【権威主義的原理主義】悪性ナルシストPart33【IDコロコロ恥知らず】 (332レス)
【権威主義的原理主義】悪性ナルシストPart33【IDコロコロ恥知らず】 http://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1722082609/
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6: 日曜8時の名無しさん [] 2024/07/28(日) 10:30:54.83 ID:i+3cRk6z 歴史とドラマは、性質や目的が異なるため、分けて考えた方が良い場合が多いです。歴史は事実に基づいて過去の出来事を記録し、分析する学問です。一方、ドラマは娯楽や芸術表現として、物語やキャラクターを通じて感情やテーマを伝えるものです。以下の理由から、これらを混同するのは適切でないと言えます。 ### 歴史とドラマの違い 1. **目的**: - **歴史**: 事実を基にして過去の出来事を理解し、分析することを目的としています。 - **ドラマ**: 感情を揺さぶり、娯楽を提供し、テーマやメッセージを伝えることを目的としています。 2. **アプローチ**: - **歴史**: 客観的で検証可能な証拠に基づいて記述されます。 - **ドラマ**: 創作やフィクションを含むことがあり、物語の展開やキャラクターの描写に自由度があります。 3. **表現の自由**: - **歴史**: 事実に基づくため、表現の自由は限られています。 - **ドラマ**: 想像力や創造性を活かした表現が許されます。 ### 分別と混同の影響 歴史とドラマを混同することは、分別が欠如していると見なされることがあります。以下の点が理由です: 1. **誤解や誤認**: - 歴史的事実とフィクションを混同すると、視聴者や読者が誤った認識を持つ可能性があります。 2. **目的の混乱**: - ドラマは娯楽を目的としているため、歴史的正確性よりも物語の魅力が優先されることが多いです。これを理解せずに歴史と混同すると、ドラマの本来の意図やメッセージが誤解されることがあります。 ### 結論 したがって、歴史とドラマは分けて考えるべきであり、それぞれの性質や目的を理解し尊重することが重要です。分別のある視点を持つことで、両者を適切に評価し、楽しむことができます。 http://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1722082609/6
160: 日曜8時の名無しさん [] 2024/10/13(日) 12:44:34.83 ID:8rIUDF2W イヌでもできる権威主義 http://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1722082609/160
170: 日曜8時の名無しさん [] 2024/10/28(月) 10:21:49.83 ID:p0wUciqK こんにちは民主主義 http://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1722082609/170
218: 日曜8時の名無しさん [] 2024/12/14(土) 10:48:31.83 ID:JgPx1mzI 鴨長明の『方丈記』冒頭の川の比喩と、ヘラクレイトスの「同じ川に二度入ることはできない」という哲学的概念は、どちらも無常や変化をテーマにしており、共通点と相違点があります。 共通点 1. 変化の本質 鴨長明は、川の流れや泡の消長を通じて、世の中の物事が絶えず変化する無常を象徴的に表現しています。 ヘラクレイトスも、川の水は常に流れ変化しているため、「同じ川」に入ることはできないと主張し、物事は変化し続けるという「万物流転」の思想を示しています。 2. 象徴的な川 両者とも、川を時間や存在の象徴として用いています。川の流れが「変化し続ける世界」や「人の一生」を象徴している点は共通しています。 相違点 1. 視点の違い 鴨長明は、自然現象としての川の流れと人間の世の無常を並べ、儚さや悲哀に重きを置いています。これは仏教的な無常観に基づくものです。 ヘラクレイトスは、変化を宇宙の根本原理として捉え、それを哲学的な思索の出発点としています。彼の言葉には、変化が必然であり根源的であるという中立的または積極的なニュアンスがあります。 2. 目的の違い 鴨長明の文章は、変化を観念的に受け止めるとともに、世の中の儚さに対する感慨を表現しています。 ヘラクレイトスの言葉は、哲学的思索を通じて変化の原理を探求し、物事の背後にある秩序やロゴス(理法)を見出そうとしています。 3. 文化的背景 鴨長明は仏教的な無常観を背景に持ち、日本の自然観や人間観に基づいて文章を構成しています。 ヘラクレイトスは古代ギリシャ哲学の文脈において、宇宙の構造や存在論的な問題に取り組んでいます。 まとめ 鴨長明は自然の流れを感慨深く思い、世の中の無常を見つめますが、ヘラクレイトスは変化を受け入れ、宇宙の本質として捉えます。両者を比べると、同じ川の比喩を使いながらも、その背後にある思想の方向性や感情のトーンが異なることがわかります。 http://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1722082609/218
263: 日曜8時の名無しさん [] 2025/01/15(水) 20:35:01.83 ID:6KnYdWXJ 85 名乗る程の者ではござらん sage 2023/12/04(月) 01:56:29.21 ID:9DWLszPl 歴史の威を借る狐 IDコロコロで不特定多数の威を借る狐 成句 虎とらの威イを借かる狐きつね 自らに権力・権威があるわけでもないのに、他人、特に仕えている者の威光を背景に権勢をふるう者のたとえ。 「……ざっくばらんに申しますから、お許し願いたいですが、……若松では、「民政党にあらずんば、人にあらず」――そんな言葉さえあって、そのために、どんなに市政が歪められているか、街の人たちが困っているか、……それは、いうまでもなく、吉田代議士の威力で、虎の威を借る狐の、……」「おれも、その狐の一匹というんじゃな?」(火野葦平 『花と龍』) 由来 『戦国策・楚策一』の以下の故事より。 虎求百獣而食之、得狐。狐曰、「子無敢食我也。天帝使我長百獣。今子食我、是逆天帝命也。子以我為不信、吾為子先行。子随我後観。百獣之見我、而敢不走乎。」虎以為然。故遂与之行。獣見之皆走。虎不知獣畏己而走也。以為畏狐也。 (意訳)虎が狐を食おうとした時、狐が「私は百獣の長として天帝から遣わされた者で、私を食うことは天帝に背くことになる。嘘だと思ったら、私の後からついて来い。みんな、私を見て逃げるだろう」、虎はなるほどと思いついて行くと、獣は確かに逃げ出した。虎は、自分を見て獣が逃げたことがわからず、狐の言うとおり、狐を恐れていると思った。 http://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1722082609/263
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