【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part4 (196レス)
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108: 名無しさん@おーぷん [] 2015/03/07(土)06:46:04 ID:RG4 「セフィロトの図案たち」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 61) --- Their offspring is the Vau of the Divine Name, attributed to the six lower Sephiroth to which Tiphareth is central. それらの子孫は、「ティファレト」を中心とする6個の下位の「セフィロト」に帰属される、 「神名」の「ヴァウ」である。 --- ここまで --- ここは、『The Golden Dawn/黄金の夜明け魔術全書』の「Fifth Knowledge Lecture/ 第五知識講義」の本文に詳しく書かれていますので、そちらをよく読んでおいてください。 ちなみに「生命の木」では、「2.コクマー」を父、「3.ビナー」を母とすると、それらと 直接の繋がりのある「4.ケセド」「5.ゲブラー」そして「6.ティファレト」が子に相当し、 「7.ネツァク」「8.ホド」そして「9.イェソド」が孫に相当するとも考えられます。 また、『旧約聖書:創世記』に名前が出てくる「アダム=コクマー」と「イヴ=ビナー」 の子供は、長男「アベル」と次男「カイン」そして三男の「セト」であり、その後、長男 と次男の間の事件により、三男の「セト」の「ティファレト」の家系が、旧約の歴史上の メインストリームとなっています。 つまり、「アダム」と「イヴ」は人類生産のマザーファクトリーであって、「アベル」の 量産型初号期、「カイン」の量産型二号機で、量産立ち上げ時の問題点を出しておいて、 量産型三号機「セト」で一応の完成形となったいうことですかね。 もちろん、「アダム」と「イヴ」の子供は、これだけではありません。 「アダム」と「イヴ」は最初の「男」と「女」であり、全人類の祖先となるわけですから、 「セト」を産んだ後に、『旧約聖書』には名前が書かれていない、量産型「名無し」の 子供たちを大量生産していくことになるのでした。 ちなみに、現代科学では、原初の単一個体としての「アダム」や「イヴ」は存在せず、 人類は「種」として、地球上のあちこちで全体的に入り組みながら進化していったと 考えられています。 というか、人類の進化の歴史については、実のところ、まだまだよくわかっていないん ですよね。 こういう考古学的な分野というのは、結構いいかげんなところもあって、一体何を信用 したらいいのか、ワタシにもよくわからないのでした。(苦笑) http://engawa.open2ch.net/test/read.cgi/uranai/1415827871/108
109: 名無しさん@おーぷん [] 2015/03/08(日)12:33:52 ID:4In 「セフィロトの図案たち」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 62) --- There are so many interchangeable symbols in the Qabalah that the system may appear to be more complicated than it actually is. 「カバラ」の中には、数多くの交換可能な象徴たちがあるので、体系は、それが実際には そうであるよりも、より複雑であるように見えるかもしれない。 But this concept of vital outpouring energy which, in intercourse with an organizing force, produces something else, is essential. しかし、組織化する力との交流の中で、何か他のものを産出する、生命維持に必要な 流出する精力についての、この概念は、必要不可欠なものである。 --- ここまで --- つまり、漠然とした「1.ケテル」とは違って、「2.コクマー」を父、「3.ビナー」を母と して、エロいこと、すなわち膣内に射精して数多くの子供たちが産まれるという概念は、 現実の我々の世界にとっては、最も重要な基礎的概念であるということです。 要するに、「1.ケテル」が産み出す単性生殖的なものは、しょせん神話の世界の物語で あって、我々のような下々の人間にとっては、すこぶるどうでもいいということであり、 それよりも、「父」と「母」を、もっと大事にしましょうとか、性教育をしっかりと 行いましょうというような、教育的指導であるわけですよ。 それはともかく、二番目の文章には、結構エロい単語が、いくつか意味深気味に使われて いるのに、お気づきでしょうか。 考えてみれば、「生命の木」の中で、男と女の対立概念がしっかりと出てくるのは、 この「至高の三角形」にある「コクマー」と「ビナー」の部分なんですよね。 つまり、古代のカバラ主義者は、それほどまでにエロいこと好き、いやいや男と女という ものの神秘さを、極めて高く評価していたということでもあります。 つまりは、この世界は、エロい行為で満ち満ちている、と言っても過言ではないという ことなのですよね。 そもそも、我々自身も、そういうエロい行為から産まれてきたわけですからね。 http://engawa.open2ch.net/test/read.cgi/uranai/1415827871/109
110: 名無しさん@おーぷん [] 2015/03/09(月)06:37:04 ID:NfJ 「セフィロトの図案たち」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 62) --- For example, the Hebrew letter Heh applies to Binah, but as the oldest of the Planets is also applied, another suggestion is involved. たとえば、ヘブライ文字の「ヘー」は「ビナー」に当てはまるが、しかしまた、惑星たちの 最も古いものが当てはめられるというように、別の提案では関係している。 --- ここまで --- とりあえず、「コクマー」と「ビナー」について、そして「生命の木」については、 色々なものを当てはめることが出来るよ、ということですよね。 そしてここでは、「生命の木」と「聖四文字」の対応、そしてこれは「アッシャー界」に 限定されるのですが、古代の天動説における「天球」への対応があるよ、ということです。 ちなみに、「oldest of the Planets/惑星たちの最も古いもの」というのは、古代より 知られており、ゴールデン・ドーンの魔術理論にも適用されている「日・月・水・金・ 火・木・土」の、いわゆる「七惑星」を意味します。 なお、「生命の木」では、それらに「ケテル=原初動」と「コクマー=黄道十二宮」と 「マルクト=地球」を加えて、「十の天球」を構成しています。 また、それ以外にも、アッシャー界における様々なものを「生命の木」に割り当てることが 可能となっていますので、興味のある人は、自分でも色々と当てはめて遊んでみるのも良い かと思います。 というか、そういうふうに、「生命の木」をテンプレートとして、我々の身の回りにある 様々なものに、「上の如く、下も然り」の原理を応用して当てはめて解読していくという のが、「生命の木」の実用的な使い方でもありますので、ぜひ皆さんも気軽に遊んでみて くださいね。 http://engawa.open2ch.net/test/read.cgi/uranai/1415827871/110
