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【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)【ダメ工作員】 (353レス)
【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)【ダメ工作員】 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515478893/
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119: 底名無し沼さん (ワッチョイ ef0c-jocT) [sage] 2018/01/10(水) 08:06:43.11 ID:He8C3ID40 回世界ジャンボリーも開催されている。ダイヤモンド富士−ダイ ヤモンド富士などがはっきりと拝める田貫湖や山中湖といったス ポットも有名で、特に写真撮影を目的として訪れる観光客もいる 。ドライブ−富士スバルラインや富士山スカイラインなどを利用 して、5合目までマイカーで上がることができる。シーズン中は マイカー規制の期間があり、冬期は閉鎖される。富士山の日(2 月23日)2月23日を「2:ふ・2:じ・3:さん」と語呂合 わせで読み「富士山の日」として制定している自治体がある。2 001年(平成13年)山梨県富士河口湖町(当時は河口湖町) にて条例を制定。2002年(平成14年)山梨県富士吉田市を 中心に、山梨県の富士山麓10市町村、2恩賜林組合が了承。2 009年(平成21年)12月21日静岡県議会にて条例を全会 一致で可決。同年12月25日条例を制定。静岡県、山梨県どち らも、富士山は普段の生活に溶け込み過ぎており、「あって当た り前」の空気のような存在である。そのため「富士山の日」に、 各自治体や県内企業などがさまざまなイベント等を催し、参加す る事など通じて、身近すぎる富士山を改めて、日本のシンボルと しても名高い名峰として再認識する機会としている。また併せて 富士山の世界遺産登録に向けた動きを地元から活発化したいとの 期待も込められている。静岡県教育委員会で、各市町村に対して 2011年(平成23年)より「富士山の日」を学校休業日とす るよう要望した。休業日として組み込んだ自治体があるなか、麓 である富士市教育委員会では「特定日を学校休業日とすることは なじまない」という理由で、2011年以降休業日としていない 。ただし富士山の日の意義から、学校で学べる場の提供や、富士 山こどもの国の無料開放、図書館や博物館などの社会教育施設に も富士山の日にちなんだ事業実施を要請している。なお、富士山 の日を最初に宣言したのは、パソコン通信「NIFTY−Ser ve」内の「山の展望と地図のフォーラム(FYAMAP)」で 、1996年1月1日にネット上で発表した。富士山ナンバー静 岡運輸支局管内の4市2町と山梨運輸支局管内の1市2町4村を 対象とした、いわゆるご当地ナンバーとして2008年11月4 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515478893/119
120: 底名無し沼さん (ワッチョイ ef0c-aKZ8) [sage] 2018/01/10(水) 08:07:43.83 ID:drxMNnZ10 岡県学術日本政府が世界遺産一覧表への記載を推薦する「富士 山」は、東アジアの東端に当たる日本列島の本州島の中央部、 日本の東海地方の東部及び関東地方の西部に位置する。推薦す る資産は17個の構成資産(26個の構成要素(後述))から 成り、現行の行政区分に基づく各構成資産の所在地については 以下に記すとおりである。構成資産所在地No.所在地座標計 測位置緯度経度A静岡県(富士宮市・富士市・裾野市・御殿場 市・小山町)山梨県(富士吉田市・身延町・鳴沢村・富士河口 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515478893/120
121: 底名無し沼さん (ワッチョイ ef0c-jocT) [sage] 2018/01/10(水) 08:13:46.10 ID:He8C3ID40 日から富士山ナンバーの交付が開始された。管轄支局が二県にま たがるナンバープレートは珍しい。富士山検定「富士山検定実行 委員会」が主催する富士山検定が、富士商工会議所、富士吉田商 工会議所、静岡新聞社・静岡放送、山梨日日新聞社・山梨放送、 NPO法人富士山検定協会の5者により行われている。地域間交 流富士山頂の湧水を琵琶湖へ、琵琶湖の水を富士山頂へ注ぐ交流 が昭和三十二年以降静岡県富士宮市と滋賀県近江八幡市の間で続 けられている。これは「近江の土を掘り富士山を作りその穴が琵 琶湖になった」という伝説からである。