[過去ログ] 【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)【ダメ工作員】 (353レス)
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(1): (ワッチョイ ef0c-8avC) 2018/01/10(水)11:43 ID:He8C3ID40(107/193) AAS
「富士山ふじさん」※未詳(室町)「羽衣はごろも」御伽草紙「富士の人穴ひとあ
な草紙ぞうし」(江戸)仮名草紙※作者不詳(江戸)「竹斎ちくさい」滑稽本十返
舎一九じっぺんしゃいっく(江戸)「東海道中膝栗毛とうかいどうちゅうひざくり
げ」仮名垣魯文かなかきろぶん(江戸−明治)「滑稽富士詣こっけいふじもうで」
26浄瑠璃近松門ちかまつもん左ざ衛門えもん(江戸)「聖徳太子絵伝記」竹田た
けだ出雲いずも・三好松洛みよししょうらく・並木千柳なみきせんりゅう(江戸)
214: (ワッチョイ ef0c-aKZ8) 2018/01/10(水)11:43 ID:drxMNnZ10(58/104) AAS
美人草ぐびじんそう」泉鏡花(明治−昭和)「婦おんな系図け
いず」「春しゅん昼ちゅう」「春しゅん昼ちゅう後刻ごこく」
徳富とくとみ蘆花ろか(明治−昭和)「冨士ふじ」「自然しぜ
んと人生じんせい」(随筆)永井ながい荷風かふう(明治−昭
和)「新帰朝者日記」橋本英吉はしもとえいきち(明治−昭和
)「富士山頂ふじさんちょう」井伏鱒二いぶせますじ(明治−
平成)「岳麓点描がくろくてんびょう」武田泰淳たけだたいじ
ゅん(大正−昭和)「富士ふじ」武田百合子たけだゆりこ(大
正−昭和)「富士日記ふじにっき」新田にった次郎じろう(大
正−昭和)「強力伝ごうりきでん」「怒いかる富ふ士じ」「芙
省22
215: (ワッチョイ ef0c-jocT) 2018/01/10(水)11:49 ID:He8C3ID40(108/193) AAS
ぐびじんそう」泉鏡花(明治−昭和)「婦おんな系図けいず」「
春しゅん昼ちゅう」「春しゅん昼ちゅう後刻ごこく」徳富とくと
み蘆花ろか(明治−昭和)「冨士ふじ」「自然しぜんと人生じん
せい」(随筆)永井ながい荷風かふう(明治−昭和)「新帰朝者
日記」橋本英吉はしもとえいきち(明治−昭和)「富士山頂ふじ
さんちょう」井伏鱒二いぶせますじ(明治−平成)「岳麓点描が
くろくてんびょう」武田泰淳たけだたいじゅん(大正−昭和)「
富士ふじ」武田百合子たけだゆりこ(大正−昭和)「富士日記ふ
じにっき」新田にった次郎じろう(大正−昭和)「強力伝ごうり
きでん」「怒いかる富ふ士じ」「芙蓉ふようの人ひと」「富士ふ
省22
216: (ワッチョイ ef0c-aKZ8) 2018/01/10(水)11:50 ID:drxMNnZ10(59/104) AAS
朝みなもとのさねとも(鎌倉)「金槐和歌集きんかいわかしゅ
う」阿仏あぶつ尼に(鎌倉)「安嘉門院あんかもんいんの四条
しじょう五百首ごひゃくしゅ」万里ばんり集九しゅうきゅう(
室町)「梅香無尽蔵」堯ぎょう恵え(室町)「下葉和歌集」水
無瀬みなせ氏成うじなり(安土桃山−江戸)「水無瀬殿富士百
首」清水浜臣しみずはまおみ(江戸)田安宗たやすむね武たけ
(江戸)「悠然院様御詠草」林羅山はやしらざん(江戸)「丙
辰へいしん紀行」石川いしかわ丈山じょうざん(江戸)加藤枝
かとうえ直なお(江戸)「うけらが花」賀茂真淵かものまぶち
(江戸)「賀茂翁家集」本居宣もとおりのり長なが(江戸)「
省22
217: (ワッチョイ ef0c-8avC) 2018/01/10(水)11:50 ID:He8C3ID40(109/193) AAS
「仮名かな手本でほん忠臣蔵ちゅうしんぐら」童謡巌谷いわや小波さざなみ(明治
−大正)「富士山ふじさん」(「ふじの山」)海野うんの厚あつし(明治−昭和)
「背せいくらべ」随想・随筆新井あらい白石はくせき(江戸)「折おりたく柴しば
の記」田山たやま花袋かたい(明治−昭和)「富士を望む」小島烏水こじまうすい
(明治−昭和)「すたれ行く富士の古道」、「不二山ふじさん」永井ながい荷風か
218: (ワッチョイ ef0c-jocT) 2018/01/10(水)11:55 ID:He8C3ID40(110/193) AAS