111: 名無しさん@おーぷん [] 2015/03/10(火)06:50:00 ID:pWi 「セフィロトの図案たち」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 62) --- For Saturn "devours its children." 「サターン(土星)」が、 「その子供たちを飲み込む」 に関しては。 The meaning here is two-fold: first that death is implicit in birth; second, and at a deeper level, that the Universe itself, the pattern of interwoven energies resulting from the balance of Chokmah and Binah, will eventually withdraw inwards along the same course through which it evolved. ここの意味は二重である。:一番目のものは、死は誕生の中に暗黙的に在るものである。; 二番目、そしてより深い段階においては、「コクマー」と「ビナー」の均衡に起因する 織り交ぜられた精力たちの様式である、「宇宙」それ自体は、結局は、それが発展したもの を通り、同じ経路に沿って内部へと撤退する。 --- ここまで --- 「Saturn/土星」の守護神である、ローマ神話の農耕の神「Saturnus/サートゥルヌス」 は、ギリシア神話の大地と農耕の神「Kronos/クロノス」と同一視されて、クロノスの 子を食ってしまうという神話属性を受け継いでいます。 ちなみに神話では、夫のクロノスがと妻レアーの間には、六人の神、すなわちヘスティアー、 デーメーテール、ヘーラー、ハーデース、ポセイドーン、そしてゼウスが産まれています。 さて、この神話と、「death is implicit in birth/死は誕生の中に暗黙的に在る」の 関係ですが、いまいち良くわかりません。 クロノスが、万物を切り裂くアダマスの鎌を持ち、農耕の収穫の時を知らせる神である ことからの類推なのかもしれません。 もしくは、後になって同一視された時の神「Khronos/クロノス」の類推で、全ての生物 は、時が経つと死ぬことを意味しているのかもしれません。 まあいずれにしても、「生」と「死」は、常に隣り合わせの存在であって、その属性は、 「コクマー」と「ビナー」に起因するということが、ここで述べられているという わけです。 つまり、「アッシャー界」においては、「コクマー」と「ビナー」が輪廻転生の源であり、 そこから解脱することは、「ケテル」を通って、上位世界に至ることを意味しているいう 感じになるわけですかね。 ちなみに、この我々の宇宙の終焉ですが、現代宇宙論によると、ビッグバンの反対方向の 「eventually withdraw inwards/最終的に内部へと撤退する」というビッグクランチに なるのではなくて、永遠に膨張を続ける方向で終焉を迎えるそうです。 この点は、カバラ理論と現代科学の相違点となっている箇所ですね。 http://engawa.open2ch.net/test/read.cgi/uranai/1415827871/111
112: 名無しさん@おーぷん [] 2015/03/11(水)07:00:34 ID:PX1 「セフィロトの図案たち」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 62) --- The mysteries of the number two must be viewed as the interaction between opposites, found throughout the Tree of Life, and originated in the opposition of Chokmah and Binah. 数2の神秘たちは、「生命の木」の至る所に見つけられ、「コクマー」と「ビナー」の対立 を起源とする、正反対のものたちの間の相互作用とみなされなければならない。 This involves fluid polarities, such as anabolism and catabolism (building up and tearing down), waxing and waning, life and death, etc. これは、同化作用と異化作用(築き上げることと、取り壊すこと)、満ちることと欠ける こと、生と死などの、流動的な極性に影響を及ぼす。 --- ここまで --- 要するに、この世の全ての極性のあるものは、「至高の父コクマー」と「至高の母ビナー」 の対立関係に起因するものであって、「夫婦喧嘩」とか「夫婦和合」とかの「夫婦関係」 に最終的には依存しているということです。 もちろん、この他にも「嫁姑問題」とか「親子問題」とか、まあ世の中には色々とあるわけ ですが、全ての物事の根本にあるものが、この「至高の夫婦関係」ということですよね。 そして、この「nabolism and catabolism/同化作用と異化作用」というのは、夫婦関係に おける「同居と別居(結婚と離婚)」であり、「waxing and waning/(月が)満ちること と欠けること」は「愛情が満ちることと欠けること」であり、「life and death/生と死」 は、「愛が生まれ、そして死んでいくこと」となるわけです。 とはいえ、何でもかんでも、この「夫婦関係」に責任を取らせるというのも酷な話ですし、 それ以上に、この「夫婦関係」というもの自体が、極めてクリティカルな問題ですので、 そうそう簡単に他人が理解できるものでもないわけです。 そもそも「生命の木」においても、この「夫婦関係(コクマーとビナー)」の下には、 そこから派生した様々な関係性を持つガード(それ以下のセフィロト)が張られており、 一般人は、そう簡単には、この「夫婦関係」には立ち入れないようになっていますからね。 もう一つ言うと、様々な場面で引き合いに出される「愛情」という不思議なエネルギーは、 この「コクマー」と「ビナー」の「夫婦関係」に起因するものなのですが、思った以上に 上位にある概念であるために、時に「究極の神秘」として語られるものでもあります。 要するに、ワタシには「愛なんて、全然わかんな〜い!」ということなのでした。 ・・・誰かワタシに愛を教えてください。(切実) http://engawa.open2ch.net/test/read.cgi/uranai/1415827871/112