富士山頂の湧水を琵琶湖 へ注ぐことを「お水返し」といい、琵琶湖の水を富士山頂へ注ぐ ことを「お水取り」という。2014年には日本富士山協会と中 華民国山岳協会との間で、富士山と玉山の友好山提携が締結され ている。標高3,952メートルの玉山は台湾の日本統治時代に 新高山と呼ばれ、日本の最高峰であった。その他他山の標高玉山 (台湾)−日本統治時代は新高山と呼ばれ、日本最高峰であった 。標高3,952メートル。雪山(台湾)−日本統治時代は次高 山と呼ばれ、日本で2番目に高い山であった。標高3,886メ ートル。北岳−日本で2番目に高い山。標高3,193メートル 。日和山(仙台市)−日本で最も低い山。標高3メートル。エベ レスト−世界最高峰。標高8,844メートル。文字この節には 、一部のコンピュータや閲覧ソフトで表示できない文字(Uni code6.0の絵文字)が含まれています。和文通話表で、「 ふ」を送る際に「富士山のフ」という。文字コードのUnico de6.0では、携帯電話などで使われていた絵文字も追加され たが、その中に「MOUNTFUJI」として富士山も含まれて いる。続けられている。これは「近江の土を掘り富士山を作りそ の穴が琵琶湖になった」という伝説からである。富士山頂の湧水 を琵琶湖へ注ぐことを「お水返し」といい、琵琶湖の水を富士山 頂へ注ぐことを「お水取り」という[82][83]。2014 年には日本富士山協会と中華民国山岳協会との間で、富士山と玉 山の友好山提携が締結されている[84]。標高3,952メー トルの玉山は台湾の日本統治時代に新高山と呼ばれ、日本の最高 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515478893/121
122: 底名無し沼さん (ワッチョイ ef0c-8avC) [sage] 2018/01/10(水) 08:14:16.04 ID:He8C3ID40 ートル。エベレスト−世界最高峰。標高8,844メートル。文字[編集]この節 には、一部のコンピュータや閲覧ソフトで表示できない文字(Unicode6. 0の絵文字)が含まれています(詳細)。和文通話表で、「ふ」を送る際に「富士 山のフ」という。文字コードのUnicode6.0では、携帯電話などで使われ ていた絵文字も追加されたが、その中に「MOUNTFUJI」として富士山も含 まれている。富士山世界文化遺産平成22年度第1回静岡県学術日本政府が世界遺 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515478893/122
123: 底名無し沼さん (ワッチョイ ef0c-aKZ8) [sage] 2018/01/10(水) 08:14:48.43 ID:drxMNnZ10 湖町)県境未確定地富士山(山頂剣ヶ峰)資産範囲及び緩衝地 帯の範囲図資産と緩衝地帯の位置及び範囲を示す図面、並びに 資産近傍における法的保護区分を示す図面は以下のとおりであ る。f)資産面積及び緩衝地帯の面積各構成資産の面積及びそ の緩衝地帯の面積、資産の総面積及びその緩衝地帯の総面積に ついては、以下に記すとおりである。構成資産面積:緩衝地帯 面積:合計:No.構成資産の面積(ha)緩衝地帯の面積( ha)合計説明a)資産の説明1)資産全体の説明富士山は、 標高3776mと日本一の高さを誇る独立峰である。高度を増 すごとに山腹の傾斜が急になる美しい懸垂曲線を呈し、類まれ な優美さを持つ円錐形の山容を有した玄武岩質成層火山である 。その山体は南の駿河湾の海浜にまで及び、海面からの実質的 な高さは世界的にも有数である。富士山は、日本列島のほぼ中 央に位置し、フィリピン海プレート、ユーラシアプレート、北 アメリカプレートの三つのプレートが会合し、さらにその下に 東側から巨大な太平洋プレートが沈み込んでいる特異な地点に 存在する。富士山は、新生代第三紀中新世のおもに海底火山噴 出物からなる地層の上に第四紀更新世に造り上げられた先小御 岳火山とそれに重なる小御岳火山を土台として、古富士、さら にそれを覆う新富士山の4層構造で構成されている。山頂部の 火口はおよそ2200年前を最後に噴火していないが、フィリ ピン海プレートが北進しユーラシアプレートを南南東方向から 押し続けているため割れ目が発生することによって、山頂を通 って北北西に向かう方向にほぼ直線的に側火山が並び、有史以 降も火山活動を行ってきた。富士山が過去に流出した溶岩など の火山噴出物は、適度な粘度を持つために美しいコニーデ型の 山容を形成しながら、山頂を中心として約15〜20km(最 大約30km)の範囲に広がった。山麓には数多くの風穴・溶 岩樹型等の地形が見られ、溶岩流の末端部では富士山の中腹以 上への降水を起源とする豊富な湧水(日量約450〜680万 t、現在最大の湧水は日量約100万tの柿田川)が見られる 。富士山北麓ではこれらの湧水や降水を起源とする湖沼が点在 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515478893/123
