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259
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(茸)
(スプッッ Sd52-puXB)
2022/09/27(火)07:48
ID:UPiInxfpd(3/3)
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259: (茸) (スプッッ Sd52-puXB) [sage] 2022/09/27(火) 07:48:43.79 ID:UPiInxfpd 日峰山頂の神社から見下ろす紀伊水道の小松島湾。舒明天皇もこの風景を見たのだろうか=井上英介撮影 https://cdn.mainichi.jp/vol1/2022/09/26/20220926ddlk36070359000p/9.jpg 日峰山頂から見下ろす徳島平野。海原を眺め、後ろを向けば国原も見渡せる=井上英介撮影 https://cdn.mainichi.jp/vol1/2022/09/26/20220926ddlk36070360000p/9.jpg 徳島赴任直後の4月、一冊の献本が支局に届きました。藤井榮「古代史入門」。パラパラ拾い読みすると「邪馬台国は阿波(徳島)にあった」と主張しています。3世紀前半に女王卑弥呼が治め、中国の史書にも登場する邪馬台国。所在地は学者たちが畿内(奈良)説と九州説に分かれて100年以上論争し、決着していません。 「まさか、徳島に?」 トンデモ本の類いだろうと投げ出しましたが、最近になって読み返すと、万葉集の冒頭2番目に出てくる「国見の歌」を引用した面白い記述に目がとまりました。卑弥呼の時代から約400年のちの7世紀前半、第34代舒明(じょめい)天皇が詠んだ歌です。 「大和には/群山(むらやま)あれど/とりよろふ/天の香具山(かぐやま)/登り立ち/国見をすれば/国原(くにはら)は/煙立ち立つ/海原は/鷗(かまめ)立ち立つ……」(現代語訳=大和にある多くの山でも外見の立派な天の香具山の頂に登って見下ろすと、国土には炊煙がしきりに立ち、海上にはカモメがたくさん飛んでいる……) この山を万葉学者は奈良県橿原市の香具山(標高152メートル)としていますが、内陸の奈良盆地の低山から海やカモメが見えるのか、と著者は疑問を表明します。 なるほど……。さらに読むと、徳島県鳴門市の西山谷2号墳を紹介する毎日新聞記事の引用がありました。高度な石積み技術で3世紀半ばに作られ、畿内の初期前方後円墳の起源とみられる――という内容。「近畿の古墳、ルーツは阿波?」という見出しで1、3面にまたがる大展開です(2000年4月21日朝刊)。 それだけではありません。名前に阿波、安房、粟を冠した神社が全国各地にある。逆に大津や京都、奈良、吉野など歴史や故事に富む地名が多数徳島にある。吉野川南岸産の結晶片岩(阿波の青石)が畿内の主要古墳で使われている。 邪馬台国は徳島にあった。壬申の乱は徳島で起きた。3世紀から8世紀初めの前期藤原京までヤマト王権は徳島にあった……そう考えるしかない状況証拠を列挙。学校で習った通説が揺らぐ困惑、阿波説への拒否感がないまぜになり激しい知的興奮を覚えました。 ならば、冒頭に紹介した万葉集の「国見の歌」はどこで詠まれたのか。徳島、小松島両市の境の日峰山(ひのみねさん)(192メートル)だと書かれています。この山の徳島市側には「香具山」を思わせる「籠(かご)」「籠山(かごやま)」という地名があるのです。私は著者の藤井さんに連絡を取り、一緒に車で登りました。 彼は徳島県庁を12年前に定年退職して古代史研究に熱中。全国各地を訪ね歩いています。「私は奈良の香具山に2度登った。当たり前だが海など見えない。古代史家も国文学者も誰ひとり、この疑問に答えません」。道中、熱に浮かされたように語り続けました。 山頂に小さな神社があり、そこからの風景に私はあっと息をのみました。海原も国原も一望できます。「舒明天皇はこの場所に立って詠んだのです」(藤井さん) 先述の西山谷2号墳については、考古学者の石野博信氏が徳島新聞への寄稿で「4世紀大和政権の葬法が3世紀の徳島にあるとは何ごとか、と学会は騒然とした」と書きました。