113: 名無しさん@おーぷん [] 2015/03/12(木)06:40:14 ID:H62 「セフィロトの図案たち」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 62) --- However, these opposites are not static. しかし、これらの正反対のものたちは静的ではない。 They are not pure and immobile positive against pure and immobile negative, held opposite one another in a sort of celestial check-mate. それらは、天界におけるチェック・メイトのような、お互いに正反対の位置に保持され、 純粋な不動の陰に対抗する、純粋で不動の陽ではない。 There is a constant growth and movement. そこには、絶え間ない成長と活動がある。 --- ここまで --- 「celestial check-mate/天界におけるチェック・メイト」というのは、いまいち意味が よくわからないのですが、たとえば天球における「天の北極」と「天の南極」のように、 完全に正反対の位置にあって、お互いに動くことのない、そして動きようのない状態、 つまり、お互いに「詰み(Checkmate)」の状態で、「完全に終わってしまったもの」という ことではないかと推察しています。 ちなみに、「コクマー」と「ビナー」は、ゴールデン・ドーンの立体天球上においては、 「北極」と「南極」ではなくて、「北緯60°」に、それぞれ位置づけられています。 まあ、いずれにしても、「コクマー」と「ビナー」の夫婦関係というか「男女関係」と いうか「陰陽関係」というか「凸凹関係」とかいうものは、決して絶対的で固定的なもの ではなく、かなり曖昧というか、状況によって色々と変化できる、かなり柔軟な性質を 持っているということです。 結局のところ、「生命の木」のトップクラスにある「コクマー」と「ビナー」が、この ような、割といいかげん、いやいや、柔軟な性質を持っているために、「生命の木」自体 も、かなりの柔軟性を持っているわけですが、それゆえ様々な解釈が可能となっている わけですので、そういう意味では、恋愛が絡んだ問題と一緒で、結構面倒くさいことに なっているというわけです。 要するに、手抜きすると、こっちを立てれば、こっちが立たず、というような「詰み」の 状態に陥るわけであって、そういう事態にならないように、絶妙かつ微妙な関係を作り上げ ていくという不断の努力、すなわち「constant growth and movement/絶え間ない成長と 活動」が必要とされるということなのですよ。 あー、やっぱり恋愛なんて面倒くせぇ〜。(苦笑) http://engawa.open2ch.net/test/read.cgi/uranai/1415827871/113
114: 名無しさん@おーぷん [] 2015/03/14(土)06:27:21 ID:E8T 「セフィロトの図案たち」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 62) --- As change occurs in the energy of one Sephira, there is a natural balancing response in its opposite, an effect which is seen dramatically as the Sephiroth are applied to aspects of the microcosm. 変化が一方の「セフィラ」の精力に生じる時には、その反対側の中には、自然な釣り合いを 取る反応があり、その効果は、「セフィロト」がミクロコスモスの様相に適用される時も 同様に、劇的であるように見られる。 There is a continual interchange which might be likened to the breathing in and out suggested by the Divine Name of Kether, Eheieh, which sets the pattern for all beneath it. それの下にあるすべてにとっての雛型となる「ケテル」の神名である「エヘイエ」により 示唆される、息を吸って吐くことに例えられるかもしれない継続的な交換がある。 --- ここまで --- ここでいきなり「microcosm/ミクロコスモス(小宇宙)」の話に飛躍してしまったので、 理解できない人もいるかと思いますので、改めておさらいしておきます。 後半の文章は、以前にも説明していたように、『The Golden Dawn/黄金の夜明け魔術全書』 の「First KnowledgeLecture/第一講義文書」の「Meditation No.1/第一瞑想」と呼ばれ ている、「ケテル」についての瞑想作業のことを指しています。 そして、その作業の中で用いられる「FourFold Breath/四つの呼吸」そして「counting 4 /四つ数える」ことが、「AHIH/Eheieh/エヘイエ」という四文字の神名そのものであり、 そしてこの瞑想の呼吸によって得られる効果そのものが、神名の効果、そしてセフィロトの 効果ということであり、こうしたきちんとした瞑想を行うことで、身体と精神に、様々な 影響を及ぼすことが出来るはずである、ということなんですよね。 ちなみに、この手の呼吸法ですが、きちんと体得することって、結構難しいです。 どうしても、色々な雑念が入ってしまいますし、ワタシみたいに特に雑念の多い人には、 こういう単調な呼吸を長く続けること自体が苦痛に思えることもあるわけです。 やってるうちに、瞑想ではなくて、迷走状態に陥ってしまいますしね。 ではどうしたらいいのか。 こういうのは、一人でやってもつまらないので、できれば二人もしくは多人数で、 半ば強制的というか義務的にトレーニングするのがいいんですよね。 え、引きこもりだから、そういうのは無理ですって? まあ、そういうのが無理な人には、それ以上はお勧めしません。 そもそも、瞑想というのは、自らに課す体力と精神力のトレーニングみたいなものです ので、そういう体育系のノリが苦手な人には、いまいち向いていないのではないかと思う わけなのでした。 そういうわけですので、皆さんも、ダメ元だと思って、とりあえず気楽に妄想、いやいや 瞑想にチャレンジしてみてくださいね。 http://engawa.open2ch.net/test/read.cgi/uranai/1415827871/114