尼に(鎌倉)「安嘉門院あんかもんいんの四条しじょう五百首ご
ひゃくしゅ」万里ばんり集九しゅうきゅう(室町)「梅香無尽蔵
」堯ぎょう恵え(室町)「下葉和歌集」水無瀬みなせ氏成うじな
り(安土桃山−江戸)「水無瀬殿富士百首」清水浜臣しみずはま
おみ(江戸)田安宗たやすむね武たけ(江戸)「悠然院様御詠草
」林羅山はやしらざん(江戸)「丙辰へいしん紀行」石川いしか
219: (ワッチョイ ef0c-8avC) 2018/01/10(水)11:56 ID:He8C3ID40(111/193) AAS
わこう治じ良ろう(明治−平成)「我が入道にゅうどう」「人間にんげんの運命う
んめい」幸田文こうだあや(明治−平成)「崩くずれ」27詩歌伝柿本かきのもと
の人麻呂ひとまろ(飛鳥−奈良)「柿本集」山部赤人やまべのあかひと(奈良)「
万葉集まんようしゅう」高橋たかはしの虫むし麻呂まろ(奈良)「高橋虫麻呂たか
はしのむしまろ歌集」藤原ふじわらの清きよ正ただ(平安)「清きよ正ただ集」在
原業平ありわらのなりひら(平安)「業平集」藤原ふじわらの公きん任とう(平安
)「公きん任とう集」藤原ふじわらの定家さだいえ(平安−鎌倉)「内裏名所百首
」「名号みょうごう七字十題和歌」飛鳥あすか井い雅まさ経つね(平安−鎌倉)「
明日香あすか井い和歌集」藤原ふじわらの俊とし成なり(平安−鎌倉)「(藤原兼
ふじわらのかね実ざね)右う大臣家だいじんけ百首ひゃくしゅ」「五社百首」「丹
省14
220: (ワッチョイ ef0c-aKZ8) 2018/01/10(水)11:56 ID:drxMNnZ10(60/104) AAS
世界遺産条約第1条及び『世界遺産条約履行のための作業指針
』(以下、『作業指針』という。)第45項に規定にする「記
念工作物」、「建造物群」及び「遺跡」に該当する。2)評価
基準への適合性証明以下に示す理由に基づき、「富士山」には
、世界遺産一覧表への記載のための評価基準のうち(B)、(
C)、(E)が適用できる。評価基準(B)現存するか消滅し
ているかにかかわらず、ある文化的伝統又は文明の存在を伝承
する物証として無二の存在(少なくとも希有な存在)である。
評価基準(B)の適用富士山では神聖なる気持ちを喚起する自
然環境を背景とし、山頂への参詣などの特徴を持った山に対す
省22
221: (ワッチョイ ef0c-jocT) 2018/01/10(水)12:02 ID:He8C3ID40(112/193) AAS
わ丈山じょうざん(江戸)加藤枝かとうえ直なお(江戸)「うけ
らが花」賀茂真淵かものまぶち(江戸)「賀茂翁家集」本居宣も
とおりのり長なが(江戸)「石いその上稿かみこう」「鈴屋すず
のや集」契沖けいちゅう(江戸)「詠富士山百首和歌」村田むら
た春海はるみ(江戸)琴後ことじり集」島木赤彦しまぎあかひこ
(明治−大正)土井どい晩翠ばんすい(明治−昭和)「大敵迫る
」斉藤さいとう茂吉もきち(明治−昭和)「赤光」「箱根路」前
田まえだ夕暮ゆうぐれ(明治−昭和)「富士を歌ふ」若山わかや
ま牧水ぼくすい(明治−昭和)「海の声」北原きたはら白秋はく
しゅう(明治−昭和)「雲母集」「不尽抄」金子かねこ光晴みつ
省22
222: (ワッチョイ ef0c-8avC) 2018/01/10(水)12:02 ID:He8C3ID40(113/193) AAS
北原きたはら白秋はくしゅう(明治−昭和)「雲母集」「不尽抄」金子かねこ光晴
みつはる(明治−昭和)「富士」「五つの湖」草野心平くさのしんぺい(明治−昭
和)「富士山」小野おの十とお三郎ざぶろう(明治−平成)「重油富士」「風景詩
抄」28俳句松尾まつお芭蕉ばしょう(江戸)「奥の細道」与謝蕪村よさぶそん(
江戸)小林こばやし一茶いっさ(江戸)蝶夢ちょうむ(江戸)「宇良うら富士紀行
」正岡まさおか子規しき(明治)高浜虚子たかはまきょし(明治−昭和)飯田いい
だ蛇笏だこつ(明治−昭和)「山りょ集」富安風生とみやすふうせい(明治−昭和
)水原みずはら秋桜子しゅうおうし(明治−昭和)「葛飾」永井ながい荷風かふう
(明治−昭和)「名所方角集」西東さいとう三鬼さんき(明治−昭和)「旗」「変
身」渡辺わたなべ水すい巴は(明治−昭和)「富士」加藤楸邨かとうしゅうそん(
省14
