[過去ログ] 【浣腸】膳場貴子 猥褻妄想スレッド 5【排泄】 (984レス)
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923: 2014/08/19(火)16:18 AAS
外部リンク[html]:www.erosite1012.com
ここにある
924: NEWS23 2014年8月15日(金)放映 2014/08/19(火)16:19 AAS
午後4時に出撃前の訓示。
川野和一さん「中津留3機だけ準備しろと言ったのに何でこんなにいるんだと。偵察員は降りとれと。
沖縄までなら操縦員だけでも十分に行けるからと。偵察員も『何を言いよるんですか』と。
しょうがないから中津留隊長が『一緒に行かないか』と『お前たちの命を俺に預けてくれ』と。」
出撃前に宇垣長官は襟にある階級章を外した。
豊の国 宇佐市塾 塾講師平田崇英さん
「その場の空気と武士の情けが中津留さんにあって自分の生き方も違うけど『分かりました。お供しましょう。』と言う心境になったのでは?」
川野和一さん「我々の意気込みに中津留さんも負けた。人間命懸けで訓練できたら戦友愛と言うか、3・4年訓練してきたら
『お前だけじゃない。我も行くんだ』と言う気持ちになる。」17:00 11機出撃。
それを怒りをこめながら見送った偵察部隊安永弘さん。
省1
925: NEWS23 2014年8月15日(金)放映 2014/08/19(火)16:38 AAS
大分から800km離れた伊平屋島 11機のうち2機が辿り着いた。
1機目はアメリカ軍の兵舎の近くの畑に墜落。
与那嶺穀さん。「海の近くに落ちたのは小峰になっているあの辺。炎があがってくるのをその夜に見た。
火花が花火みたいにあがっていくのとおなじように黒煙も見えた。停泊中の上陸用舟艇から100メートルほどの場所に墜落。
中津留達雄海軍大尉と宇垣纏司令長官と思われる。
名嘉徳佑さん「突っ込んでいる姿を見てびっくりした。米兵が死体を引っ張っていくのを見た。」
与那嶺毅さん「帽子に白い筋が2・3ついていたので偉い人だなと思った。
宇垣纏は軍服ではなく制服だった。「敵艦空母見ゆ我必中突入す」
川野和一さん「意図的に標的を外したのでは?目標があれば突っ込んでいるはず。目標があって回避するのはおかしい。」
終戦を知っていて突っ込むことはないのでは?平田崇英さん「回避してなかったらまた何万人が亡くなった可能性が大きい。
省1
926: 2014/08/23(土)09:42 AAS
世界が語る神風特別攻撃隊―カミカゼはなぜ世界で尊敬されるのか 吉本 貞昭 著
動画リンク[YouTube]
「日本は太平洋戦争で敗れはしたが、そのかわり何ものにもかえ難いものを得た。それは、世界のどんな国にも真似のできない特別攻撃隊である。
代償を求めない純粋な行為、そこにその真の偉大さがある」――アンドレ・マルロー(フランスの作家、文化大臣)
ビルマ初代首相のバー・モウも、「特攻隊は世界の戦史に見られない愛国心の発露であった。
今後数千年の長期にわたって語り継がれるに違いない」と述べており、また米・英・仏などでも、
神風特攻隊に関する書物が数多く刊行され、特攻に対して高い評価を与えているにもかかわらず、
「かつて味方であった日本人が味方であった日本人を愚弄したり、揶揄したり、嘲笑している」のが、
戦後の日本の特徴であると言ってもいいだろう。
927: きけ わだつみのこえ 日本戦没学生記念会 2014/08/23(土)09:57 AAS
大塚晟夫海軍少尉候補生(23歳)1945年4月28日特別攻撃隊員として沖縄嘉手納沖にて戦死 23歳
四月二十八日
今日は午前六時に起きて清々しい山頂の空気を吸った。朝気の吸い納めである。今日やる事は何もかもやり納めである。
書きたいことがあるようでないようで変だ。