115: 名無しさん@おーぷん [] 2015/03/15(日)07:16:21 ID:1cB 「セフィロトの図案たち」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 62) --- The key to all systems, and to the Universal Pattern, is Chokmah, which may be considered the only "reality" as opposed to Kether, which is not. すべての体系たち、そして「普遍的な様式」の鍵は、「非(実在)」である「ケテル」と 対比されるように、唯一「実在」でしかないと考えられるであろう「コクマー」である。 One can conceptualize the Universe as Non-Being (Kether) and Being (Chokmah). 人は、「非存在(ケテル)」と「存在(コクマー)」として、宇宙を概念化することが できる。 It is rather like an electrical switch which is turned off in Kether and turned on in Chokmah. それは、「ケテル」で切られ、そして「コクマー」で入れられる電気のスイッチに少し 似ている。 The power is potential in Kether, but it does not begin to function until the switch is turned on. 力は「ケテル」においては潜在的ではあるが、しかしそれは、スイッチが入れられる までは、機能し始めない。 --- ここまで --- 「ケテル」が「非実在」であり「非存在」であるというのは、あくまでも我々の認識の 問題であって、決して「無」ではないわけです。 でも、我々にとっては、見たり触ったり感じたりすることの出来ない、そして理論化する ことも出来ない、実質的には「無きに等しいもの」ということなんですよね。 ただし、あくまでも「実質的に」、つまり実数空間的に、ということであって、純粋理論の 虚数空間理論では、こういう「非存在」なるものも定義可能ではないかと思われます。 さて、この場合、「ケテル」と「コクマー」の関係性は、ごくごく単純に ・「ケテル」=無きもの ・「コクマー」=在るもの という対比になります。 ちなみに、「男」とか「女」という関係性は、「ビナー」が生み出されるまでは、まだ 出てきません。 この段階では、単純に「非現実」と「現実」の違いというだけです。 ちなみに、我々が良く使っている「非現実(二次元)」と「現実(三次元)」とは、 全く異なる概念ですので、くれぐれも混同しないようにしましょう。 http://engawa.open2ch.net/test/read.cgi/uranai/1415827871/115
116: 名無しさん@おーぷん [] 2015/03/16(月)06:39:18 ID:vCU 「セフィロトの図案たち」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 62) --- To understand how this works, let us imagine ourselves "switched on" in Chokmah, in a state of deep meditation, with the reality of our current existence welling up in our minds. どのようにこれが働くかを理解するためには、深い瞑想の状態の中で、我々の精神たちの 中に湧き出る我々の現在の存在の実在と共に、「コクマー」の「スイッチが入れられる」 我々自身を想像してください。 --- ここまで --- 最初に断っておきますが、この手の話題は、あくまでも「たとえ話」であって、それ以上 でもそれ以下でもありません。 これについては、きちんと理解しておいてください。 さて、「ケテル」と「コクマー」の違いを改めて書くと、 ・「ケテル」=「非実在」 ・「コクマー」=「実在」 ということでしたよね。 この両者の違いを、我々の到達可能な精神レベルにおいて、バーチャル体験することを 可能にするのが、この妄想法、いやいや瞑想法なのです。 前述の「Meditation No.1/第一瞑想」は、「ケテル」についての瞑想作業でした。 つまりこれは、我々の内部状態をリセットし、全てのスイッチをOFFにするという初期化の 手順というわけです。 そして、この初期化された状態から、内部のスイッチを切り替えて、どう状態が変化するか を確認していくのが、次の自己研究の課題となるわけです。 さて、ここで問題になるのは、それらのスイッチがどこにあって、どういう状態がONで、 どういうのがOFFなのかということなのですが、しょせんは妄想レベルのもの、いやいや 主観的なものであるため、結局のところ、その人に依存するわけです。 まあ、経絡秘孔みたいに、効果のはっきりと出る秘伝のツボみたいなものがあればいいの ですが、今のところは、かなり漠然とした「生命の木」のマップくらいしか、使えるもの は無いわけですので、はっきり言って、人それぞれということになってしまいます。 まあ何にせよ、「よくわかんないけど、とりあえずやってみよう」という、割といいかげん、 いやいや積極的な姿勢が、この手の話には大事なわけです。 それに「我思う、故に我あり」という第一命題を、心と体できちんと会得しておかないと、 この先には、うまく進むことが出来ないわけですので、面倒ですが、とりあえず一度は やってみておいてください。 ここがきちんと出来ていないままで、この手の魔術を習得すると、自我肥大して、闇堕ち してしまうことにもなりかねませんからね。 http://engawa.open2ch.net/test/read.cgi/uranai/1415827871/116
117: 名無しさん@おーぷん [] 2015/03/17(火)06:38:25 ID:e7a 「セフィロトの図案たち」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 62) --- We dream ourselves, yet that which is dreamed is unaware of the dreamer. 我々は、我々自身の夢を見ているけれども、まだそれが夢に見られているものであることは、 夢見る人は気づいていない。 Here is what is meant by the Chinese story of a man who dreams he is a butterfly, but on waking wonders if he is actually a butterfly dreaming that he is a man. ここは、彼が蝶であることを夢に見ているけれども、起きた時に、彼は実際は、彼が人で あることを夢に見ている蝶であるのではないかと思っている人の、中国の物語により意味 されているものである。 --- ここまで --- さらに、ややこしい話は続きます。 ちなみに、後半の説話は、中国の荘子(BC369?-BC286?)のものと言われています。 さて、「ケテル」と「コクマー」の違い、すなわち「非実在」と「実在」に関する話は、 とことん哲学的であって、現代科学の範疇を超えるものですので、そう簡単には説明でき ないわけです。 