【民主主義】二強、アテネとスパルタ【軍国主義】 (95レス)
上下前次1-新
1: 2014/11/21(金)16:04 ID:5x2UTfyNQ(1/4) AAS
古代ギリシャ中、BC5世紀頃、最大のライバル関係にあったアッティカ(アテーナイ)とラケダイモーン(スパルタ)について語ろう。
56: 2015/03/25(水)14:24 ID:ukQ(1) AAS
>>53-55の方々、ありがとうございました。
57: @おーぷん 2015/03/26(木)19:49 ID:lXs(1) AAS
リュクルゴスは実在?
58: 2015/04/29(水)18:09 ID:M8g(1) AAS
アテネの民主主義は上っ面だけ取り繕った偽善以外の何物でも無い
スパルタの清々しいまでの剥き出しの闘志こそが人間のあるべき姿
59(1): @おーぷん 2015/05/04(月)01:02 ID:nYk(1) AAS
>>10
タラントを建設したスパルタ人は、メッセニア戦争の時の混血私生児
で本国から追放同然に開拓民にされたらしいよ
60: 2015/05/04(月)20:14 ID:nOE(1) AAS
>>59
ありがとう。
非常に興味深い。
私の印象ではタラースは゛大国゛。
と言うのも、エペイロス王、ピュロスに「当方に30万人の傭兵(もしくは傭兵資金と言う意味か?)有り。来たれ」と言う申し出をし、30万人分の傭兵資金の存在をピュロス王に信じ込ませた訳で、ピュロスもバカではないのだから、タラースにはそれを信じさせるような何かがあった訳だろう。
61: @おーぷん 2015/05/12(火)11:11 ID:v2L(1) AAS
アテネの民主主義はペリクレスあっての民主主義だったしな
ローマの元老院と何が明暗を分けたのか
62: @おーぷん 2015/05/31(日)03:30 ID:aaZ(1) AAS
ローマの元老院もポエニ戦争後は・・・・
63: [age] 2015/06/02(火)17:19 ID:zyO(1/6) AAS
岩波文庫のツーキューディデースの「戦史」(ペロポンネソス戦史)の第三巻(上中下の下巻)を読んでいると、アルキビアデースとニーキアスがシケリア遠征に関して、互いに賛成、反対の演説をしている。
アルキビアデースは遠征の提案者であり、ニーキアス将軍は反対派だ。
そのアルキビアデースの賛成演説は興味深い。百数十年後のエペイロスのピュロス王の戦略目標と似た本土ギリシャ人のイタリア観、シシリー観、アフリカ(カルタゴ)観が窺える。
64: [age] 2015/06/02(火)17:29 ID:zyO(2/6) AAS
ざっと、申すなら、ギリシャ本土の遠征軍が南伊、シシリーの有力諸都市を領有出来れば、その南岸のアフリカに立地するカルタゴ本国を征服出来る、と言うドミノ理論だ。
BC420年代に活躍したアルキビアデースとBC280年代に活躍したピュロス王の両者とも、シケリア、南伊を隷属させた本土遠征軍は易々とカルタゴ本国を征服出来ると構想しているのである。
これは当時の本土ギリシャ人の世界観では実現可能な、当然のドミノ理論であったようだ。
65: [age] 2015/06/02(火)17:42 ID:zyO(3/6) AAS
以上の前提に立って、岩波文庫「戦史」下巻のアルキビアデースのシケリア遠征演説を考察する。
アルキビアデースのシケリア遠征の真の目標である。
北アフリカ、シケリア(シシリー)、南伊の諸ポリスを併呑した後、それら隷属諸国から徴収した年賦金を以て、十万人の重装兵、数百隻の三段橈(どう)船を新たに編成する。
そうして、対スパルタ(ペロポンネソス同盟諸国)戦線に投入する、と言う構想である。
66: [age] 2015/06/02(火)17:58 ID:zyO(4/6) AAS
このアルキビアデースの演説の意味である。
これは、スパルタ本国とその与党であるペロポネーソス諸国に対抗するには、カルタゴ本国、シシリー全島、南伊ギリシャ諸都市の富(軍資金)を結集させる必要があると言う謂いである。
換言すれば、盟主スパルタ、その同盟諸国、コリントス、エーリス、テゲア、メガラ、シキュオーン、マンティネア、トロイゼーン、エピダウス、プレイウースetc.の実力は、(当時のギリシャ世界での常識に於ては)カルタゴ本国、全シシリー、全南伊の総力に匹敵すると思われていたのだ。
67: [age] 2015/06/02(火)18:00 ID:zyO(5/6) AAS
↑
