第二次大戦で枢軸国側が勝っていたら… (161レス)
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120: 2015/04/11(土)13:17 ID:rxh(2/5) AAS
>>118
その理屈は「後付け」に過ぎない。
ソ連は独ソ戦が始まってからと思われるが、「雪作戦」と言う物をアメリカに仕掛けている。
アメリカ大統領、フランクリン・ルーズベルトの周辺は、共産主義者ばっかりだったというのは、今では完全に証明されている。
まず妻のエレノアが共産主義者だし、大統領補佐官や秘書官にまで共産主義者が巣くっていた。
ルーズベルト政権時代にブイブイ言わせていた連中は、ほとんど後年のマッカーシーの行った「アカ狩り」によって逮捕されている。
それくらい酷い有り様だったのだ。
「雪作戦」とは、その中の財務省次官か何かを勤めていた、ハリー・デクスター・ホワイトを使った作戦であり、
【何が何でも日米戦争を引き起こさせろ】
省9
121: 2015/04/11(土)13:19 ID:rxh(3/5) AAS
ソ連やアメリカが謀略だらけだった事は、ソ連が崩壊してからようやく明らかになった。
従ってこれは「陰謀論」ではなく、ソ連やアメリカの公文書に書いてある事である。
122(1): [age] 2015/04/11(土)22:34 ID:4FX(1/4) AAS
トラック島大空襲は1944年2月18日。直後2月23日にマリアナ諸島が空襲されている。
これは、4カ月後のマリアナ沖海戦、サイパン島上陸作戦の布石だった。
トラック環礁に停泊する艦船群を(本気になって反攻に転じた)米の夜間爆撃から防御出来ない、と言う事は、海軍は、南太平洋、中部太平洋に於いて、元々、アメリカには太刀打ち出来なかった、と言う事だろう。
しかし、サイパンに於いて、もっと、米軍に深刻な打撃、損害を与えておく必要はあった。
勿論、玉砕した日本軍兵士、指揮官には何の落ち度もない。
単(ひとえ)に、海軍軍政中枢、軍令部、更には帝国大本営の責任だ。
123(1): [age] 2015/04/11(土)22:45 ID:4FX(2/4) AAS
パイロットの訓練基地だが、何故、占領した蘭領ボルネオの製油施設付近に建設しなかったのか?
マレー作戦は1942の初頭に完了している。1942-1943年の1年と6カ月、540日あれば、かなりの錬度に高められたはずだ。
ボルネオに訓練施設を建設しておけば、ガソリンは無尽蔵に使い放題だったはずだ。
124: [age] 2015/04/11(土)22:56 ID:4FX(3/4) AAS
輸送の為には超巨大潜水タンカーを開発するしかなかったと思われる。
鉱物資源(アルミ)のある東南アジア島嶼部に於いて2式大艇を大量生産し、潜水タンカー(重油輸送)と2式大艇(人員輸送)をサイパンに備蓄する地味な作戦を1年以上かけて継続しておれば、米軍のサイパン侵攻での損害は桁違いになり、或いは、彼の継戦意欲を大幅に削減させられたかも知れない。
125(1): 2015/04/11(土)22:58 ID:rxh(4/5) AAS
>>123
確かボルネオの精油施設はオランダ軍が破壊していたのではなかったか?
ボルネオに限らない。
オランダ軍は精油施設を破壊しまくってから日本軍に降伏を申し入れた。
126: 2015/04/11(土)22:59 ID:rxh(5/5) AAS
>>122
帝国陸軍が生んだ鬼才、石原莞爾もまた、
「サイパン島を要塞化しておけば良かった」
と言っているな。
127(1): [age] 2015/04/11(土)23:09 ID:4FX(4/4) AAS
>>125
知らんかった。
オランダ滓(かす)過ぎるな。
128: 2015/04/12(日)02:00 ID:yIX(1/12) AAS
>>127
まあ、独ソ戦でもドイツもソ連も敵に一物も与えるなとばかりに焦土作戦敢行したしね。
オランダが特別異常だったわけではないんだが。
確かにボルネオとか、スマトラとか、戦場になってない所で大量にパイロットを育成できてたら良かったね
129: [age] 2015/04/12(日)17:46 ID:h5e(1/13) AAS
一寸、書名は忘れたが、岩波新書だったと思う。「第二次世界大戦前夜」もしくは、その続編だったかも知れない。
その中で、ドイツの総兵力を600万人、西側(英米&レジスタンス仏)連合軍を400〜600万人、ソ連を600万人と算定し、挟撃されたドイツには勝ち目はなかった、と言う意味の事が書いてあった。
だが、ナポレオンの如き内線作戦であると考えれば、東部戦線、西部戦線と言う敵の外線包囲を各個撃破すれば、理論上は活路は開ける訳で、ドイツ必敗論は、結果だけを見た俗論だと思う。