つまり、一般人である我々には、理解できなくても当然のことですので、わかんなくても あまり心配しないでください。 逆に、この手の話を「オレは何でも知っている」風に話す人は、単なる詐欺師ですので、 近づかない方が無難かと思います。 さて、我々が「実在」するということを客観的に証明することは、出来るのでしょうか。 そう、我々は、「ケテル」の神名である「AHIH/エヘイエ/私はある」ということを自覚 しているということ以上のものは、実は何も無いわけなのです。 そして、我々自身が、「私はある」と思っているということは、本当に我々が「実在して いる」ということを証明しているのでしょうか。 ひょっとして、単なる我々の脳内妄想なのかもしれないし、そもそも我々という実在は、 既にこの世界には存在せず、どこかの巨大コンピュータの内部に構築されたバーチャル宇宙 のバーチャル地球上に存在する単なるアバターみたいなものであるのかもしれません。 いやそんなことはない、だって「オレがオレであるという自意識はある」という人もいる かもしれません。 でも、「我思う、故に我あり」という命題は、厳密に証明されたものでもありませんし、 そもそも「自意識」というものが何であるかについては、現代においても、まだまだ解明 されていないものなのです。 今言えることは、この「自意識」というものは、我々の脳内で作り出された「幻影」の 一つであって、要するに「夢」と同質のものであるということだけです。 そして、このことは、「自意識」により構築される「リアル」と「バーチャル」という 空間認識は、実は同質であるということをも意味しているわけです。 つまり、「我思う、故に我あり」という言葉は、「バーチャル(二次元)」と「リアル (三次元)」の切っても切れない深い関係性を意味しており、両者を区別して語ることは 全くもって無意味であるということなのですよね。 http://engawa.open2ch.net/test/read.cgi/uranai/1415827871/117
118: 名無しさん@おーぷん [] 2015/03/18(水)06:56:21 ID:aXp 「セフィロトの図案たち」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 62) --- That we meditate ourselves, like a dream inside out, is the ultimate fact of our earthly existence. 我々が裏返しの夢のように我々自身を瞑想することは、我々がこの世に存在していることの 究極の事実である。 The inner "I" dreams what we perceive ourselves to be in life; we, as such, do not exist, an idea which may be very frightening to some and exhilerating to others. 内なる「我」 は、我々が、我々自身が生命あるものであることを悟ることを夢見る。; 我々は、それ自体としては、存在しないという、そういう考え方は、ある人にとっては 非常に恐ろしいものであり、それ以外の人にとっては非常に爽快なものであるかもしれない。 --- ここまで --- つまりは、「dream/夢を見ている」ことこそが「life/生命ある」ことであり、そして、 「exist/存在している」ということであって、結局のところ、我々が思う「現実」とは しょせん「夢」でしかないという、もう完全に開き直った考え方ですよね。 まあ、この手の話がよくわかんない人は、頭が混乱するだけですので、あまり近寄らない 方が良いかと思います。 ついでに言うと、「夢」と「現実」の区別の付かない糖質気味の人には、絶対に立ち入って ほしくない領域の話ですしね。 そして、変に「frightening/恐れる」ことなく、そして変に「exhilerating/爽快になる」 ことなく、淡々と自分自身を見つめることの出来る人にのみ、この先の未知なる扉は開か れているというわけです。 ちなみに、ここの「exhilerating」は、「exhilarating」の誤記だと思われます。 いずれにしても、「カバラ」というものは、そういった「感情」や「感覚」をも活用しな がら、自分自身の内なる世界を探究するものですので、変に心理的なタブーを作ったり、 生理的な拒否感を持つような人には、いまいち向いていないんですよね。 そういう人は、近づかない方がいいですし、近づいてほしくもないわけです。 そして、淡々と、自己の内なる世界で、自分自身をターゲットにして遊んでいられるような 引きこもり気味の人にとっては、「カバラ」というのは、割と面白い哲学的な「遊具」では ないかと思うのでした。 そう、この世の全ての存在(リアル)は「like a dream inside out/裏返しの夢のよう」なの ですからね。←何となく勝ったような爽快さww http://engawa.open2ch.net/test/read.cgi/uranai/1415827871/118
119: 名無しさん@おーぷん [] 2015/03/20(金)06:58:04 ID:jcW 「セフィロトの図案たち」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 62) --- Now this dream of life of ours has some very specific dimensions, or whatever they may be called. 今では、我々の生命のこの夢は、いくつかの非常に特殊な次元たち、もしくは、それらが 呼ばれているであろう何とかを持っている。 Such dimensions are usually described in spatial terms because that is our best frame of reference. そのような次元たちは、それが我々の参照の中で最良の枠組みであるので、(宇宙)空間的 な用語たちで、一般的に記述される。 --- ここまで --- つまりは、「dream/夢を見ている」ことが「life/生命ある」ことであるということに 気づいたアレな人々が、それをネタに、今では色々な独自の妄想次元を展開していると いうことですかね。 でもまあ、ワタシには、そういう「very specific dimensions/非常に特殊な次元」の 分野の話って、いまいちよくわかんないんですよね。 というか、その手の難しい話には、いまいち興味が湧いてこないんですよね。 たとえアニメ化されたとしても、そういう宇宙的電波系の話は苦手とする分野ですし、 どちらかというと、脳ミソお花畑系の話の方が好みなのでした。 どうでもいいけど、ドロンジョ様って、かわいいよね〜。←難しい話に飽きてきたw http://engawa.open2ch.net/test/read.cgi/uranai/1415827871/119
