しさん@1周年 2018/03/03(土)08:20 ID:fP68Z11Z0(18/36) AAS
大山格之助【大山綱良】薩長同盟に調印した薩摩藩士
大山格之助(大山綱良、大山正圓、大山角右衛門)は、1825年に薩摩藩士・樺山善助の次男として鹿児島城下
高麗町
にて生まれた。幼名は大山熊次郎。 母は山下氏の娘。
631: 名無しさん@1周年 2018/03/03(土)08:21 ID:fP68Z11Z0(19/36) AAS
薩摩の帰化人沈寿官のはなし
慶長三年(1598年)、豊臣秀吉の二度目の朝鮮出征(慶長の役)の帰国の際に連行された多くの朝鮮人技術者の中に、初代 沈 当吉はいた。
沈家は、慶尚北道青松に本貫を置き、その一族は李朝四代世宗大王の昭憲王后を始め、領議政(国務総理)九人、左議政、右議政(副総理)、四人等を出した名門である。
薩摩の勇将島津義弘によって連行された朝鮮人技術者達(製陶、樟脳製造、養蜂、土木測量、医学、刺繍、瓦製造、木綿栽培等)は、見知らぬ薩摩(現在の鹿児島)の地で、祖国を偲びながら、その技術を活きる糧として生きていかねばならなかった。
陶工達は、陶器の原料を薩摩の山野に求め、やがて薩摩の国名を冠した美しい焼物「薩摩焼」を造り出したのである。それらの焼物は、薩摩産出の土を用い、薩摩土着の人々の暮らしのために作られた地産地消のものであり、それらを『国焼』(くにやき)と呼ぶ。
省4
645: 名無しさん@1周年 2018/03/03(土)08:24 ID:fP68Z11Z0(20/36) AAS
李家氏とは、その変わった名字から察せられるように、朝鮮系の渡来人が祖である。豊臣秀吉の朝鮮侵略のとき、全羅北道の南原城(ナモンソン)攻防戦において、
城を死守した全羅道兵馬節度使忠壮公、李福男の末子慶甫(のち元宥)が毛利軍に捕らえれて長州萩に連れてこられた。この元宥が李家氏の祖である。
『萩藩諸家系譜』によれば、李家氏は李氏朝鮮王族の支族という家柄の高さにより、寄組500石の家格で遇され、典医、侍医として藩主に仕えた。
前原・山県らから書簡を受け取ったのは、十代目の当主、李家文厚である。文厚も御典医で、馬関戦争では野戦病院長となり、四境戦争でも従軍医として活躍した。
とくに高杉晋作が重篤に陥ったとき、藩主からの見舞医としてその最期を看取ったといわれる。
そのような経歴から、名だたる長州藩士たちとの交流があったのだろう。書簡の内容も病気の相談事などが多い。
なかでも面白かったのは、前原一誠のある書簡である。前原は文厚に悩みを打ち明けたり、北越戦争の苦戦の様子を報告したりと、単に医師と患者という関係を超えて親交があったようだ。
それでも、やはり病気の話が面白い。前原は湿疹系の病気が多かったらしい。たとえば、
「面部一面ニ発疹、格別粒立候様ニも無之候共、極而痩而御座候、脊之辺へも少々吹出し候様ニ御座候」
省11
上下前次1-新書関写板覧索設栞歴
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ AAサムネイル
ぬこの手 ぬこTOP 0.033s