223: (ワッチョイ ef0c-aKZ8) 2018/01/10(水)12:03 ID:drxMNnZ10(61/104) AAS
(擬死再生)と考える「富士山禅定」(※2)と呼ばれる行為
(儀礼・活動)が成立し、18〜19世紀にかけて富士山は体
系化された登拝のための宗教施設も含め、大規模な大衆による
宗教的登山を代表する存在となっていた。このような自然への
畏敬という日本の宗教観の根本を基盤とし、神仙思想(道教)
や仏教(特に密教)なとど融合した日本独特の山岳信仰を代表
する遥拝及び登拝・登山の様式は今日でも命脈を保ち、特に夏
季を中心に訪れる外国人を含む多くの登山客とともに富士登山
224: (ワッチョイ ef0c-jocT) 2018/01/10(水)12:08 ID:He8C3ID40(114/193) AAS
なる気持ちを喚起する自然環境を背景とし、山頂への参詣などの
特徴を持った山に対する宗教的な儀礼・活動が成立し、18〜1
9世紀にかけて大規模な大衆による宗教的登山の代表的存在とな
った。山体とその周辺の地域には、体系化された儀礼・活動の場
となった神社、登山道、及びその沿道に分布する関連遺跡群、霊
地・巡礼地となった風穴・湧水地・湖沼などが残されている。そ
こでの儀礼や活動を通じて、人々の生活の中に富士山に対する信
仰の核心が継承されている。また、今日でも富士山は日本を代表
し象徴する最高峰として老若男女を問わず憧れ親しむ「名山」で
ある。したがって、富士山は山頂への参詣という形態を中心とし
省22
225: (ワッチョイ ef0c-8avC) 2018/01/10(水)12:08 ID:He8C3ID40(115/193) AAS
れている。また、今日でも富士山は日本を代表し象徴する最高峰として老若男女を
問わず憧れ親しむ「名山」である。したがって、富士山は山頂への参詣という形態
を中心とし、時代を超えて今日まで継承された山に対する固有の文化的伝統を顕著
に表わす物証として稀有な存在である。・日本における山に対する固有の文化的伝
統を顕著に表わす物証富士山の山頂部一帯は、山に対する日本の宗教観とその秀麗
な姿、及び10世紀頃まで盛んであった火山活動などに基づき神仏の世界、あるい
226: (ワッチョイ ef0c-aKZ8) 2018/01/10(水)12:09 ID:drxMNnZ10(62/104) AAS
の特徴を成している。また、信仰の核心部分は各地の浅間神社
に対する信仰や今日も続く宗教的な儀礼・活動によって受け継
がれ、富士山は日本を代表する神聖な山として知られている。
(※1)この神は、1868年の神仏分離令まで神仏習合の影
響を受け仏の化身と考えられていた。また、この神は一つの神
に限定されず、信仰の種類や時代ごとに異なる性格と名称を持
ついくつかの神または仏が信仰されていた。(※2)「禅定」
とは本来は心を静めて一つの対象に集中する宗教的瞑想・状態
、あるいはその結果仏と一体化することを示す言葉であり、そ
の後、主に修験道において富士山などの霊山に登って修行する
省22
227: (ワッチョイ ef0c-jocT) 2018/01/10(水)12:15 ID:He8C3ID40(116/193) AAS
によって受け継がれ、富士山は日本を代表する神聖な山として知
られている。(※1)この神は、1868年の神仏分離令まで神
仏習合の影響を受け仏の化身と考えられていた。また、この神は
一つの神に限定されず、信仰の種類や時代ごとに異なる性格と名
称を持ついくつかの神または仏が信仰されていた。(※2)「禅
定」とは本来は心を静めて一つの対象に集中する宗教的瞑想・状
態、あるいはその結果仏と一体化することを示す言葉であり、そ
の後、主に修験道において富士山などの霊山に登って修行するこ
とも意味するようになった。写真「絹本著色冨士曼荼羅図」(部
分:16世紀ごろ)30「絹本著色冨士曼荼羅図」(16世紀ご
省22
228: (ワッチョイ ef0c-8avC) 2018/01/10(水)12:15 ID:He8C3ID40(117/193) AAS
は他界(死後世界)とされてきた。このため富士山では富士山の神(※1)を祀っ
た山麓の浅間神社における遥拝活動とともに、以下の絵図(類似の登山案内図が数
