[過去ログ]
/ ´,_ゝ`\初心者のための富士山登山入門128m [無断転載禁止]©2ch.net (906レス)
/ ´,_ゝ`\初心者のための富士山登山入門128m [無断転載禁止]©2ch.net http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1504257381/
上
下
前
次
1-
新
通常表示
512バイト分割
レス栞
このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています。
次スレ検索
歴削→次スレ
栞削→次スレ
過去ログメニュー
649: 底名無し沼さん [sage] 2017/09/17(日) 07:23:29.07 ID:55THIflI 関係は継続されていたと考えられる。登山口は末代上人が開いた 登山道を起源とし、登山道が完成されたそれが最初の登山道と言 われる村山口である。これにより富士修験が成立したとされる。 次第に他の登山道も開削されてゆき、大宮・村山口、須山口、須 走口が存在してる。神仏習合は富士山も例外ではなかった。山頂 部は仏の世界と考えられるようになり、特別な意味を持つように なった。遺例としては正嘉3年(1259年)の紀年銘である木 造坐像が古いとされ、これは大日堂(村山)の旧本尊であった。 鎌倉時代の書物である『吾妻鏡』には神仏習合による「富士大菩 薩」や「浅間大菩薩」という呼称が確認されている。富士山頂の 8つの峯(八神峰)を「八葉」と呼ぶことも神仏習合に由来し、 文永年間(1264年−1275年)の『万葉集註釈』には「い ただきに八葉の嶺あり」とある。その他多くの書物で「八葉」の 記述が確認できる。江戸時代江戸時代になると、徳川家康による 庇護の下、本殿などの造営や内院散銭取得における優先権を得た ことを基に江戸幕府より八合目以上を寄進された経緯で、現在富 士山の八合目より上の部分は登山道・富士山測候所を除き浅間大 社の境内となっている。登山の大衆化と共に村山修験や富士講な どの一派が形成され、富士信仰を発展させていった。富士講の隆 盛が見られた18世紀後半以降、新興宗教として旧来の登山道で は発展できなかったために吉田口を利用する道者が目立つように なっていたと考えられ、18世紀後半以降では、他の登山口の合 計と同程度であったという。富士参詣の人々を「道(導)者」と いい、例えば『妙法寺記』の明応9年(1500年)の記録に「 此年六月富士導者参事無限、関東乱ニヨリ須走へ皆導者付也」と ある。また、登山における案内者・先導者を「先達」といい、先 達の名が見える道者帳(『公文富士氏文書』、文中に「永禄6年 」とあり)などが確認されている。明治以後慶応4年(1868 年)に神仏分離令が出されると、これら神仏習合の形態は大きく 崩されることとなる。富士山中や村山における仏像の取り壊しな どが進んだ。富士山興法寺は分離され、大日堂は人穴浅間神社と なり大棟梁権現社は廃されるなど改変が進んだ。北口本宮冨士浅 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1504257381/649
上
下
前
次
1-
新
書
関
写
板
覧
索
設
栞
歴
あと 257 レスあります
スレ情報
赤レス抽出
画像レス抽出
歴の未読スレ
AAサムネイル
Google検索
Wikipedia
ぬこの手
ぬこTOP
0.290s*