130(1): [age] 2015/04/12(日)18:43 ID:h5e(2/13) AAS
ノルマンジー上陸作戦は1944年6月6日、と言う事は、1941年6月22日のドイツのバルバロッサ作戦発動からだと、丸3年間、第二戦線は存在しなかった訳で、後は同盟国の結束と有機的連繋の妙に懸かっていたと思う。
131: [age] 2015/04/12(日)18:47 ID:h5e(3/13) AAS
タイフーン作戦は41年の10月半ばに発動されたモスクワ攻略計画だが、その前月、日本はスパイのゾルゲを逮捕している。
132(1): [age] 2015/04/12(日)18:50 ID:h5e(4/13) AAS
タイフーン作戦実施の意義を日本政府はベルリンの大島大使から、聞かされていたであろう。
すると、ゾルゲの取り調べによって、スターリンへ日本の南進計画、日蘇中立条約遵守の方針が筒抜けだった事は容易に論理的に推測出来る。
満蒙国境の蘇連軍精鋭がモスクワ守備に転用され得る事の今後の独蘇戦への影響を想像するぐらいの頭の働きがあっても罰(ばち)は当たらんと思われるのに、我が帝国の政府にそれを陛下に進言する者がいなかったのは、残念至極である。
133: [age] 2015/04/12(日)19:52 ID:h5e(5/13) AAS
私はかつて、日下公人氏と小室直樹氏の対談を読んだ事がある。
その中で、日下氏は元帝国陸軍参謀の瀬島龍三氏からの伝聞として、「日本の対米戦決意の動機の根底には、ドイツの欧州戦局での完全勝利の見込みを前提に、これへの便乗的ただ乗りの思惑があった」と言う証言を紹介していた。
すると、小室直樹氏は、言下に「あり得ない」と否定し、両者の意見が真っ二つに分かれたのだった。
しかし、外務省である。ここは闇の中の闇だ。地獄の悪鬼の如き省庁であろう。
タイフーン作戦の頓挫は11月中旬、明白だったが、当然、ベルリンの大島大使にはドイツ政府はひた隠ししたであろう。
だが、ドイツの同盟国、イタリア、ルーマニア、ブルガリアの各国政府はそれを知っていた。
イタリア、ルーマニア、ブルガリア駐在の外務省幹部は入手していたはずだ。すなわち、東京の外務省本省は、大島大使よりも正確な情報を手にしていた。
この情報は、11月末から、12月初めの御前会議には上がらなかったのである。
134(1): [age] 2015/04/12(日)19:56 ID:h5e(6/13) AAS
何故、イタリアやルーマニアの政府がタイフーン作戦の頓挫を知っていた、と私が推測するかと言うと、東部戦線でボコボコにしてやられたのが彼ら同盟軍だったからだ。
135: [age] 2015/04/12(日)19:58 ID:h5e(7/13) AAS
ソ連軍は枢軸国側の弱い同盟国軍を狙い打ちしたのだ。
136: 2015/04/12(日)19:58 ID:yIX(2/12) AAS
>>130
それは、ドイツに対する戦略爆撃を換算に入れてないね?
俗に「1000機爆撃」と呼ばれる、戦略爆撃が昼夜を問わず、ドイツに対して行われていたんだよ。
ノルマンディー上陸作戦の前から。
137(1): 2015/04/12(日)20:04 ID:yIX(3/12) AAS
>>132
いや、満州国軍の指導教育に当たっていた日本軍人や、関東軍の中には、
独ソ戦が始まった直後に、
「これは日本にとって決定的で最後のチャンスではないのか?」
と考えた者たちは居た。
外部リンク:ja.wikipedia.org
実際、このように演習まで行ってソ連を威嚇している。
これに焦ったソ連が、アメリカのスパイ網をせっついて日米開戦を急かしたのである。
138(1): 2015/04/12(日)20:05 ID:yIX(4/12) AAS
>>134
スターリングラードとごっちゃにしてないか?
タイフーン作戦は、単純に冬将軍に負けた部分が大きいのでは?
ドイツ軍は冬用の軍服の用意もしていなかったようだし、予想以上に早く雪が降り始めたという事もあった。
139(2): [age] 2015/04/12(日)20:07 ID:h5e(8/13) AAS
もし、41年11月末もしくは、12月6日迄に「ドイツの蘇連攻略の速攻の狙いは失敗した。
戦局は長期泥沼化必至であり、ドイツにとって、今後の展望は容易ならざるものがある」と言う情報が御前会議に上がっておれば、陛下は立憲君主制の原則を蹂躙される罪を一身に背負ってでも、重臣に対米戦開戦の不可を御裁断なされたであろう、と私は推測する。
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