[過去ログ] 【フェンタニル】米司法省 薬物密造に関わった疑いで中国企業4社などを起訴 [ぐれ★] (118レス)
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115: ウィズコロナの名無しさん 2023/06/28(水)15:00 ID:9dXzDUC/0(2/2) AAS
石坂まさを
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人物

東京都新宿区出身。父親の澤ノ井音次郎は、十数人の弟子を持つ看板業を営んでいた。家業が繁盛し裕福になると女遊びに手を出し、正妻の他に8人の妾を持ち、石坂自身も4番目の妾の婚外子であった。

しかし子に恵まれなかった音二郎の正妻・千恵の元で女手一つ愛情深く育てられ、石坂もまた千恵への深い思慕で結ばれていた。新宿区立四ツ谷第二中学校を卒業後、肺結核と闘いながら職を転々とする。

19歳の秋、自死を考えるが鶴田浩二の「街のサンドイッチマン」を聞き、発奮され作詞家を志すようになる。

当時石本美由起が主催していたかつての作詞同人誌『新歌謡界』に「沢ノ井千江兒[* 1]」名義でコツコツと作品を投稿。(新歌謡界出身である作詞家山上路夫とは、のちに同期の良きライバルの間柄となり、先輩作詞家からは作風の違いなどから「貴公子の山上」「野生児の沢ノ井」などと揶揄されることも少なくなかった。) 東芝音楽工業専属作詞家としてプロとなると、昭和38年、美川鯛二の「野良犬のブルース」で作詞家デビュー。

昭和43年秋、作曲家の上条たけし宅にて藤圭子(阿部純子)と出会う。

藤の不遇な環境から強烈なシンパシーを感じ、ドスの効いた声と人生の哀愁をにじませた退廃的な歌い方に圧倒され、藤のデビュー一本に賭けることを決意、新宿区東大久保にある自宅に住み込ませ、スパルタ特訓生活を開始する。しかしその道のりは険しく東奔西走の営業活動の中ようやくデビューが決まっていたが、知り合ったRCA/ビクターの若手プロデューサー榎本襄に藤圭子を引き合わせたところ同じく藤の才能に打たれた榎本に「ぜひRCAでやらせて」と強く勧められ、自ら東芝を退職し日本音楽放送・工藤宏との縁で工藤から280万円出資を受け、藤プロダクションを設立。

工藤を社長に据え、沢ノ井千江兒名義から石坂まさをに改称し、また石坂本人も役員として登記し、阿部純子の芸名を藤圭子と名付けRCA/日本ビクターより9月「新宿の女」でデビュー。藤に提供した楽曲の多くには自らの生い立ち、人生観が強く投影され藤圭子の独特な声と歌唱と相まって数々の記録的ヒットを樹立する。

粘り強く強情な性格で、話題作りのため藤を銭湯の男湯へ飛び込ませる、違法行為を承知でポスターを町中に貼る、芸能雑誌出版社に押しかけ癲癇を装って口から泡を吹き「記事にしないとここで死ぬ」などと脅迫するなどなりふり構わぬ営業を厭わなかった。巷では「気狂い龍二[* 2]」との渾名がついたと言われる[2]。
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