[過去ログ] 被差別部落にまつわる怖い話 24 [無断転載禁止]©2ch.net (1002レス)
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754(4): @無断転載は禁止 2017/04/01(土)16:50 ID:GF61O2rx0(2/3) AAS
>>749-750
身分が幕府の法令によって固定化されてた江戸時代が異常なだけ。
外部リンク[htm]:blhrri.org
解放と差別の強化
最後に被差別民の身分解放(脱賤化)と差別の強化の問題について触れておきたい。
鎌倉後期以降、都市や村落の共同体連合の成立によって差別の強化は進展したが、
それは徐々に進行していったため、当初は個々の被差別民の上昇転化の機会が存在した。
すなわち被差別民のなかで階層分化がおこり、富裕な人びとが脱賤化するのである。
中世初期では曖昧で広く存在した差別が、中世後期にいたり権利をめぐって凝縮化するのである。
個々の上昇転化
『看聞日記』によれば、十五世紀、京中の米商人の連合組織が米相場のつり上げをはかり、飢饉が起こった。
その悪徳米商人の張本人六人のうち一人は元乞食の門次郎という男であった。
元乞食が米商人の座組織に入っているということは、洛中の町にも店舗を構えていたことを意味しており、
れっきとした「町人」であったことを意味する。
京中の町々は自治権が強く、家屋売買価の十分の一を町共同体に納入すれば町共同体に加入を許されたので、
お金さえあれば町人としての上昇転化は充分可能であったと思われる。
そのほか、村落などで浪人を招き寄せて開発するなどの例からみて、個々の人びとの上昇転化は相当あったのではないか。
集団としての脱賤化
個々の上昇転化の場合と比較して、集団がそのまま脱賤化する例は、
わずかに猿楽能のうち大和四座と、穴太積みの石工集団の場合だけである。
観阿弥・世阿弥父子に対する足利義満の寵愛から武家の保護を得た猿楽能はその地位が上昇し脱賤化を果たした。
また、近江比叡山麓の穴太散所からでた石工集団も同様に、穴太積みといわれる石垣の築造に名を得ていた。
戦国末期の織田からはじまる統一権力の築城の石垣造りに重用され、
統一権力や麾下の大名に召し抱えられた者は「穴太者」として士分格となり、身分上昇を遂げたのである。
このように中世社会のなかで被差別民には脱賤化への道が存在していた。
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