どうも死ぬような気がしない。ちょっと旅行に行くような軽い気だ。鏡を見たって死相などどこにも表われていない。
……泣きっぽい母上ですからちょっと心配ですが泣かないで下さい。私は笑って死にますよ。
「人が笑えば自分も笑う」って父上によく言われたでしょう。私が笑いますから母上も笑って下さい。……
928: きけ わだつみのこえ 日本戦没学生記念会 2014/08/23(土)10:00 AAS
午前十一時
これから昼食をとって飛行場へ行く。飛行場の整備でもう書く暇ない。これでおさらばする。
乱筆乱文はいつもの事ながら勘弁を乞う。皆元気でゆこう。
大東亜戦争の必勝を信じ、君たちの多幸を祈り、今までの不幸をお詫びし、さて俺はニッコリ笑って出撃する。
今夜は満月だ。沖縄本島の沖合で月見しながら敵を物色し徐に突っ込む。
勇敢にしかも慎重に死んでみせる。
再拝 晟夫
929: きけ わだつみのこえ 日本戦没学生記念会 2014/08/23(土)10:07 AAS
林 憲正 [はやし・のりまさ] 慶応義塾大学ー愛媛県出身ー昭和20年8月9日(あと6日で終戦)、
神風特別攻撃隊第七御楯隊第二次流星隊で出撃、本州東方海上にて戦死。海軍中尉、25歳。
八月九日 快晴 (注・戦死の日)
敵機動部隊が再び本土に近接して来た。一時間半後に、私は特攻隊員としてここを出撃する。秋の立った空はあくまで蒼く深い。
八月九日!
この日、私は新鋭機流星を駆って、米空母に体当たりするのである。
ご両親はじめ、皆様さようなら。戦友諸君、有難う。
930: きけ わだつみのこえ 日本戦没学生記念会 2014/08/23(土)11:54 AAS
海上春雄
(京都大学経済学部 昭和20年1月9日 ヒヒ島リンガエン湾で海上挺身隊として戦死 23才)
昭和20年1月 ルソン島にて出撃前のメモに鉛筆書きの絶筆
「父上様、母上様、元気デ任地ヘ向ヒマス。春雄ハ凡ユル意味デヤハリ学生デシタ。
春雄」
931: 2014/08/27(水)16:48 AAS
膳場貴子さんは8月16日(土)〜24日(日)は夏休みだった。田舎の●●県にいた。
8月23日(土)の昼間。古谷有美と國本未華が膳場さんが滞在しているらしい農家を訪れる。
そこのお爺さんとお婆さんが小屋の中に案内してくれる。糞尿の臭いがする。
「ここで家畜でも飼っているのだろうか?」古谷と國本が思う。ところが二人はそこで信じられないような光景を見た。
何と素っ裸の膳場貴子さんが四つん這いになって首輪をつけられて獣のように飼育されているではないか!
「膳場さん!何をしてるんですか?」驚いた古谷が言う。しかし膳場さんは何も喋らない。
お爺さんとお婆さんが説明する。「この人は毎年夏休みにここに来て自分から望んでここでこうやって過ごすんだよ。」
「えーっ!?本当ですか!」國本が驚愕の声をあげる。「そうなんだよ。自分から素っ裸になって首輪をつけてくれと頼むんだよ。」
「嘘みたい・・・。」「そしてその間この人は何も喋らずに動物みたいにここで過ごすんだ。」
932: 2014/08/27(水)16:58 AAS
「そろそろ餌を与える時間だね。」お婆さんが洗面器に入っている餌を持って来る。
「さあ、お食べ。」素っ裸で四つん這いになっている膳場貴子さんの前に洗面器を置く。
手を使わずにその餌を食べる膳場さん。NEWS23のキャスターをしている時と全く違う雰囲気である。
呆然としてそれを見つめる古谷と國本。
お爺さんが言う。「この人も普段のストレスから解放されたくてこんな真似をしてるんじゃないのかな?」
古谷と國本がお爺さんとお婆さんがここでの膳場さんの暮らしぶりについていろいろ質問をした。
暫くしたら古谷と國本が更に信じられない光景を見てしまった。
餌を食べて満腹になった膳場貴子さんがまるで犬や猫のように地面に脱糞をしたのだ!
