[過去ログ] 【進学】早慶ダブル合格者の選択に異変が起きている 早稲田の逆襲と慶應三田会の存在感 [七波羅探題★] (667レス)
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1(35): 七波羅探題 ★ 2022/01/26(水)13:08 ID:numPCGZF9(1) AAS
ビジネスジャーナル1.25 17:50
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早慶ライバル史では、昭和末期の1980〜90年代は早稲田の時代、平成の30年間は慶應の時代といってもよいだろう。
昭和末期は高度成長期で、受験生の東京志向と進学率の上昇がマッチングしていた。そんなとき、昭和54年(1979年)には共通1次試験が導入された。当時は国公立大が対象で、原則5教科7科目だった。5教科の重い負担を嫌った受験生は東京の有名私大に集まり、軒並み志願倍率も高くなった。学力偏差値でも国易私難時代と言われた。特に典型的な私大型3教科入試の早稲田は、地方受験生にとっても相性が良く人気が高まった。
地方の旧帝大系の有力国立大に合格したのに、東京の有名私大を選ぶ受験生も、特に女子に少なくなかった。東京の吸引力はパワフルだったのだ。
ところが、1990年代からの平成に入ると、ニューヨークの同時多発テロやリーマンショックもあり、世界経済は低成長時代に移行した。また、平成2年(1990年)には大学入試センター試験が導入された。共通1次試験と違って、センター試験では大学が入試科目を選べ、国立大でも5教科にこだわらず、分離分割方式後期ではセンター試験3教科入試も増加した。そして、私大もアラカルト方式で参加が可能になった。
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