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【滋賀】同居の母親(88)を背負い、橋から川に飛び込む…母親は死亡 息子(59)は重症 殺人容疑で逮捕 三重在住 [ばーど★] (1002レス)
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613
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不要不急の名無しさん
2020/08/03(月)22:58
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613: 不要不急の名無しさん [] 2020/08/03(月) 22:58:30 ID:/DXSJo0c0 「地裁が泣いた介護殺人」10年後に判明した「母を殺した長男」の悲しい結末(2017年11月) 2006年2月1日、京都市伏見区の桂川の遊歩道で、区内の無職の長男(事件当時54歳)が、認知症の母親(86歳)の首を絞めて殺害、自身も死のうとしたが未遂に終わった「京都・伏見認知症母殺害心中未遂事件」をご存じだろうか。 一家は両親と息子の3人家族だった。1995年、父親が病死後、母親が認知症を発症。症状は徐々に進み、10年後には週の3〜4日は夜間に寝付かなくなり、徘徊して警察に保護されるようにもなった。長男はどうにか続けていた仕事も休職して介護にあたり、収入が無くなったことから生活保護を申請したが、「休職」を理由に認められなかった。 母親の症状がさらに進み、止む無く退職。再度の生活保護の相談も失業保険を理由に受け入れられなかった。母親の介護サービスの利用料や生活費も切り詰めたが、カードローンを利用してもアパートの家賃などが払えなくなった。長男は母親との心中を考えるようになる。 そして2006年真冬のその日、手元のわずかな小銭を使ってコンビニでいつものパンとジュースを購入。母親との最後の食事を済ませ、思い出のある場所を見せておこうと母親の車椅子を押しながら河原町界隈を歩く。やがて死に場所を探して河川敷へと向かった。 「もう生きられへんのやで。ここで終わりや」という息子の力ない声に、母親は「そうか、あかんのか」とつぶやく。そして「一緒やで。お前と一緒や」と言うと、傍ですすり泣く息子にさらに続けて語った。「こっちに来い。お前はわしの子や。わしがやったる」。 その言葉で心を決めた長男は、母親の首を絞めるなどで殺害。自分も包丁で自らを切りつけて、さらに近くの木で首を吊ろうと、巻きつけたロープがほどけてしまったところで意識を失った。それから約2時間後の午前8時ごろ、通行人が2人を発見し、長男だけが命を取り留めた。 京都地裁は2006年7月、長男に懲役2年6月、執行猶予3年(求刑は懲役3年)を言い渡した。冒頭陳述の間、被告席の長男は背筋を伸ばし、眼鏡を外して右手で涙をぬぐう場面もあった。 裁判では検察官が、長男が献身的な介護を続けながら、金銭的に追い詰められていった過程を述べた。殺害時の2人のやりとりや、「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介すると、目を赤くした裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返った。 判決を言い渡した後、裁判官は「裁かれているのは被告だけではない。介護制度や生活保護のあり方も問われている」と長男に同情した。そして「お母さんのためにも、幸せに生きていくように努力してください」との言葉には、長男が「ありがとうございます」と応え、涙をぬぐった。 ――この事件が一地方ニュースに留まらず、ネットなども通じて「地裁が泣いた悲しい事件」として日本中に知られることになる。親子の境遇や長男に同情する声や温情判決に賛同する声などが広がった。 それから約10年後の2015年。毎日新聞大阪社会部の記者が、介護殺人に関するシリーズ記事の一環としてこの長男への取材を試みた。しかし弁護にあたった弁護士も行方を知らず、数少ない親族を探し出して訪ねると、彼はすでに亡き人になっていた。 事件の後の足跡について親族は口が重く、なぜ亡くなったのかも不明のまま。行き詰った末に探し当てた長男の知人という人に彼の死を告げると、絶句して、判決後に長男が落ち着いた先の住所を告げた。 やがて判明した死因は自殺だった。 琵琶湖大橋から身を投げたという。所持金は数百円。