[過去ログ]
被差別部落にまつわる怖い話 27 (1002レス)
被差別部落にまつわる怖い話 27 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/occult/1518188721/
上
下
前
次
1-
新
通常表示
512バイト分割
レス栞
このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています。
次スレ検索
歴削→次スレ
栞削→次スレ
過去ログメニュー
693: 本当にあった怖い名無し (テトリス 0H69-U7Gj) [sage] 2018/06/06(水) 19:25:33.67 ID:oF/NDLRTH0606 被差別部落民18人殺害、美作騒擾140年の沈黙に抗う〜頭士倫典 http://gendainoriron.jp/vol.02/serial/se01.php 《虐殺そして処刑》 問題は、その津山を東側から襲撃する加茂谷一帯でおきた。 頭士家の文書にもあったように、一揆がいったん始まると参加はボランティア参加ではなく、強制であった。 強訴集団のスローガンは、「血税反対」など新政府への不満に加え、「新平民を穢多に改めよ(戻せ)」など反動的なものがあった。 加茂谷の、群衆への抗いを決めた部落で悲劇がおきた。 当時の記録『美作騒擾記』の記述はこうだ。 「群衆は、これ(捕らえた部落民)を加茂川の辺なる火葬場の傍なる一陣の内に押し入れ、 最初に半之丞(被害者の名前)を引き出し、これを水溜の中に突き落とし、悲鳴を挙ぐるを用捨なく、 槍にて芋刺しに串貫ぬき、かつ石を投げつけてこれを殺したり。 それにより順次に同一方法を用いて5人を殺し、最後の6人目なる松田治三郎に至るや、隙を見て逃亡せんとし、 今一歩にて加茂川に飛びいらんとするところを、後より石を擶(う)ち、これを惨殺せり。 猛り切ったる群衆は、猶これにあきたらず、同部落民の家に火を放ち、 半之丞の居宅ならびに土蔵三棟、納屋一棟を焼き払いたるを手初めに、 火はしだいに次から次へ焼き移り、遂に全部落百余戸を灰燼に帰せしめ、 また悲鳴を挙げて逃げ迷う老少婦女を捕へて、背に藁束(わらたば)を縛し、 これに火を放ちて焼死せしむるなど、すこぶる残惨を極めたり」。 パソコンのキーボードをたたき文章を転載するだけで、こちらの心が凍ってくる。 人間はここまで残酷になれるのかという立ち振る舞いである。 部落民への虐殺は、加茂川の河原だけではなかった。 部落民の一部は、加茂川の支流をさかのぼって、鳥取県方面に逃走をはかった。 しかし、やがて追っ手の群衆に見つかる。山中で殺されたのは9人。 うち4人が65歳以上の高齢者、9歳と1歳の幼いというにはあまりにいたいけない年齢の子どもも含まれている。 結局、即死が18人、うち男11人、女7人。 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/occult/1518188721/693
694: 本当にあった怖い名無し (テトリス 0H69-U7Gj) [sage] 2018/06/06(水) 19:43:35.50 ID:oF/NDLRTH0606 地図から消えた村・津川原「村民皆殺し」の黒歴史 http://tablo.jp/discover/folklore/news001540.html http://tablo.jp/discover/folklore/news001546.html それは日本史上、最後の百姓一揆と言われる"美作血税一揆"の熱狂のさなかで巻き起こった。 武器を手にした加茂谷の農民2000人余りが、100戸ほどの小さな被差別部落の小村を包囲、襲撃。 農民たちは津川原の村を焼き払い、人々を追い立てた。村人たちはちりぢりに村から逃げ出したが、農民側は容赦しなかった。 終夜の山狩りを敢行して、老若男女の村人を山奥まで追いつめ、虐殺していったのである。 杉原重平と、妻のろくは、幼い子供二人と物陰にひそんでいたが、逃げる途中に追っ手の農民に見つかった。 重平は頭を竹槍で突かれた。ほぼ即死となった。 赤ん坊を背負ったろくは、左足を槍で突かれて、200m近い高さの崖から突き落とされた。 74歳の老婆さきは、4〜5人の追っ手の男に見つかり、竹槍で全身を突き刺された。 そして生きたまま火をつけられ、絶叫。狂い踊りながら火だるまになった。 別の場所では65歳の老婆かたが、農民に捕まった。そして、そのまま燃え盛る野火の中に放り込まれた。 衣服が燃え上がって、苦悶に身をよじらせても、周りの農民はじっと見続けるだけだった。 しかし、やがてついに見かねた一人の農民が、とうとう途中で手持ちの鍬で、彼女の首を切り落として、絶命させた。 川の上流では、男、赤ん坊、女、少女、老婆の5人組が農民に見つかった。 農民たちは、取り囲んで無数の石を延々と投げ続けた。 男は苦痛に耐えきれず、自らの着物の下帯をほどき、それを木の枝にかけて、首を吊って死んだ。 嬰児や少女、老婆らは、竹槍で胸や喉を貫かれて絶命した。 村の長とその一族も、農民に捕まって、次々と川原まで引き立てられてきた。 農民たちは津川原の指導者たちに対し、土下座をしての謝罪を要求。皆、しぶしぶそれに従った。 しかし、狂躁状態に支配された農民一揆の指導者たちの要求はどんどんエスカレート。「腹を切って死んで詫びろ!」とつめよった。 津川原の人々が、「それはできぬ」と拒むと、農民の中の誰かが奇声をあげて、竹槍で襲いかかった。 すると、堰を切ったように周りの農民たちは無数の竹槍や投石を浴びせた。 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/occult/1518188721/694
上
下
前
次
1-
新
書
関
写
板
覧
索
設
栞
歴
あと 308 レスあります
スレ情報
赤レス抽出
画像レス抽出
歴の未読スレ
AAサムネイル
Google検索
Wikipedia
ぬこの手
ぬこTOP
0.008s