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【栗城氏ソックリ】栗木ハンター(ワイエディ)【ネット工作!?】 (341レス)
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60: 底名無し沼さん (ワッチョイ bf0c-RQbN [175.177.5.10]) [sage] 2018/01/05(金) 07:25:56.57 ID:ekftaF/Y0 山道に入り登頂。富士山を巡る利権争い山役銭と内院散銭『冨嶽三十六景諸人登山 』山麓の各地域には各登山道があり、特に村山口と大宮口、須走口、須山口が古来 の登山道であり、その登山道を管理する地域の浅間大社が山役銭を徴収していた。 これらの地域は互いに山役銭などを巡り、争いを起こしている。特に内院散銭は相 当額になるため、争いの火種になりやすかった。例えば須走村への配分だけでも1 年で76両を越えたといい、一戸に約一両が配当される計算になるという。内院散 銭の権利は、大名などに与えられた権利を根拠に主に3地域によって争われた。「 村山」と「須走」と「大宮」である。村山においては、1533年(天文2年)に 村山三坊の「辻之坊」が今川氏輝により内院散銭の取得権を与えられている。須走 は1577年(天正5年)に武田氏により薬師堂(現在の久須志神社)の開帳日の 内院散銭の取得権が与えられている。大宮は1609年(慶長14年)に徳川家康 が内院散銭を浅間大社に寄進し、内院散銭の取得の優位権を得ている。浅間大社の 大宮司が村山より登る際は山役銭を取られたので、村山を避け「須走」から登拝す る慣例などもあった。新規に出来た登山道である現富士吉田口は、登山道を管理し ている「須走」に許可なく、浅間大社の大宮司富士信安など富士氏が自分たちに山 役銭を支払えば、「須走」の登山道を利用するにも関わらず勝手に山がけ(登山道 を作り山小屋を建てる)の許可を与えたことで論争となり、「河口」と「吉田」は 1810年に登山ルートや山役銭の徴収方法で論争を起こし、「大宮」と「吉田」 では薬師堂における役銭の配分で争っている過去などがある。元禄の争論元禄16 年(1703年)に散銭や山小屋経営を巡り須走村が富士浅間神社本宮(浅間大社 )を訴えた争論が元禄の争論である。須走村側は東口本宮冨士浅間神社の神主や御 師らが、浅間大社の大宮司富士信安など富士氏らを相手取り寺社奉行に訴え出た。 訴えは三か条であった。1つは浅間大社が吉田村の者に薬師嶽の小屋掛けを認めた ことへの不服、2つ目は浅間大社側が造営した薬師堂の棟札に「富士本宮が入仏を http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1514990295/60
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