異臭が漂う。そして膳場さんは脱糞を終えた後に放尿までしたのだ。
「えーっ!信じられない!これがあの膳場さんなんですか?」
933: 2014/08/27(水)17:10 AAS
満腹になり、脱糞・放尿をした膳場貴子さんは素っ裸のまま犬や猫のように居眠りを始めた。
膳場さんの肛門は汚れたままである。
お婆さんが箒と塵取りを持ってきて膳場さんが出したウンコの後始末をする。
手で鼻を押さえながらそれを見る古谷と國本。もう何も言えなかった。
とりあえず8月23日(土)の夜、古谷と國本はその近くの旅館に泊まった。
翌日、その農家に行く。膳場さんは相変わらず素っ裸で四つん這い、首輪と鎖で繋がれている。
昨日と同じように洗面器に入った餌を手を使わずにガツガツと食べる。
そして昨日と同じように膳場貴子さんは地面に脱糞・放尿をする。
古谷と國本は逆にそんな膳場さんが愛おしく思えて来た。
934: 2014/08/28(木)15:46 AAS
素っ裸で首輪と鎖に繋がれて四つん這いになっている膳場貴子さん。
この一週間に膳場さんが出した糞尿の為に小屋の中に異臭が漂っている。
お爺さんとお婆さんが水道にホースをつける。そして蛇口を捻って水を出す。
素っ裸の膳場貴子さんの全身を洗う。もちろん膳場貴子さんの肛門まで洗う。
膳場さんは気持ち良さそうだ。全身がきれいになった。
膳場さんの首輪が外される。立ち上がる膳場さん。膳場貴子さんの濃いマン毛がエロチックだ。
お婆さんが素っ裸の膳場さんを風呂場に連れて行く。既にお湯が汲んである。
ゆっくりと入浴をする膳場さん。随分時間が過ぎた。
居間で古谷と國本が待っている。どうやら膳場さんは風呂から出たようだ。
935: 2014/08/28(木)15:55 AAS
脱衣場で膳場さんはバスタオルで全身を拭く。バスタオルを体に巻いて別の部屋に行く。
髪をドライヤーで乾かす。パンティを履いてブラジャーをつける。
丹念にお化粧をする。パンティストッキングを履く。ブラウスを着る。
女性用のスーツ(膝が見えるスカート)を着る。居間に現れる。
「膳場さん。お綺麗ですね!」思わず古谷が見とれる。もちろん先程までの異臭などしない。
「まあ、古谷さん。お世辞がうまいわね。」「お世辞じゃないです。本当にお綺麗です。」
國本も膳場さんをウットリした目で見つめる。
膳場さんが封筒に入った謝礼をお爺さん・お婆さんに渡しながらお礼を言う。
「どうも一週間お世話になりました。」「こんなにたくさん・・・。いつもありがとうございます。」
936: 2014/08/28(木)16:00 AAS
外には膳場さんのお抱え運転手付の高級車が待っている。
膳場さんが高級車のドアの前に立つ。驚くばかりの美しさだ。
先程まで素っ裸で四つん這いで脱糞・放尿して異臭を振りまいていた姿が嘘のようだ。
この一週間でストレス発散が出来たのだろう。
古谷と國本が惚れ惚れしながら膳場さんを見ている。
「よかったら貴方達も私の車に乗って行きなさい。」「はい。ありがとうございます!」
膳場貴子さんは高級車の中から窓を開けてお爺さんとお婆さんにお礼を言うと東京の豪邸に帰って行った。
(終わり)
937: 2014/08/30(土)10:46 AAS
最初の特攻隊長・関大尉の母・サカエさんは、息子の戦死の知らせを聞いたとき、ただ放心したまま頭を下げ、さらに放心していくという状態だったそうだ。
戦後、サカエさんは地元四国西条市の石槌小学校の小使いとして暮らした。
小学校は狭い谷間にあり、見上げると空はあまりにも細い。
日に日にサカエさんの放心状態はひどくなり、ときどき思い出したように「そんな筈は無い」などと独り言をつぶやいたという。
最後の特攻隊長・中津留大尉を大分基地に配属させたのは、彼の上官であると同時に空中戦闘の師匠でもある「エンマ大王」こと江間少佐だった。
宇垣長官から大分基地に彗星飛行隊を派遣するように命じられた江間少佐は、その飛行隊長に中津留大尉を任命した。
