[過去ログ] 被差別部落にまつわる怖い話 27 (1002レス)
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804: (JP 0H85-9ull) 2018/06/14(木)18:34 ID:YvDdo2cpH(4/4) AAS
嘘みたいな本当の在日話
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【54の瞳・瀬戸内海の島にあった朝鮮小学校伝説】
姫路港から18km西南に44個の島があり、そのもっとも西にある島を西島といいます。
ここら一帯の島たちはその昔、無人島でした。1925年に人々が住みだしました。
西島に最初に住みだしたのは採石工事で来た、在日朝鮮人でした。
朝鮮人の人たちが集落を築き、後に日本の方々が住むようになったそうです。
太平洋戦争時、ここに住みし朝鮮人は100戸を越えていたそうです。
長い年月、日本で暮らしているここの在日の子ども達は、日本語しか話せずにいました。
戦争が終わり、祖国開放を迎えたこの島の朝鮮人たちは祖国朝鮮に帰るべく、準備をしだしました。
まず準備したのが子供達の学校でした。
空き家の一室を教室にし、少し朝鮮語と字の書ける方が先生をし、民族教育を始めたのでした。
これが日本に唯一つの『島にある朝鮮学校』でした。
この学校の特色として面白いところは、当時の朝鮮学校とは違い、日本人児童も通っていた事でした。
本土との定期便の少なさや、運賃の高さなどの問題もあったようです。
1948年全校生徒は27人になりそのうち5名が日本人の子供だったそうです。
そんなこともあってか自然にこの学校に通う日本の子供達は自宅で
「オモニ(お母さん)」「アボジ(お父さん)」と両親を呼んでいたようです。
ある朝鮮学校の物語
外部リンク:blog.goo.ne.jp
西島は第2次世界大戦中は日本軍の火薬庫として洞窟が掘られ、
その周辺一帯は敗戦時まで民間人の立ち入りは一切禁止でした。
そんな瀬戸内海の小島に人が住み始めたのは1925年のこと。
石の採掘のために朝鮮人が暮らしたのが始まりだといわれています。
朝鮮人が集まり一つの集落を結成し、そこに日本人も住むようになりました。
戦争終結時には100戸前後の朝鮮人たちが島に暮らしていたといいます。
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