120: 名無しさん@おーぷん [] 2015/03/21(土)09:01:15 ID:AIR 「セフィロトの図案たち」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 62) --- The Qabalah describes an evolution downwards from Chokmah, and various levels of the self-dream which are the symbolic Sephiroth. 「カバラ」は、「コクマー」から「下向き」への発展、そして象徴的な「セフィロト」で ある自己夢の様々な段階を説明する。 Other systems explain these levels of self as sheaths developing outward from the "I" (Monad, Supreme Spiritual Self, etc.) which does the meditating. 他の体系たちは、瞑想することを行う「私」(単子、究極の霊的自己など) から「外向き」 へと発達している鞘たちとして、自己のこれらの段階を説明する。 Some of the most complex discussions of these sheafs are given by Alice Bailey. これらの束たちの最も複雑な議論たちのいくつかは、アリス・ベイリー氏より与えられる。 Another who attempts an explanation is Dion Fortune, author of The Cosmic Doctrine. 説明を試みる別の者は、「宇宙の教義」の著者である、ダイアン・フォーチュン氏である。 --- ここまで --- 「下向き」とか「外向き」とか言われても、一般人にとっては、よくわかんない話ですよね。 ちなみに、アリス・ベイリー氏(Alice Ann Bailey, 1880-1949)は、イギリス出身の神智学 系統のオカルト作家で、かなりの著作があります。 一方で、ダイアン・フォーチュン氏(Dion Fortune, 1890-1946)は、イギリスの魔術師系統 のオカルト作家として、かなりの著作があります。 いずれもゴールデン・ドーンの次の世代の女性の電波系作家ですので、ひょっとすると、 ゴールデン・ドーンの男性型電波系とは、微妙に対立している思想なのかもしれませんね。 まあいずれにしても、この神智学系とかオカルト心理学系というのは、ワタシは苦手として いる分野なんですよね。 スピ系の人って、バーチャル(二次元)と現実(三次元)の区別がきちんと付けられない人 が多いので、割とニワカなワタシとは、いまいち話が噛み合わないのでした。 というか、何を話しているのかが、いまいちよくわかんないのでした。 え、おまいの話の方が、よっぽどよくわかんないって? ですよねー(苦笑) http://engawa.open2ch.net/test/read.cgi/uranai/1415827871/120
121: 名無しさん@おーぷん [] 2015/03/22(日)07:10:03 ID:BfO 「セフィロトの図案たち」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 63) --- Such systems, however, appear so obtuse as to be unapproachable by all but a very few. そのような体系たちは、しかしながら、ごく少数のものを除けば、とても愚鈍なものであって、 近づきがたいように思える。 --- ここまで --- ゴールデン・ドーン以降に作られた「カバラ」以外の体系論は、難しすぎて近づきがたい、 というよりも、頭が悪すぎて近づきたくもない、という感じですかね。 まあ、「自己意識」について、各自で手前味噌な持論を雄弁に語ってもらうのは、それは それでいいのですが、何を言っているのか、さっぱりわかんない人って、確かにいますよね。 とりあえず、わけのわからない話は、適当に切り上げておくのが、良いかと思います。 さて、問題なのは、この「コクマー」を構成する「自己意識」というものについて、我々は どうやって向きあっていけばいいかということですよね。 これは、自分自身に関する問題になりますので、思ったよりも簡単ではないのです。 人間って、他人のことはとやかく言うけれども、自分自身のことって、あまりきちんと 見えていないことって、結構あるわけです。 ましてや、自己の内面に、きちんと向き合える人なんて、ほとんど存在しないわけです。 そう、「カバラ」ってのは、そういうことを行うための「勉強法」なんですよね。 とはいえ、その方法についての具体的なことは、この本には述べられてはいません。 その手のことに興味のある人は、自分で調べて、自分に合った方法を試してみてください。 http://engawa.open2ch.net/test/read.cgi/uranai/1415827871/121
122: 名無しさん@おーぷん [] 2015/03/23(月)07:18:10 ID:mQM 「セフィロトの図案たち」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 63) --- Yet when the Universal Patterns are glibly called "so simple that they could be explained to a child," two ideas are intended: けれども、「普遍的な様式たち」が、「子供にも説明できるほど簡単なもの」と、もっとも らしく呼ばれる場合は、2つの考え方が意図される。: First, what we have described as dreaming our own existences. 最初は、我々は、我々自身の存在たちを夢見ていると言い続けていること。 And second, that we are all, collectively, what is known as God, but are not aware of it. そして2つ目は、我々は全て、集合的に、「神」として知られているものであるけれども、 それに気づいていないということ。 --- ここまで --- 残念ながら、どちらの考え方も「so simple that they could be explained to a child/ 子供にも説明できるほど簡単なもの」ではありませんが、それでも「一言で言う」ことの できる程度の簡単さではあります。 でも、決して「短い言葉だから簡単である」ということでは無いんですよね。 厄介なのは、いずれの考え方も、しょせん「仮説」でしか無いわけであって、誰もそれを 客観的に証明できない、つまり納得のいく説明をすることが出来ないということなのです。 要するに、「自己意識」なるものの存在を確認できるのは、「自分自身」以外には無いと いうことなんですよね。 そして、この時点で証明が無限ループしてしまって、永遠に結論にたどり着けなくなって しまっているわけです。 この無限ループから解脱する方法は、残念ながら今のところは存在しません。 もちろん、解脱したつもりになって、現実逃避することは可能なのですが、それでは 何の解決にもなりませんし、何より得るものがないわけです。 とりあえず、今のところは、結論は全く見えていませんが、それを見ようとして努力する ことは、とても大事なことだと思うのですよ。 そして、その努力する方法の一つとして、この「カバラ」の教えがある、ということです。 そう、「カバラ」というのは、単なる知識では無いわけです。 それは、「哲学すること」、つまり「人が人として存在することを、とことん考える学問」 そのものなんですよね。 あ、ワタシはカバリストではありませんので、自分自身の存在について、それほど深くは 考えていませんので、よくわかんないんですけどね。←自己逃避w http://engawa.open2ch.net/test/read.cgi/uranai/1415827871/122