中津留大尉の実家は大分の津久見にあり、奥さんが赤ちゃんを産んだばかりだった。
それで江間少佐は、中津留大尉が奥さんや赤ちゃんに会いやすいよう、彼を大分基地の飛行隊長にしたのである。
938: 2014/08/30(土)10:48 AAS
ところがまさか、その大分の彗星飛行隊に、特攻命令が下ってしまった。
江間少佐は、戦後永く、自分の行った人事を悔いた。
「私が中津留君を死なせたのです。私があのとき彼を‥‥。」
と、この人情家の元・七○一空飛行長は、取材に応えて泣いた。鬼の目ならぬエンマの目に涙であった。
中津留大尉の父・明さんは、終戦後、息子の帰りを楽しみに待っていたが、いつまでたっても何の連絡も無い。
やがて宇垣長官の特攻の道連れにされたと知り、たいそう落胆し、憤慨した。
海軍の大西瀧治郎中将、陸軍の阿南惟幾大将のように、なぜ宇垣は一人で自刃しなかったのか。
明さんは、所有するミカン畑の山道に息子の墓を建てた。
母・ヌイさんは、墓が建った後もあきらめきれずに、月の明るい夜に海を見つめた。
泳ぎが達者だった息子が沖縄からあちこち泳ぎ着いて、やがて還ってくるのではないか。そう思って光る海を見つめるのだ。
939: 2014/08/30(土)10:50 AAS
また、特攻は、必ずしも関大尉や中津留大尉のような優秀なパイロットばかりが行かされたわけではなかった。
未熟な少年兵が、性能の悪い練習機や、フロート付き水上機で特攻させられた例もあったのだ。
今は亡き俳優の西村 晃もそうした若い航空兵のひとりだった。運良く特攻に行く前に終戦をむかえたため、助かったのだ。
その西村 晃が生前、友人の映画監督・井筒和幸にこんなことを言っている。
「あんなふうに敬礼して見送ったんちゃうねん。みんな日本酒飲んだり、ポン打ったりな、滅茶苦茶して行ったんや。
あんなもの正気でな、突入なんてできるわけがない。ほとんど当たるのが嫌で怖気づいて帰ってくる。
しかし、着陸できないから、旋回してグルグルまわって、そのうち燃料がなくなって山に墜ちたとか、そんな例がいっぱいあったんだ。」
中津留大尉のような勇敢な人はむしろ例外中の例外で、大半は西村 晃の話のとおりだったのだろう。
その中津留大尉が最後の特攻隊長となり、宇垣の身勝手な命令を打ち砕いて日本を救ったのは、天の配剤だったのだろうか。
940: 2014/09/06(土)09:53 AAS
一度でいいから
膳場貴子さんに浣腸したい。
941: きけ わだつみのこえ 2014/09/10(水)17:00 AAS
“神様五分前”の日記に託されたその思い
今もし「あと一週間だけの命」と告げられたら、皆さんは何をされるでしょうか?
本当にそうなってみないと想像できないことです。が、病気や怪我であれば、
何とか命が延びてほしいと、自分も家族も熱望するに違いありません。
しかし巨大な戦争の流れに巻き込まれて、一人の力ではなす術がなく、
元気なのに間違いなく死ぬしかないとしたら、私たちは残された時間で何をするでしょうか。
942: きけ わだつみのこえ 2014/09/10(水)17:01 AAS
大塚晟夫(あきお)さんは、特攻隊員となって死を決意されたのですが、決まっていた出撃が延びたことで、生き延びの時間が出来ました。
そこで大塚さんは、自分の最後の数日を姉妹に知ってもらいたいと、密かにノートを手に入れて、日記を書き始められたのです。
限られた条件下で、書き直したり、書き足したりすることの出来ない日記です。
もう会うことの出来ない三人の姉妹に、生きている間に伝えたい気持ちが書き続けられました。
一旦中止された特攻(特別攻撃)は決行され、大塚さんの命は沖縄嘉手納(かでな)沖に消えたのですが(1945年4月28日・享年23歳)、思いは日記に残りました。
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