[過去ログ] 【神社本庁激震!】“こんぴらさん”が離脱、「本庁は天皇陛下に不敬極まる」 ★2 [靄々★] (1002レス)
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605: 不要不急の名無しさん 2020/06/14(日)21:30 ID:Hb6wr5910(2/6) AAS
二拝二拍手一拝が定着するまでの経緯
「二礼二拍手一礼」は、厳密には「二拝二拍手一拝」もしくは「再拝二拍手一拝」というのですが、
この「二拝二拍手一拝」という拝礼方法が標準的な作法とされるまでには、実はかなりの紆余曲折がありました。

というのも、明治8年に編まれた「神社祭式」にただ一言記された「再拝拍手」という言葉だけでは、具体的にどのような作法をすればよいのか、当の神職達も明確には判断ができなかったからです。

かなり専門的な話になってしまいますが、以下に、「二拝二拍手一拝」が標準的な作法とされるまでの、その紆余曲折の歴史をザッとまとめさせて頂きます。

「神社祭式」に記された「再拝拍手」とは、一拝して祝詞を奏上してから再拝拍手なのか、それとも祝詞奏上の前後に再拝拍手なのか、
明治8年に「神社祭式」が制定された当時はその当たり明確ではなく、また、当時内務卿であった伊藤博文は「一揖、再拝、二拍手、一揖」が正式な作法と言っていたことからも、とりあえずこの時点で二拍手が定着していたのは間違いない様なのですが(拍手が2回とされた理由は前述の様に両段再拝が基になっているためです)、
現行の「二拝二拍手一拝」のうちの最後の拝はまだ定着していませんでした。

ところが、明治15年に創立された皇典講究所の祭式の講義では、「再拝、祝詞奏上、再拝、二拍手、一拝」という作法が指導されていたそうで、
同所で祭式教授の様子を見聞きしていた木野戸勝隆氏の著した「祭式摘要」にも「再拝、祝詞奏上、再拝、二拍手、一拝」と記されていることから、「二拝二拍手一拝」の最後の拝は、皇典講究所の祭式の講義で指導されたのが初めてであったと考えられます。

山梨の甲斐奈神社の高原光啓権禰宜が「神社新報」の昨年5月1日号に寄稿された「再拝拍手覚書」というタイトルの記事によると、高原権禰宜は皇典講究所が最後の一拝を指導

した理由を、「祝詞奏上に関して言えば、式部寮は奏上前後の再拝拍手のみを求めていたわけだが、実際の作法となると、拍手だけで終えるのはなんとも締まらない。
故に、終わりの一拝を以って奏上作法の完結とするような指導をしたのかもしれない」と推測されています。

そして、こういった紆余曲折を経て明治40年、
「神社祭式行事作法」が告示され、やっと正式な拝礼作法が確定するに至りました。
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