キルミーベイベー 1 (589レス)
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492: 2015/10/09(金)15:53 ID:xZx(4/4) AAS
「暗殺者ソーニャ」は、いつまで二人でいられるのかわからない。

「女子高生やすな」は、やがて大人になる。

もし、キルミーベイベーが「暗殺者ソーニャの非日常」や「女子高生やすなの寂しさ」描いていたら、フラストレーションは物語の中で解決されただろう。
しかしキルミーベイベーは物語を描かずに、我々の無限の想像力へと続きを託した。
我々は「その後」を想像できても、決して1つの現実として定まることはない。
もしかしたら次の日の教室にソーニャは居ないかもしれない。
やすなは一抹の寂しさを心に秘めているかもしれない。
「ふたりのきもちのほんとのひみつ」は誰にもわからない。
アニメには次回という決定された可能性もあったが、今やそれも終わりを迎えた。
最終回は「つぎのひ」を残して幕を閉じた。
未来はあらゆる可能性を持つ永遠の中に幽閉されてしまった。

そして、有限性に縛られた我々は次の日に「楽しい時間」の終わりを予感する。

楽しい時間は終わった。解決の術を失ったフラストレーションは、もはや決して取り返しの付かないもの、すなわち「死」として受容される。

キルミーベイベーは「死」という有限性に縛られたものが迎える終わりに対する最大の形容を与えられた。
次の日は来ない。
視聴者に残されたものがあらゆる可能性を持つ未来への想像力なら、それは人生でしかない。
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