「一緒に焼いて欲しい」というメモを添えた母親と自分のへその緒が、身につけていた小さなポーチから見つかった。地獄を味わった彼の言葉やその後の人生が、在宅介護に限界を感じ、絶望している人への何らかの助けになるのではないか。そう考えて必死に動いた記者を待っていた、悲しすぎる結末だった。 厚労省によると、要介護(要支援)認定者数は620万人。要介護者を抱える家族が増える一方、後を絶たない介護苦による悲しい殺人事件。なぜ悲劇は繰り返されるのか。どうすれば食い止めることができるのだろうか……。 http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1596460819/613
地裁が泣いた介護殺人年後に判明した母を殺した長男の悲しい結末年月 年月日京都市伏見区の桂川の遊歩道で区内の無職の長男事件当時歳が認知症の母親歳の首を絞めて殺害自身も死のうとしたが未遂に終わった京都伏見認知症母殺害心中未遂事件をご存じだろうか 一家は両親と息子の人家族だった年父親が病死後母親が認知症を発症症状は徐に進み年後には週の日は夜間に寝付かなくなりして警察に保護されるようにもなった長男はどうにか続けていた仕事も休職して介護にあたり収入が無くなったことから生活保護を申請したが休職を理由に認められなかった 母親の症状がさらに進み止む無く退職再度の生活保護の相談も失業保険を理由に受け入れられなかった母親の介護サービスの利用料や生活費も切り詰めたがカードローンを利用してもアパートの家賃などが払えなくなった長男は母親との心中を考えるようになる そして年真冬のその日手元のわずかな小銭を使ってコンビニでいつものパンとジュースを購入母親との最後の食事を済ませ思い出のある場所を見せておこうと母親の車椅子を押しながら河原町界隈を歩くやがて死に場所を探して河川敷へと向かった もう生きられへんのやでここで終わりやという息子の力ない声に母親はそうかあかんのかとつぶやくそして一緒やでお前と一緒やと言うと傍ですすり泣く息子にさらに続けて語ったこっちに来いお前はわしの子やわしがやったる その言葉で心を決めた長男は母親の首を絞めるなどで殺害自分も包丁で自らを切りつけてさらに近くの木で首を吊ろうと巻きつけたロープがほどけてしまったところで意識を失ったそれから約時間後の午前時ごろ通行人が人を発見し長男だけが命を取り留めた 京都地裁は年月長男に懲役年月執行猶予年求刑は懲役年を言い渡した冒頭陳述の間被告席の長男は背筋を伸ばし眼鏡を外して右手で涙をぬぐう場面もあった 裁判では検察官が長男が献身的な介護を続けながら金銭的に追い詰められていった過程を述べた殺害時の人のやりとりや母の命を奪ったがもう一度母の子に生まれたいという供述も紹介すると目を赤くした裁判官が言葉を詰まらせ刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど法廷は静まり返った 判決を言い渡した後裁判官は裁かれているのは被告だけではない介護制度や生活保護のあり方も問われていると長男に同情したそしてお母さんのためにも幸せに生きていくように努力してくださいとの言葉には長男がありがとうございますと応え涙をぬぐった この事件が一地方ニュースに留まらずネットなども通じて地裁が泣いた悲しい事件として日本中に知られることになる親子の境遇や長男に同情する声や温情判決に賛同する声などが広がった それから約年後の年毎日新聞大阪社会部の記者が介護殺人に関するシリーズ記事の一環としてこの長男への取材を試みたしかし弁護にあたった弁護士も行方を知らず数少ない親族を探し出して訪ねると彼はすでに亡き人になっていた 事件の後の足跡について親族は口が重くなぜ亡くなったのかも不明のまま行き詰った末に探し当てた長男の知人という人に彼の死を告げると絶句して判決後に長男が落ち着いた先の住所を告げた やがて判明した死因は自殺だった 琵琶湖大橋から身を投げたという所持金は数百円一緒に焼いて欲しいというメモを添えた母親と自分のへその緒が身につけていた小さなポーチから見つかった地獄を味わった彼の言葉やその後の人生が在宅介護に限界を感じ絶望している人への何らかの助けになるのではないかそう考えて必死に動いた記者を待っていた悲しすぎる結末だった 厚労省によると要介護要支援認定者数は万人要介護者を抱える家族が増える一方後を絶たない介護苦による悲しい殺人事件なぜ悲劇は繰り返されるのかどうすれば食い止めることができるのだろうか
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