多く作成された)に示されたように、雲上の神仏の世界へ一定の儀礼に従って参詣
する「登拝」を中心に、富士山体・周辺にある富士山の火山活動によって生成され
神聖な意味を持つとされた風穴・溶岩樹型・湖沼・滝・湧水地などを巡礼し、修行
することで治病・除災などの超自然的力を獲得し、罪や穢れを消して生まれ変わる
(擬死再生)と考える「富士山禅定」(※2)と呼ばれる行為(儀礼・活動)が成
立し、18〜19世紀にかけて富士山は体系化された登拝のための宗教施設も含め
、大規模な大衆による宗教的登山を代表する存在となっていた。このような自然へ
の畏敬という日本の宗教観の根本を基盤とし、神仙思想(道教)や仏教(特に密教
省14
229: (ワッチョイ ef0c-aKZ8) 2018/01/10(水)12:16 ID:drxMNnZ10(63/104) AAS
麓の草原地帯(「草山」、「カヤ原」などと呼ばれた)にある
神社・水垢離場で身を清め、森林地帯(「木山」、「深山」な
どと呼ばれた)の山中の宗教施設等を順に経ながら、砂礫地帯
(「焼山」、「ハゲ山」などと呼ばれた)の神仏の世界あるい
は他界に至るイメージで認知されるようになり、同時期に絵画
や文学作品において典型的な富士山像が成立したことを背景に
、「絹本著色冨士曼荼羅図」を代表例とする信仰上の景観認識
が成立した。17世紀以降はこれらの典型的な認識を基に、さ
らに多様な信仰上の認識(※3)が模索され、「富士講」と呼
ばれる富士山信仰集団の隆盛や交流人口の拡大などにより、1
省22
230: (ワッチョイ ef0c-jocT) 2018/01/10(水)12:21 ID:He8C3ID40(118/193) AAS
礫地帯(「焼山」、「ハゲ山」などと呼ばれた)の神仏の世界あ
るいは他界に至るイメージで認知されるようになり、同時期に絵
画や文学作品において典型的な富士山像が成立したことを背景に
、「絹本著色冨士曼荼羅図」を代表例とする信仰上の景観認識が
成立した。17世紀以降はこれらの典型的な認識を基に、さらに
多様な信仰上の認識(※3)が模索され、「富士講」と呼ばれる
富士山信仰集団の隆盛や交流人口の拡大などにより、18世紀後
半から19世紀にかけてほとんどの日本人に富士山の神聖な山と
231: (ワッチョイ ef0c-8avC) 2018/01/10(水)12:21 ID:He8C3ID40(119/193) AAS
設を経て山頂に参詣する体系化された宗教的儀礼・活動が15〜16世紀にかけて
発達し、18〜19世紀にかけて完成された。この過程において、日本における山
に対する固有の文化的伝統や富士山により生み出された芸術活動を背景として、富
士山の宗教施設、そこでの儀礼・活動は富士山の自然環境と一体となって宗教的な
意味を持つ景観として認知され、これが宗教的絵画等で表現されることにより、多
くの人々に富士山が神聖な山であるとの認識がより強固に定着し、日本写真上図拡
大部分宗教施設水垢離場における山と人間の良好な関係の形成に影響を与えた。し
たがって、富士山への信仰の形成過程を通じて定着した富士山の景観認識は近代工
業社会以前の段階における山と人間との精神的関係を表す景観の顕著な見本である
。・山と人間との精神的な関係を表す景観の顕著な見本富士山では噴火が沈静化し
省14
232: (ワッチョイ ef0c-aKZ8) 2018/01/10(水)12:22 ID:drxMNnZ10(64/104) AAS
富士山の特色は古くから様々な芸術活動の母胎ともなり、「万
葉集」や「竹取物語」をはじめとする日本固有の和歌、俳句、
物語文学やこれらを主題とする絵画などの対象として日本人に
良く知られていた。特に富士山を題材にした「浮世絵」などは
海外にも広く知られ、近現代の西洋芸術に様々な影響を与えて
きた。したがって、富士山は、顕著な普遍的意義を持つ生きた
伝統、芸術的作品・文学的作品と直接的・実質的に関連がある
景観である。・顕著な普遍的意義を持つ生きた伝統との直接的
・実質的関連アジア地域、特に東アジア地域では特異な形態を
持った山岳の空間を神聖視し、仏教(特に密教)や道教(神仙
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