124: 底名無し沼さん (ワッチョイ ef0c-jocT) [sage] 2018/01/10(水) 08:20:50.94 ID:He8C3ID40 峰であった。その他[編集]他山の標高[編集]玉山(台湾)− 日本統治時代は新高山と呼ばれ、日本最高峰であった。標高3, 952メートル。雪山(台湾)−日本統治時代は次高山と呼ばれ 、日本で2番目に高い山であった。標高3,886メートル。北 岳−日本で2番目に高い山。標高3,193メートル。日和山( 仙台市)−日本で最も低い山。標高3メートル。エベレスト−世 界最高峰。標高8,844メートル。文字[編集]この節には、 一部のコンピュータや閲覧ソフトで表示できない文字(Unic ode6.0の絵文字)が含まれています(詳細)。和文通話表 で、「ふ」を送る際に「富士山のフ」という。文字コードのUn icode6.0では、携帯電話などで使われていた絵文字も追 加されたが、その中に「MOUNTFUJI」として富士山も含 まれている。富士山世界文化遺産平成22年度第1回静岡県学術 日本政府が世界遺産一覧表への記載を推薦する「富士山」は、東 アジアの東端に当たる日本列島の本州島の中央部、日本の東海地 方の東部及び関東地方の西部に位置する。推薦する資産は17個 の構成資産(26個の構成要素(後述))から成り、現行の行政 区分に基づく各構成資産の所在地については以下に記すとおりで ある。構成資産所在地No.所在地座標計測位置緯度経度A静岡 県(富士宮市・富士市・裾野市・御殿場市・小山町)山梨県(富 士吉田市・身延町・鳴沢村・富士河口湖町)県境未確定地富士山 (山頂剣ヶ峰)資産範囲及び緩衝地帯の範囲図資産と緩衝地帯の 位置及び範囲を示す図面、並びに資産近傍における法的保護区分 を示す図面は以下のとおりである。f)資産面積及び緩衝地帯の 面積各構成資産の面積及びその緩衝地帯の面積、資産の総面積及 びその緩衝地帯の総面積については、以下に記すとおりである。 構成資産面積:緩衝地帯面積:合計:No.構成資産の面積(h a)緩衝地帯の面積(ha)合計説明a)資産の説明1)資産全 体の説明富士山は、標高3776mと日本一の高さを誇る独立峰 である。高度を増すごとに山腹の傾斜が急になる美しい懸垂曲線 を呈し、類まれな優美さを持つ円錐形の山容を有した玄武岩質成 層火山である。その山体は南の駿河湾の海浜にまで及び、海面か http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515478893/124
125: 底名無し沼さん (ワッチョイ ef0c-8avC) [sage] 2018/01/10(水) 08:21:21.15 ID:He8C3ID40 産一覧表への記載を推薦する「富士山」は、東アジアの東端に当たる日本列島の本 州島の中央部、日本の東海地方の東部及び関東地方の西部に位置する。推薦する資 産は17個の構成資産(26個の構成要素(後述))から成り、現行の行政区分に 基づく各構成資産の所在地については以下に記すとおりである。構成資産所在地N o.所在地座標計測位置緯度経度A静岡県(富士宮市・富士市・裾野市・御殿場市 ・小山町)山梨県(富士吉田市・身延町・鳴沢村・富士河口湖町)県境未確定地富 士山(山頂剣ヶ峰)資産範囲及び緩衝地帯の範囲図資産と緩衝地帯の位置及び範囲 を示す図面、並びに資産近傍における法的保護区分を示す図面は以下のとおりであ る。f)資産面積及び緩衝地帯の面積各構成資産の面積及びその緩衝地帯の面積、 資産の総面積及びその緩衝地帯の総面積については、以下に記すとおりである。構 成資産面積:緩衝地帯面積:合計:No.構成資産の面積(ha)緩衝地帯の面積 (ha)合計説明a)資産の説明1)資産全体の説明富士山は、標高3776mと 日本一の高さを誇る独立峰である。高度を増すごとに山腹の傾斜が急になる美しい 懸垂曲線を呈し、類まれな優美さを持つ円錐形の山容を有した玄武岩質成層火山で ある。その山体は南の駿河湾の海浜にまで及び、海面からの実質的な高さは世界的 にも有数である。富士山は、日本列島のほぼ中央に位置し、フィリピン海プレート 、ユーラシアプレート、北アメリカプレートの三つのプレートが会合し、さらにそ の下に東側から巨大な太平洋プレートが沈み込んでいる特異な地点に存在する。富 士山は、新生代第三紀中新世のおもに海底火山噴出物からなる地層の上に第四紀更 新世に造り上げられた先小御岳火山とそれに重なる小御岳火山を土台として、古富 士、さらにそれを覆う新富士山の4層構造で構成されている。山頂部の火口はおよ そ2200年前を最後に噴火していないが、フィリピン海プレートが北進しユーラ シアプレートを南南東方向から押し続けているため割れ目が発生することによって 、山頂を通って北北西に向かう方向にほぼ直線的に側火山が並び、有史以降も火山 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515478893/125