123: 名無しさん@おーぷん [] 2015/03/24(火)06:51:14 ID:LaZ 「セフィロトの図案たち」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 63) --- The loss of our sense of oneness with the Divine, however this may have happened, is the symbolic Fall (again, a spatial reference to going "downwards"). 「神性」との一体性の我々の感覚の喪失は、これがどのようにして起きているとしても、 象徴的な「墜落」(さらに、「下向き」に進むことについての空間的な言及)である。 --- ここまで --- いずれにしても、『聖書』を前提とした「カバラ」の解釈では、この「Fall/墜落」、 すなわちアダムとイヴのエデンの園からの追放の物語が、元ネタとなってくるわけです。 この『旧約聖書:創世記』の「楽園追放」の部分は、じっくりと読んで自分なりに解釈して みると、ネタとして、なかなか面白い部分ですし、現代においても、様々に解釈され妄想 されて、色々なジャンルにおいて元ネタとなっているのは、皆さんご存知の通りです。 もちろん、「カバラ」では、そういう上っ面の部分ではなくて、「瞑想」という「自己夢」 の手段を用いて、自分自身の内なる世界を詳しく探検しながら、上位の神世界へと上昇して いくわけですが、そこにあるのが、冒険のステージとなる「セフィロト」であり、それらを 一つずつ辿ることによって、我々が失っていた「神性」のアイテムを取り戻すということに なるわけです。 まあ、口で言うのは簡単ですが、素人にとっては、そう簡単にビジュアル化することは 出来ませんので面白いものでもありませんし、そういう自己探求を目的とする瞑想って、 それなりに難しいというか危ないものですし、さらに実用的でもありませんので、一般の 人には、あまりお勧めできるものではありません。 そもそも、妄想で「神性」を取り戻したところで、何の役にも立たないわけですからね。 それでも、そういう「上位の世界」があることを、どうしても知っておきたい、経験して おきたいという物好きな人(ただし、糖質系の人を除く)にのみ、お勧めしておきます。 ということで、ワタシはもっと別の目的で迷走、いやいや「瞑想」するのでした。←無責任w http://engawa.open2ch.net/test/read.cgi/uranai/1415827871/123
124: 名無しさん@おーぷん [] 2015/03/25(水)07:19:34 ID:wI0 「セフィロトの図案たち」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 63) --- These two concepts are, at first, understood intellectually (the "Vision of the Machinery of the Universe" of Yesod). これらの2つの概念たちは、最初は、(「イェソド」の「宇宙の機構の幻想」として) 知的に理解される。 Then the intellectual work turns into a profound inner understanding. それから、知的な作業は、深遠なる内なる理解に変化する。 We surpass thought and begin to function consciously with our inner dream-maker. 我々は思考を乗り越えて、我々の内なる夢の創造者と共に、意識的に機能し始める。 --- ここまで --- 「イェソド」の「The Vision of the Machinery of the Universe/宇宙の機構の幻想」 というのは、クロウリー氏の『Liber 777/777の書』の「TABLE OF CORRESPONDENCES TABLE I/万物照応表 表T」の中にある、「Key Scale/キースケール」が「9」、 すなわち「イェソド」に対応している箇所に掲載されています。 ちなみに、この「イェソド」の段階では、我々のような一般人でも、比較的容易に見ること ができる「幻想」で理解することが可能なレベルであるということですよね。 ただ、そこから先は、「内なる世界」の話になってきますので、それなりの準備と覚悟 が試されることになるわけであって、その壁を乗り越えることが出来る人だけが到達可能 な世界が、広がっているというわけです。 まあ、そういう世界に行くのは勝手ですが、違う世界に迷い込んで、帰って来れない人も 多くい世界ですので、小心者のワタシは、なかなか足を踏み入れたくは無い世界です。 つまり、「イェソド」あたりで、色々とエロ妄想しながら、チラシの裏に書くような、 どうでもいい話を、ここに書き綴るというのが、ワタシの日課となっているのでした。 とは言っても、実のところ、この「イェソド」あたりでの妄想って、一般人にとっても 比較的簡単に理解してもらえるレベルですので、割と実用的でもあるわけです。 そして、知的な人とか、創造性豊かな人には、この辺りの妄想を、うまく使いこなして いる人も多く見られるわけです。 さらに言うと、「イェソド」を超えた「内なる世界」で妄想をしている人は、周囲からは 危ない人扱いされることもままありますので、もし上位レベルに運良く到達出来た上級者 であっても、そういうことは、軽々しく他人には言わない方が無難だと思うのでした。 というか、本当にそのレベルにまで到達出来た人は、おそらくそういうことを赤の他人 には言わないと思うのです。 つまり、世間で、そういうことを公表している人って、とことん勘違いしている人か、 もしくは詐欺師であると思っていいと思うのでした。 というワケですので、一般人のワタシは、そういう危ない人には、あまり関わりたくは ないわけですよ。←おまいが言うなってww http://engawa.open2ch.net/test/read.cgi/uranai/1415827871/124
