[過去ログ] だって大きくてやわらかくて国産より安いんだもん、と中国鰻を評価し国産として販売した有名うなぎ店 あべの店他で販売の近鉄は返金へ [水星虫★] (1002レス)
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992: 2022/02/01(火)02:48 ID:9AQHQny30(6/6) AAS
NHK、船場吉兆“ささやき女将”息子のどん底→逆転劇特集に賛否両論
「一度は料理界から追放されました」「日本全国を敵に回しました」
そんな言葉から番組は始まった。声の主は、湯木尚二。
当時の謝罪会見で、母である女将がこう答えなさいと「頭が真っ白になったと」と横から囁いたことから「ささやき女将」が流行語になった。
どん底まで落ちた湯木尚二が再起した現在までを追った。
尚二の祖父、湯木貞一が昭和5(1930)年に創業した吉兆から、のれん分けで誕生した船場吉兆は日本料理の老舗。
当時の経営者の父は常々「日本料理は味だけやない。おもてなしの心や」と語っていた。
2000年、主要国首脳が参加した九州沖縄サミットでは蔵相会議の料理を担当し、賛嘆の声が上がった。
尚二はメディアにも多く登場するようになり、「料理界のプリンス」と呼ばれた。
そんな中で2007年、賞味期限の偽装、産地偽装、食べ残しの使い回しが発覚し、船場吉兆は廃業に追い込まれた。
財産は没収され、ワンルームマンションでの1人での生活が始まる。
2008年に定食屋で皿洗いの仕事を始めるが、探り当てた記者が店に訪ねてきた。
「ご迷惑をおかけいたしました」と言って、尚二はたった1カ月で勤めを辞めることになった。
2010年、尚二は知り合いの不動産屋から電話を受ける。鮨屋の経営者を探しているとのこと。
行ってみると、6坪ほどの店で鮨を握っている主は、船場吉兆が健在だった頃に行きつけだったバーのマスターだった。
尚二は引き受けた。
予約の電話があり、当日待っていると誰も現れないということがあった。
看板を叩き割られたこともあった。尚二の店だと知っての嫌がらせだった。
おもてなしの心という父の言葉を、尚二は実践した。いつも丁寧に見送りながら、翌月の献立を渡した。
しだいに店は満員が続くようになる。
常連客の一人から、北新地で店をやらないかと持ちかけられる。
銀行に相談するが、あの船場吉兆の経営陣だったということで、融資は断られた。
ある日、鮨屋で食べ終わった客が改まった口調で、「この料理なら北新地でも十分やっていけます」と語った。
なんだろうと訝る尚二に客は、銀行の者であることを明かす。融資が実現したのだ。
行きつけの店のママは、尚二を語る。
「あのまま順風満帆にこられてたら嫌な方になったと思う。今となってみてあれは神様からの宿題やったんじゃないかなと思います。
あの地獄を味わった人間は同じ地獄には絶対に落ちはれへんと私は思います」
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