126: 底名無し沼さん (ワッチョイ ef0c-aKZ8) [sage] 2018/01/10(水) 08:21:49.36 ID:drxMNnZ10 している。上記のような自然的環境を持つ富士山は、古来自然 物、特に山岳に対する信仰の伝統を持っていた日本人に畏敬の 念を抱かせ、日本における様々な宗教の融合した信仰の対象と された。遥拝や山中での修行のみならず、神仏の在所と考えら れた山頂への登山という宗教行為が一般化するとともに、山体 及び山麓周辺に神社などの宗教施設や風穴・湧水といった自然 物・自然現象を起源とする霊地・巡礼地が設けられ、登山のた めの道や施設及びそれを支援する包括的なシステムが作られた 。標高約2500m付近の森林限界より上方は富士講(富士山 信仰の集団の一つ)信者には「焼山」と呼ばれ、神聖な地域な いし他界(死後世界)と考えられていた。北麓地域ではさらに 、山体を上方から順に「焼山」(森林限界以上)、「木山」( 森林地帯)、「草山」(草原地帯)と呼び習わし、俗界(「草 山」)と死の世界(「焼山」)を往復することでこの世の罪と 穢れを消すという富士登拝の区分と関連付けていた。森林地帯 は神聖な地域の入口の一つとされる一方で木材の伐採等生活の ために利用される地域でもあった。また、富士山山麓に見られ る湧水は登山前に身を清めるために必須のものであり、現代に おいても柿田川をはじめ各所で「霊水」として取り扱われてい る。また、富士山の稜線、冬季に一般的に見られる雪を戴いた 姿、周辺の湖や海岸線などの展望地から眺めた景観などが時代 を超えて多くの人々に神秘的な美しさとして賞賛され、芸術的 な創造意欲を掻き立てた。富士山体のうち、標高約1500m 以上の範囲は、周辺の浅間神社や展望地点から見た可視領域が 重なり合う範囲で、芸術・鑑賞の側面における比重が最も高い 。各登山道における山体の神聖性に関する境界の一つである「 馬返」(乗馬登山が物理的にも、宗教的観点からも不可能にな る地点)の標高以上の範囲とほぼ一致している。地元住民が、 とりわけこの「馬返」より上を指して「オヤマ」又は「オヤマ サマ」と呼び、富士山の範囲とみなす地域もあった。景観的に は山体の傾斜角の変化率が大きくなり「平野部」と「山体」の 境界として認識され、稜線が優美な曲線を描き絵画などの対象 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515478893/126
127: 底名無し沼さん (ワッチョイ ef0c-jocT) [sage] 2018/01/10(水) 08:27:11.96 ID:He8C3ID40 らの実質的な高さは世界的にも有数である。富士山は、日本列島 のほぼ中央に位置し、フィリピン海プレート、ユーラシアプレー ト、北アメリカプレートの三つのプレートが会合し、さらにその 下に東側から巨大な太平洋プレートが沈み込んでいる特異な地点 に存在する。富士山は、新生代第三紀中新世のおもに海底火山噴 出物からなる地層の上に第四紀更新世に造り上げられた先小御岳 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515478893/127
128: 底名無し沼さん (ワッチョイ ef0c-8avC) [sage] 2018/01/10(水) 08:27:40.08 ID:He8C3ID40 活動を行ってきた。富士山が過去に流出した溶岩などの火山噴出物は、適度な粘度 を持つために美しいコニーデ型の山容を形成しながら、山頂を中心として約15〜 20km(最大約30km)の範囲に広がった。山麓には数多くの風穴・溶岩樹型 等の地形が見られ、溶岩流の末端部では富士山の中腹以上への降水を起源とする豊 富な湧水(日量約450〜680万t、現在最大の湧水は日量約100万tの柿田 川)が見られる。富士山北麓ではこれらの湧水や降水を起源とする湖沼が点在して いる。上記のような自然的環境を持つ富士山は、古来自然物、特に山岳に対する信 仰の伝統を持っていた日本人に畏敬の念を抱かせ、日本における様々な宗教の融合 した信仰の対象とされた。遥拝や山中での修行のみならず、神仏の在所と考えられ た山頂への登山という宗教行為が一般化するとともに、山体及び山麓周辺に神社な どの宗教施設や風穴・湧水といった自然物・自然現象を起源とする霊地・巡礼地が 設けられ、登山のための道や施設及びそれを支援する包括的なシステムが作られた 。標高約2500m付近の森林限界より上方は富士講(富士山信仰の集団の一つ) 信者には「焼山」と呼ばれ、神聖な地域ないし他界(死後世界)と考えられていた 。