キルミーベイベー 1 (589レス)
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: 2015/10/09(金)15:51
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491: [sage] 2015/10/09(金)15:51:55 ID:xZx 楽しい時間も永遠に続くものではない。 キルミーベイベーの描く日常は、あまりにも幸福で、平穏としている。 幸福の終わりを知る我々は、その裏に不穏さ、非日常を見てしまう。 “不穏さ”はエンディングテーマという「アニメの終わり」に仕込まれている。 「いつまでふたりでいるのかな」と、日常の終局を予感させている。 もとよりソーニャは暗殺者であり、非日常の舞台装置と設定された。 物語は不穏と平穏の均衡によって生み出され、作中に時間軸を呼び込むが、キルミーベイベーは物語を描かなかった。 あたかも永遠の平穏が続くようにアニメを描いてみせた。 それは30分に渡る「つまらない」ほどの日常シーンの連続であり、起伏のない物語である。 しかしながらキルミーベイベーは永遠を担保していない。 時間軸は「べつのひ」とぼかされているが、季節は描かれている。 楽しい時間の終わりは常に仄めかされている。人間は有限性から逃れられない。 作中で描かれる日常が幸福で理想的なほど、反動的に、必然的に迎える日常の終わりを強く予感してしまう。 「楽しい時間」だけを描き上げたアニメから捨象された「終焉の予感」はフラストレーションとして視聴者の心に火種を残していく。 この火種は例外として、非日常に最も隣接する舞台装置は、最終話の最終パートに片鱗を覗かせた。 http://ikura.open2ch.net/test/read.cgi/anime2/1339218565/491
楽しい時間も永遠に続くものではない キルミーベイベーの描く日常はあまりにも幸福で平穏としている 幸福の終わりを知る我はその裏に不穏さ非日常を見てしまう 不穏さはエンディングテーマというアニメの終わりに仕込まれている いつまでふたりでいるのかなと日常の終局を予感させている もとよりソーニャは暗殺者であり非日常の舞台装置と設定された 物語は不穏と平穏の均衡によって生み出され作中に時間軸を呼び込むがキルミーベイベーは物語を描かなかった あたかも永遠の平穏が続くようにアニメを描いてみせた それは分に渡るつまらないほどの日常シーンの連続であり起伏のない物語である しかしながらキルミーベイベーは永遠を担保していない 時間軸はべつのひとぼかされているが季節は描かれている 楽しい時間の終わりは常にめかされている人間は有限性から逃れられない 作中で描かれる日常が幸福で理想的なほど反動的に必然的に迎える日常の終わりを強く予感してしまう 楽しい時間だけを描き上げたアニメから捨象された終の予感はフラストレーションとして視聴者の心に火種を残していく この火種は例外として非日常に最も隣接する舞台装置は最終話の最終パートに片鱗を覗かせた
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