エピダウス X
エピダウロス ○
だった。惜しい。
68: [age] 2015/06/02(火)18:37 ID:zyO(6/6) AAS
時代は異なるが、BC六世紀前半、サモス島の僣主としてポリュクラトスと言う独裁者が君臨していた。
彼はエーゲ海の諸島の独裁者に過ぎなかったがエジプト王、アマシスと文通を交わす親友であった、とヘロドトスが記している。
同じヘロドトスの記述では、アテーナイの元執政官、ソローンは諸国漫遊の行脚を重ねる中で、リュディアの王、クロイソスに賓客として歓待されている。
すなわち、当時のギリシャのポリスは一国一国が領土国家、大帝国であるオリエントの君主たちと対等の誼を通じる独立独歩の気概を有していた事が分かるのである。
69: [age] 2015/06/03(水)17:54 ID:ypu(1) AAS
↑
ポリュクラトス X
ポリュクラテス ○
だった。どーも、呆けが進行しているようだ。
アテーナイの長所は民主主義なんぞではなくて、百花繚乱の芸術、思想の創造性が汪溢した自由の気風にある。
ラケダイモーン(スパルタ)の長所は(支配階層間の)物質生活上の平等とストイシズムの実現にある。
70: [age] 2015/06/04(木)17:56 ID:7bz(1/5) AAS
或る場合は独裁制が合議制に優る。
しかし、システムとして、独裁制が恒常化すれば、政権の総責任者の代替わりで適格者へのバトンタッチが困難になる。(独裁者自身が後継者指名権を有する→世襲化)
機能的には次善の策であるかも知れない合議制によって、次代の政権担当者を選び、引き継ぐシステムの方が長期スパンでは、世襲化が必然される独裁制に優る所以だ。
だが、ペリクレース没後のアテーナイは合議制の弱点をこれでもか、と言うほどに曝けだしてしまった。
71: [age] 2015/06/04(木)18:12 ID:7bz(2/5) AAS
或意味、独裁者=タイラントに対し、最も敵愾心を以て臨んだのはラケダイモーンだった。
スパルタ(ラケダイモーン)の伝統的国策がヘラス世界(=ギリシャ本国、小アジア、エーゲ海諸国を含む)の諸ポリスの僣主を失脚させ、アリストクラシーを維持させる事にあったからだ。
ペルシャ戦役の勃発するBC6世紀のギリシャ本国でラケダイモーンは゛ヘラス世界の警察゛だった。すなわち、スパルタは20〜30ヵ国が独立自尊するヘラスに゛世界国家゛的秩序を樹立する寸前であった、とも言えるだろう。
だが、ヘラスに世界帝国の秩序を提供する可能性はペルシャ侵攻時のアテーナイの功績、名声の為に消滅してしまったのである。
72: [age] 2015/06/04(木)18:26 ID:7bz(3/5) AAS
この辺の考察は英歴史家、トインビーの独壇場だ。
スパルタの提供する秩序が根付いた場合のギリシャはマケドニア王国の風下に立つ事はなかったであろう。
73: [age] 2015/06/04(木)18:31 ID:7bz(4/5) AAS
あり得ない仮定であるが、もし、南伊、シシリーの諸ポリス、シュラクーサイ、アクラガース、メッセネー、ロクリス、トゥリーオーイ、クロトン、レーギオン、タラース、ネアポリス、etc.etc.がギリシャ本国と有機的に連繋出来れば、歴史の推移は根本から変わっていたであろう。
さらに、小アジア、黒海沿岸、トラキア、マケドニア、イリュリアもそれに準ずれば、ヘラスの軍事力はローマ、ラテン同盟のそれを凌駕したかも知れない。
74: [age] 2015/06/04(木)18:46 ID:7bz(5/5) AAS
私の所有していた平凡社の世界大百科辞典は版が古くて、全23巻ver.だが、ギリシャの古代史の項目の劈頭にその古代での推定人口は900万人と記されてあった。
所が、ラテン同盟の蟠踞するイタリア世界の総人口もほぼ、同数と推定されるのだ。(千数百万人と言う説もある。しかし、その千数百万人からマグナ・グレキアの2〜3百万人のギリシャ系ポリスをマイナスすれば、両者は互角の人口だ)
ギリシャ人がアレクサンドロス大王の如き天才に統一されておれば、ローマは従属を余儀なくされていたと思われる。
75: @おーぷん 2015/06/10(水)08:58 ID:6rf(1) AAS
ギリシャ人は内紛の天才とも表現されてる程なので無理
アレクサンダー死んだ後のディアドコイなんてまさにそれだし
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