北麓地域ではさらに、山体を上方から順に「焼山」(森林限界以上)、「木山」 (森林地帯)、「草山」(草原地帯)と呼び習わし、俗界(「草山」)と死の世界 (「焼山」)を往復することでこの世の罪と穢れを消すという富士登拝の区分と関 連付けていた。森林地帯は神聖な地域の入口の一つとされる一方で木材の伐採等生 活のために利用される地域でもあった。また、富士山山麓に見られる湧水は登山前 に身を清めるために必須のものであり、現代においても柿田川をはじめ各所で「霊 水」として取り扱われている。また、富士山の稜線、冬季に一般的に見られる雪を 戴いた姿、周辺の湖や海岸線などの展望地から眺めた景観などが時代を超えて多く の人々に神秘的な美しさとして賞賛され、芸術的な創造意欲を掻き立てた。富士山 体のうち、標高約1500m以上の範囲は、周辺の浅間神社や展望地点から見た可 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515478893/128
129: 底名無し沼さん (ワッチョイ ef0c-aKZ8) [sage] 2018/01/10(水) 08:28:09.54 ID:drxMNnZ10 とされることが多い範囲である。2)資産の構成推薦資産は、 日本列島のほぼ中央に位置する富士山体と、周辺の浅間神社や 御師住宅、霊地・巡礼地である風穴・溶岩樹型・湖沼、芸術作 品の視点場(又は舞台)となった地点から構成される。富士山 体の中には山頂信仰遺跡や登山道などの重要な要素が含まれて いる。これらの構成資産が一体となった推薦資産「富士山」は 、山に対する固有の文化的伝統を表す物証であり、山と人間と の精神的な関係を生み出した景観の見本であるとともに、芸術 的作品との関連がある山岳である。表構成資産/構成要素の分 類No.世界遺産条約上の分類遺跡A1山頂信仰遺跡遺跡A2 大宮・村山口登山道遺跡A3須山口登山道遺跡A4須走口登山 道遺跡A5吉田口登山道遺跡A6北口本宮冨士浅間神社遺跡、 記念工作物、建造物A7西湖遺跡A8精進湖遺跡A9本栖湖遺 跡B1遺跡、記念工作物、建造物B2遺跡B3遺跡B4遺跡B 5遺跡B6遺跡B7遺跡、記念工作物、建造物B8建造物B9 遺跡B10遺跡B11遺跡B12遺跡B13遺跡B14遺跡B 15遺跡C遺跡A富士山(富士山体)富士山本宮浅間大社山宮 浅間神社河口湖村山浅間神社須山浅間神社富士浅間神社(須走 浅間神社)河口浅間神社白糸ノ滝三保松原構成資産/構成要素 忍野八海船津胎内樹型吉田胎内樹型人穴富士講遺跡冨士御室浅 間神社御師住宅山中湖673)構成資産の説明富士山(富士山 体)・展望地点富士山には、山頂部に点在する宗教関連施設を 始め、信仰登山の支援施設として機能してきた登山道や山小屋 といった宿泊施設、信仰の証として建てられた石碑などが存在 する。推薦範囲は、周辺の浅間神社や展望地点から見た可視領 域が重なり合う範囲で、芸術・鑑賞の側面における比重が最も 高い。特に本栖湖や三保松原は、何度も紙幣の図柄に採用され た写真の撮影地や富士山を描く典型的な構図に含まれる景勝地 であり、主要な展望を供する展望地点である。また推薦範囲は 、山体の神聖性の境界の一つである「馬返」以上に該当する標 高1500m以上の区域でもあり、その中でも、他界(死後世 界)と考えられた森林限界より上方、富士山本宮浅間大社の境 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515478893/129
130: 底名無し沼さん (ワッチョイ ef0c-jocT) [sage] 2018/01/10(水) 08:33:29.01 ID:He8C3ID40 火山とそれに重なる小御岳火山を土台として、古富士、さらにそ れを覆う新富士山の4層構造で構成されている。山頂部の火口は およそ2200年前を最後に噴火していないが、フィリピン海プ レートが北進しユーラシアプレートを南南東方向から押し続けて いるため割れ目が発生することによって、山頂を通って北北西に 向かう方向にほぼ直線的に側火山が並び、有史以降も火山活動を 行ってきた。富士山が過去に流出した溶岩などの火山噴出物は、 適度な粘度を持つために美しいコニーデ型の山容を形成しながら 、山頂を中心として約15〜20km(最大約30km)の範囲 に広がった。山麓には数多くの風穴・溶岩樹型等の地形が見られ 、溶岩流の末端部では富士山の中腹以上への降水を起源とする豊 富な湧水(日量約450〜680万t、現在最大の湧水は日量約 100万tの柿田川)が見られる。富士山北麓ではこれらの湧水 や降水を起源とする湖沼が点在している。上記のような自然的環 境を持つ富士山は、古来自然物、特に山岳に対する信仰の伝統を 持っていた日本人に畏敬の念を抱かせ、日本における様々な宗教 の融合した信仰の対象とされた。