「学者が大挙して押しかけ大騒ぎしたのに今は無視されている。畿内説に都合が悪いからだ」。藤井さんは阿波説が顧みられない現状を悔しがります。 新聞記者はファクト(事実)に忠実であれ、と駆け出し時代からたたき込まれます。彼が足で調べ上げた数々の「通説に不都合な事実」は無視できません。 「ヤマト王権はここにあったに違いない」。私に阿波説の真偽は判断できませんが、日峰山の頂で胸にストンと落ちるものがありました。【徳島支局長・井上英介】 ★3 http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/nogizaka/1664123481/259
日峰山頂の神社から見下ろす紀伊水道の小松島湾明天皇もこの風景を見たのだろうか井上英介撮影 日峰山頂から見下ろす徳島平野海原を眺め後ろを向けば国原も見渡せる井上英介撮影 徳島赴任直後の月一冊の献本が支局に届きました藤井古代史入門パラパラ拾い読みすると邪馬台国は阿波徳島にあったと主張しています世紀前半に女王卑弥呼が治め中国の史書にも登場する邪馬台国所在地は学者たちが畿内奈良説と九州説に分かれて年以上論争し決着していません まさか徳島に? トンデモ本の類いだろうと投げ出しましたが最近になって読み返すと万葉集の冒頭番目に出てくる国見の歌を引用した面白い記述に目がとまりました卑弥呼の時代から約年のちの世紀前半第代明じょめい天皇が詠んだ歌です 大和には群山むらやまあれどとりよろふ天の香具山かぐやま登り立ち国見をすれば国原くにはらは煙立ち立つ海原はかまめ立ち立つ現代語訳大和にある多くの山でも外見の立派な天の香具山の頂に登って見下ろすと国土には炊煙がしきりに立ち海上にはカモメがたくさん飛んでいる この山を万葉学者は奈良県橿原市の香具山標高メートルとしていますが内陸の奈良盆地の低山から海やカモメが見えるのかと著者は疑問を表明します なるほどさらに読むと徳島県鳴門市の西山谷号墳を紹介する毎日新聞記事の引用がありました高度な石積み技術で世紀半ばに作られ畿内の初期前方後円墳の起源とみられるという内容近畿の古墳ルーツは阿波?という見出しで面にまたがる大展開です年月日朝刊 それだけではありません名前に阿波安房粟を冠した神社が全国各地にある逆に大津や京都奈良吉野など歴史や故事に富む地名が多数徳島にある吉野川南岸産の結晶片岩阿波の青石が畿内の主要古墳で使われている 邪馬台国は徳島にあった壬申の乱は徳島で起きた世紀から世紀初めの前期藤原京までヤマト王権は徳島にあったそう考えるしかない状況証拠を列挙学校で習った通説が揺らぐ困惑阿波説への拒否感がないまぜになり激しい知的興奮を覚えました ならば冒頭に紹介した万葉集の国見の歌はどこで詠まれたのか徳島小松島両市の境の日峰山ひのみねさんメートルだと書かれていますこの山の徳島市側には香具山を思わせるかご山かごやまという地名があるのです私は著者の藤井さんに連絡を取り一緒に車で登りました 彼は徳島県庁を年前に定年退職して古代史研究に熱中全国各地を訪ね歩いています私は奈良の香具山に度登った当たり前だが海など見えない古代史家も国文学者も誰ひとりこの疑問に答えません道中熱に浮かされたように語り続けました 山頂に小さな神社がありそこからの風景に私はあっと息をのみました海原も国原も一望できます明天皇はこの場所に立って詠んだのです藤井さん 先述の西山谷号墳については考古学者の石野博信氏が徳島新聞への寄稿で世紀大和政権の葬法が世紀の徳島にあるとは何ごとかと学会は騒然としたと書きました学者が大挙して押しかけ大騒ぎしたのに今は無視されている畿内説に都合が悪いからだ藤井さんは阿波説が顧みられない現状を悔しがります 新聞記者はファクト事実に忠実であれと駆け出し時代からたたき込まれます彼が足で調べ上げた数の通説に不都合な事実は無視できません ヤマト王権はここにあったに違いない私に阿波説の真偽は判断できませんが日峰山の頂で胸にストンと落ちるものがありました徳島支局長井上英介
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