125: 名無しさん@おーぷん [] 2015/03/26(木)06:52:23 ID:lRO 「セフィロトの図案たち」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 63) --- Here it may be appreciated that when the Dreamer and the Dreamed (as we know ourselves) begin to cooperate, we acquire a control over what happens to our lives that is truly extraordinary. ここにおいて、(我々が我々自身を知るにつれて)「夢見る者」と「夢見られる者」が 協力し始める時に、我々は、我々の生命たちにとって本当に途方もないことが起こること の制御を習得するということの真価が認められるかもしれない。 --- ここまで --- 今まで、色々と「自己夢」について述べてきましたが、「イェソド」レベルで頭の良い人、 そしてさらにその上位の「内なる世界」を経験してきた人であれば、その「夢物語」の 全貌が、ある程度は感覚的に理解できるようになってきていると思います。 そして「Dreamer/夢見る者」と「Dreamed/夢見られる者」についての関係性というのも、 なかなか奇妙なものです。 ざっくり言うと、哲学的に見れば、我々は「夢見る者」の立場であり、神学的に見れば、 我々は「夢見られる者」の立場に近い感じですかね。 要は、我々が我々自身をどう解釈するかによって、その立場は変わるということです。 いずれにしても、ここで重要なのは、我々自身は「単一体」ではない、ということであり、 「夢見る者」と「夢見られる者」という「対」があることで始めて、「自分自身」という 存在を認識できるようになるということなんですよね。 つまり、「our lives/我々の生命たち」、すなわち「自分自身」の理解の第一歩は、 この内なる「夢見る者」と「夢見られる者」を理解していくことから始まるという ことであり、次にそれをコントロールしていくということなのです。 え、言ってることが、わけわかんないですか? まあ、そうですよねー。 ワタシの言ってることが、わけわかんないのが、おそらく普通だと思います。 ワタシ自身も、自分で書いてて、きっとわけわかんないだろうな〜、と思ってますからねぇ。 http://engawa.open2ch.net/test/read.cgi/uranai/1415827871/125
126: 名無しさん@おーぷん [] 2015/03/27(金)05:29:54 ID:ODq 「セフィロトの図案たち」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 63) --- We can have anything we want. . . anything. 我々は、我々が望むものは何でも手に入れることができる。…何でも。 But what happens is that we want nothing at all, because we have learned what matters and what does not. しかし、起こることは、我々は何も望まないということであり、なぜなら我々は、何が 重要であり、何がそうでないかを学び続けているからである。 --- ここまで --- つまり、カバラを学ぶことで、「やれば出来る子」になれる、ということですかね。 でも、リアル世界では、色々と出来ない言い訳をして、結局は出来ない子なわけです。 つまり、「我々が望むものは何でも手に入れることができる」というのは、あくまでも ここで重要視されている上位の世界、すなわち「イェソド」以上のバーチャル次元のこと であって、この下々のリアル世界、すなわち「マルクト」次元での話は、重要じゃないから 出来なくてもどうでもいいことであるということですよね。 そう、修行者である我々は、この「リアル世界」においては「we want nothing at all/ 我々は何も望まない」、つまり無欲であれ、という態度なのです。 そうすることによって、真に目覚める者となれるわけです。 そして、この現世での無欲さは、ヲタクの世界に限らず、ほとんど全ての宗教にとって 共通する考え方にもなっています。 まあ、ヲタクも宗教も、カルト的な信仰という分野では、大した違いはありませんからね。 そして、現世での欲を捨てて、「Dreamer/夢見る者」と「Dreamed/夢見られる者」の 研究のために、自己の内面にどっぷりと引きこもってしまうということになるわけです。 もちろん、リア充の人々から見れば、こんなヲタクは、変人としか見られないわけです。 そういった、一般の人々からの偏見を避ける上でも、ある程度までは「普通の人」を装う というのも大事なことなんじゃないのかな、と思うのでした。 http://engawa.open2ch.net/test/read.cgi/uranai/1415827871/126
127: 名無しさん@おーぷん [] 2015/03/28(土)06:44:50 ID:lFA 「セフィロトの図案たち」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 63) --- THE TWOS 2たち --- ここまで --- ここからは、前回同様「2. CHOKMAH: Wisdom/2. コクマー:叡知」の節の中の、新しい項 になっています。 このサブタイトルの後には、前回と同様に「"T"の書」からの引用が続きます。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 63) --- The Four Deuces symbolize the Powers of the King and Queen: 4枚の「2の札」は、「王」と「女王」の「能力たち」を象徴する。: first uniting and initiating the Force, but before the Prince and Princess are thoroughly brought into action. 最初の、「力」を合体させ、開始するものであり、ただし「王子」と「王女」が完全に 活動を開始する前である。 Therefore do they generally imply the initiation and fecundation of a thing. 従って、それらは一般的に、事物の開始と受胎を暗示している。 --- ここまで --- 相変わらず、漠然とした短い文章ではありますが、前回の「ケテル=エース」と今回の 「コクマー=2」の作用の違いについて、この記述を参考にして、頭の中で整理しておくと 良いかと思います。 ちなみに、この「コクマー」には、「2」の他にも「King/王」のカードも割り当てられて いますが、この「王」のカードは、また別の次元のものになります。 タロットの世界って、人間世界と同じように階級のある社会ですので、ちょっと色々と あって、ややこしいんですよね。 http://engawa.open2ch.net/test/read.cgi/uranai/1415827871/127
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