遥拝や山中での修行のみならず 、神仏の在所と考えられた山頂への登山という宗教行為が一般化 するとともに、山体及び山麓周辺に神社などの宗教施設や風穴・ 湧水といった自然物・自然現象を起源とする霊地・巡礼地が設け られ、登山のための道や施設及びそれを支援する包括的なシステ ムが作られた。標高約2500m付近の森林限界より上方は富士 講(富士山信仰の集団の一つ)信者には「焼山」と呼ばれ、神聖 な地域ないし他界(死後世界)と考えられていた。北麓地域では さらに、山体を上方から順に「焼山」(森林限界以上)、「木山 」(森林地帯)、「草山」(草原地帯)と呼び習わし、俗界(「 草山」)と死の世界(「焼山」)を往復することでこの世の罪と 穢れを消すという富士登拝の区分と関連付けていた。森林地帯は 神聖な地域の入口の一つとされる一方で木材の伐採等生活のため に利用される地域でもあった。また、富士山山麓に見られる湧水 は登山前に身を清めるために必須のものであり、現代においても 柿田川をはじめ各所で「霊水」として取り扱われている。また、 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515478893/130
131: 底名無し沼さん (ワッチョイ ef0c-aKZ8) [sage] 2018/01/10(水) 08:34:30.54 ID:drxMNnZ10 内地とされた八合目(登山道を10区間に分割した目安の一つ 。登山道ごとに異なり標高約3200〜3375m)以上と、 山頂に近づくほどより強い神聖性を持つと認識されてきた。A 富士山(富士山体)A1山頂信仰遺跡A9本栖湖C三保松原( 写真複数、地図挿入)(改頁)登山道富士山には、麓の浅間神 社を起点として山頂に至る登山道が、複数存在する。12世紀 前半から中ごろにかけての修行僧末代の活動がきっかけになっ たと考えられる大宮・村山口登山道や、六合目から1384年 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515478893/131
132: 底名無し沼さん (ワッチョイ ef0c-jocT) [sage] 2018/01/10(水) 08:40:34.66 ID:He8C3ID40 富士山の稜線、冬季に一般的に見られる雪を戴いた姿、周辺の湖 や海岸線などの展望地から眺めた景観などが時代を超えて多くの 人々に神秘的な美しさとして賞賛され、芸術的な創造意欲を掻き 立てた。富士山体のうち、標高約1500m以上の範囲は、周辺 の浅間神社や展望地点から見た可視領域が重なり合う範囲で、芸 術・鑑賞の側面における比重が最も高い。各登山道における山体 の神聖性に関する境界の一つである「馬返」(乗馬登山が物理的 にも、宗教的観点からも不可能になる地点)の標高以上の範囲と ほぼ一致している。地元住民が、とりわけこの「馬返」より上を 指して「オヤマ」又は「オヤマサマ」と呼び、富士山の範囲とみ なす地域もあった。景観的には山体の傾斜角の変化率が大きくな り「平野部」と「山体」の境界として認識され、稜線が優美な曲 線を描き絵画などの対象とされることが多い範囲である。2)資 産の構成推薦資産は、日本列島のほぼ中央に位置する富士山体と 、周辺の浅間神社や御師住宅、霊地・巡礼地である風穴・溶岩樹 型・湖沼、芸術作品の視点場(又は舞台)となった地点から構成 される。富士山体の中には山頂信仰遺跡や登山道などの重要な要 素が含まれている。これらの構成資産が一体となった推薦資産「 富士山」は、山に対する固有の文化的伝統を表す物証であり、山 と人間との精神的な関係を生み出した景観の見本であるとともに 、芸術的作品との関連がある山岳である。表構成資産/構成要素 の分類No.世界遺産条約上の分類遺跡A1山頂信仰遺跡遺跡A 2大宮・村山口登山道遺跡A3須山口登山道遺跡A4須走口登山 道遺跡A5吉田口登山道遺跡A6北口本宮冨士浅間神社遺跡、記 念工作物、建造物A7西湖遺跡A8精進湖遺跡A9本栖湖遺跡B 1遺跡、記念工作物、建造物B2遺跡B3遺跡B4遺跡B5遺跡 B6遺跡B7遺跡、記念工作物、建造物B8建造物B9遺跡B1 0遺跡B11遺跡B12遺跡B13遺跡B14遺跡B15遺跡C 遺跡A富士山(富士山体)富士山本宮浅間大社山宮浅間神社河口 湖村山浅間神社須山浅間神社富士浅間神社(須走浅間神社)河口 浅間神社白糸ノ滝三保松原構成資産/構成要素忍野八海船津胎内 樹型吉田胎内樹型人穴富士講遺跡冨士御室浅間神社御師住宅山中 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515478893/132
