竹村延和とチャイルディスク Part2 (861レス)
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66
(1): 2011/06/05(日)21:49 ID:zk/V1k5p(1/7) AAS
>>58

2010.05.31 Monday
kodomo to roujin
 また間が空いてしまいました。
 哲学が生きるヒントを与えてくれるかどうか、はなはだ疑わしい、 しかし美術や音楽や文学にはない魔力が、
ある種の哲学には潜んでいるという話。
それは端的にメメントモリとして機能するテクストであり書物とも言えます。
しかし現実の哲学を取り巻く教育現場や出版業界に纏わる状況は 深遠な古典や一部の優れた書物に反して、
どうも違っていそうだと感ずる人は少なくないようです。
67
(1): 2011/06/05(日)22:34 ID:zk/V1k5p(2/7) AAS
即戦力の実学が優位に立ち、教育予算配分において、その存在意義も怪しまれる時勢。 哲学という言葉自体、
何処か気恥ずかしく感じるのも、度々指摘されるこの言葉の誤訳問題、 さらに運用範囲に変遷が見られるからでしょう。
近年よく耳にする経営哲学などの世俗的使用の響きに違和感をおぼえずにおれません。
 十代の頃から哲学に魅かれながらも、何処か疑ってしまうもう一つの理由に、 僭越ながら哲学者という大それた肩書の一方で、
それ自体では存立しそうもない職業、日々の実務は教員であるという現実。
孤独な思索者というよりは、大学などの組織内、権力者へのロビー活動を巧みに行い、ポジション取りをしてきた者という
一種の偏見を持っていました。
68
(1): 2011/06/05(日)22:38 ID:zk/V1k5p(3/7) AAS
そして実際の教育の場で「アレテーは教えられるのか?」という素朴な疑問。
「考える」、「哲学する」という動詞を実践するというよりは、静的に体系的な「哲学の歴史」を 暗記することしか
不可能ではないのか?という疑念が強くありました。
今ではその方角からの学習の楽しさや原文精読の重要さも認めますが、 若い頃は、哲学の教授など、教育者というのは
総じてソフィストではないのか?と感じたものです。
これはピアノの弾き方は教えることができるが、対位法や和声理論を教えられても、
作曲それ自体は決して教えることができないことに似ています。
69
(1): 2011/06/05(日)22:45 ID:zk/V1k5p(4/7) AAS
同様に絵画でも文学でも、画材の扱い、遠近法、色彩理論、文字や文法の学習は徹底できても、
いざ何をどう描くかという“私秘的な根本領域”には教育者の立ち入りうる領域など 本来ないはずだからです。
 ましてそこで学ぶ学生、日本はひとまず置き、ヨーロッパの重い歴史ゆえの極端な例ですが、
ヘーゲルが学長も務めていたフンボルト大学の研究者の知人でさえ、 膨大な古典の精読に日々追われ、
「考える」時間など全くないとぼやいていました…。
彼は歴史家ではなく、紛れもない哲学者です。
ただし伝統に縛られない、分析哲学を主流とする米国では事情が全く異なるのでしょう。
専門職の現場では、絶望や死への想いが活動動機になるどころか、
日々の重課題ゆえに好奇心さえも入り込む隙がなさそうに見えるわけです。
70
(1): 2011/06/05(日)22:48 ID:zk/V1k5p(5/7) AAS
日本の現場はさらに深刻でしょう、そもそも高校生の時点で、 医師になりたくて大学の医学部へ行く、
建築をしたくて建築学科に行くという実践に即した進路選択をする同級生は周囲にも大勢いましたが
まだ世間の荒波にもまれる前、親元に居る若者が、哲学を選択するに相応しい特異な好奇心、
絶望なりの動機を果たして持ち得るのだろうか?という大きな疑念があるわけです。
同じ日本でも木田元さんのような戦前生まれの世代は、絶望的な環境がそれを促した側面が多々有ったのでしょう。
しかし戦後、安保に守られ、自立する意志すらない温い国家に生まれ落ちた我々の世代は葉隠など忘れ去り、
経済発展のみに邁進してきました。
71: 2011/06/05(日)22:54 ID:zk/V1k5p(6/7) AAS
そのような土壌で死と対峙する学問への純粋な動機を持ち得ることなど限りなく不可能に思えてなりません。
自分の周囲にそういう動機を持った同世代の人物は一人として出会うことなく今日に至り、
内発的な好奇心でなく、他者の視線をくんだ疾しい流行があったのみだということは先に書きました。
何か悲観的に聞こえるコトばかり書いてしまっていますが、 こういう想いはただ若気のいたりや反発心、未熟さから
発したというよりも、一方で子どもの重要性、子どもは好奇心の塊で、生まれながらの哲学者であるという想い、
強い確信からそう結論に至りました。
72: 2011/06/05(日)23:23 ID:zk/V1k5p(7/7) AAS
そして子どもの可能性を殺してきたのは、他でもない「日本の戦後教育」ではないのかと。
敗戦における日本固有の事情についてはまた時を改めることにし、 万国の教育の起源は
皮肉にも古代ギリシア哲学にまで遡れることを思い返しましょう。
 子どもというのは何に対しても、「これは何?」と止め処なく好奇心をぶつけてくる、
日々生成変化を繰り返し、創造性そのものと呼べる存在。
しかし大人はしつこく問い詰めてくる子どもに対して、あるいは泣きやまない赤ん坊に対して
深い悪意はないにしろ、ある他愛のない嘘や脅しを使うようになります。
(早く寝ないとお化けが出るだの...悪いことをすると地獄に落ちるだの..../ ここでは体罰は除外し、言葉によるもののみです。)
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