133: 底名無し沼さん (ワッチョイ ef0c-8avC) [sage] 2018/01/10(水) 08:41:04.80 ID:He8C3ID40 建てられた石碑などが存在する。推薦範囲は、周辺の浅間神社や展望地点から見た 可視領域が重なり合う範囲で、芸術・鑑賞の側面における比重が最も高い。特に本 栖湖や三保松原は、何度も紙幣の図柄に採用された写真の撮影地や富士山を描く典 型的な構図に含まれる景勝地であり、主要な展望を供する展望地点である。また推 薦範囲は、山体の神聖性の境界の一つである「馬返」以上に該当する標高1500 m以上の区域でもあり、その中でも、他界(死後世界)と考えられた森林限界より http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515478893/133
134: 底名無し沼さん (ワッチョイ ef0c-aKZ8) [sage] 2018/01/10(水) 08:41:35.11 ID:drxMNnZ10 の銘のある掛仏が出土した須走口登山道などがある。吉田口登 山道は、富士講信者の登山本道とされ、18世紀後半以降、最 も多くの道者(他の登山口の合計と同程度)によって利用され た。また、1200年の資料では、大宮・村山口及び吉田口の 外、須山口登山道を挙げて、それ以外には登山道がないと述べ られている。登山道沿いには要所要所に祠や石碑が設置され、 随所に小屋や石室が設けられており、富士独特の登拝システム を語る上で、登山道は欠かすことのできない構成要素である。 A2大宮・村山口登山道A3須山口登山道A4須走口登山道A 5吉田口登山道(写真複数、地図挿入)(改頁)浅間神社・御 師住宅登山道の起点や周辺地域には浅間神社が建造された。古 くから富士山は遥拝の対象であり、山宮浅間神社などは古代か らの祭祀の形をとどめている。噴火活動の活発化を受け、律令 国家によって9世紀前半に富士山を神体とする浅間神社(後の 富士山本宮浅間大社)が、9世紀後半には北麓にも噴火を鎮め るための神社が祭祀された。11世紀後半の噴火を最後に火山 活動が休止期に入ると、富士山を舞台とする修験の活動が活発 化し始め、修験者の拠点が後に村山浅間神社や冨士御室浅間神 社へと発展していった。登拝の大衆化に伴って、須山浅間神社 や富士浅間神社(須走浅間神社)8など、登山口の起点にも浅 間神社が建立されるようになる。なかでも、北口本宮冨士浅間 神社は、江戸を中心に流行した富士講によって大いに利用され た吉田口登山道の起点であったが、その北には、富士講徒の案 内し、宿泊の世話や祈祷を行った御師の住宅が今も残されてい る。B1富士山本宮浅間大社B2山宮浅間神社B3村山浅間神 社B4須山浅間神社B5富士浅間神社(須走浅間神社)A6北 口本宮冨士浅間神社B8御師住宅B6河口浅間神社B7冨士御 室浅間神社(写真複数、地図挿入)(改頁)霊地・巡礼地とな った風穴・溶岩樹型・湧水地・湖沼18世紀後半から爆発的に 流行した富士講の信者は、山頂を目指して富士山に登るだけで なく、いわばオプショナル・ツアーのごとく周辺の風穴や湧水 地などを巡り、巡礼や修行を行っていた。富士講の開祖とされ http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515478893/134
135: 底名無し沼さん (ワッチョイ ef0c-jocT) [sage] 2018/01/10(水) 08:46:49.46 ID:He8C3ID40 湖673)構成資産の説明富士山(富士山体)・展望地点富士山 には、山頂部に点在する宗教関連施設を始め、信仰登山の支援施 設として機能してきた登山道や山小屋といった宿泊施設、信仰の 証として建てられた石碑などが存在する。推薦範囲は、周辺の浅 間神社や展望地点から見た可視領域が重なり合う範囲で、芸術・ 鑑賞の側面における比重が最も高い。特に本栖湖や三保松原は、 何度も紙幣の図柄に採用された写真の撮影地や富士山を描く典型 的な構図に含まれる景勝地であり、主要な展望を供する展望地点 である。また推薦範囲は、山体の神聖性の境界の一つである「馬 返」以上に該当する標高1500m以上の区域でもあり、その中 でも、他界(死後世界)と考えられた森林限界より上方、富士山 本宮浅間大社の境内地とされた八合目(登山道を10区間に分割 した目安の一つ。登山道ごとに異なり標高約3200〜3375 m)以上と、山頂に近づくほどより強い神聖性を持つと認識され てきた。A富士山(富士山体)A1山頂信仰遺跡A9本栖湖C三 保松原(写真複数、地図挿入)(改頁)登山道富士山には、麓の 浅間神社を起点として山頂に至る登山道が、複数存在する。12 世紀前半から中ごろにかけての修行僧末代の活動がきっかけにな ったと考えられる大宮・村山口登山道や、六合目から1384年 の銘のある掛仏が出土した須走口登山道などがある。吉田口登山 道は、富士講信者の登山本道とされ、18世紀後半以降、最も多 くの道者(他の登山口の合計と同程度)によって利用された。ま た、1200年の資料では、大宮・村山口及び吉田口の外、須山 口登山道を挙げて、それ以外には登山道がないと述べられている 。登山道沿いには要所要所に祠や石碑が設置され、随所に小屋や 石室が設けられており、富士独特の登拝システムを語る上で、登 山道は欠かすことのできない構成要素である。A2大宮・村山口 登山道A3須山口登山道A4須走口登山道A5吉田口登山道(写 真複数、地図挿入)(改頁)浅間神社・御師住宅登山道の起点や 周辺地域には浅間神社が建造された。古くから富士山は遥拝の対 象であり、山宮浅間神社などは古代からの祭祀の形をとどめてい る。噴火活動の活発化を受け、律令国家によって9世紀前半に富 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515478893/135
136: 底名無し沼さん (ワッチョイ ef0c-8avC) [sage] 2018/01/10(水) 08:47:17.70 ID:He8C3ID40 上方、富士山本宮浅間大社の境内地とされた八合目(登山道を10区間に分割した 目安の一つ。登山道ごとに異なり標高約3200〜3375m)以上と、山頂に近 づくほどより強い神聖性を持つと認識されてきた。A富士山(富士山体)A1山頂 信仰遺跡A9本栖湖C三保松原(写真複数、地図挿入)(改頁)登山道富士山には 、麓の浅間神社を起点として山頂に至る登山道が、複数存在する。12世紀前半か ら中ごろにかけての修行僧末代の活動がきっかけになったと考えられる大宮・村山 口登山道や、六合目から1384年の銘のある掛仏が出土した須走口登山道などが ある。吉田口登山道は、富士講信者の登山本道とされ、18世紀後半以降、最も多 くの道者(他の登山口の合計と同程度)によって利用された。また、1200年の 資料では、大宮・村山口及び吉田口の外、須山口登山道を挙げて、それ以外には登 山道がないと述べられている。登山道沿いには要所要所に祠や石碑が設置され、随 所に小屋や石室が設けられており、富士独特の登拝システムを語る上で、登山道は 欠かすことのできない構成要素である。A2大宮・村山口登山道A3須山口登山道 A4須走口登山道A5吉田口登山道(写真複数、地図挿入)(改頁)浅間神社・御 師住宅登山道の起点や周辺地域には浅間神社が建造された。古くから富士山は遥拝 の対象であり、山宮浅間神社などは古代からの祭祀の形をとどめている。噴火活動 の活発化を受け、律令国家によって9世紀前半に富士山を神体とする浅間神社(後 の富士山本宮浅間大社)が、9世紀後半には北麓にも噴火を鎮めるための神社が祭 祀された。11世紀後半の噴火を最後に火山活動が休止期に入ると、富士山を舞台 とする修験の活動が活発化し始め、修験者の拠点が後に村山浅間神社や冨士御室浅 間神社へと発展していった。登拝の大衆化に伴って、須山浅間神社や富士浅間神社 (須走浅間神社)8など、登山口の起点にも浅間神社が建立されるようになる。な かでも、北口本宮冨士浅間神社は、江戸を中心に流行した富士講によって大いに利 用された吉田口登山道の起点であったが、その北には、富士講徒の案内し、宿泊の http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515478893/136
137: 底名無し沼さん (ワッチョイ ef0c-aKZ8) [sage] 2018/01/10(水) 08:47:45.91 ID:drxMNnZ10 る長谷川角行は、人穴(富士講遺跡)で修行をし、富士五湖を 始めとした八つの湖沼や白糸ノ滝で水行を行った。後の富士講 徒はこれらの地へ参詣し、開祖に倣って修行を行う者もいた。 また、長谷川角行の八海修行になぞらえ「富士御手洗(みてら し)元八湖」と唱えられた忍野八海や、彼が北麓の洞穴で浅間 明神を祀ったことにちなんで整備された船津胎内樹型や吉田胎 内樹型など、特定の富士講にとっての霊場・巡礼地となってい る資産もある。B9山中湖B10河口湖A7西湖A8精進湖A 9本栖湖B11忍野八海B12船津胎内樹型B13吉田胎内樹 型B14人穴富士講遺跡B15白糸ノ滝(写真複数、地図挿入 )(改頁)A.富士山(富士山体)説明富士山には、山頂部に 点在する宗教関連施設を始め、信仰登山の支援施設として機能 してきた登山道や山小屋といった宿泊施設、信仰の証として建 てられた石碑などが存在する。推薦範囲は、周辺の浅間神社や 展望地点から見た可視領域が重なり合う範囲で、芸術・鑑賞の 側面における比重が9最も高い。また推薦範囲は、山体の神聖 性の境界の一つである「馬返」以上に該当する標高1500m 以上の区域でもあり、その中でも、他界(死後世界)と考えら れた森林限界より上方、富士山本宮浅間大社の境内地とされた 八合目(登山道を10区間に分割した目安の一つ。登山道ごと に異なり標高約3200〜3375m)以上と、山頂に近づく ほどより強い神聖性を持つと認識されてきた。八合目以上は、 1779年以降、富士山本宮浅間大社の境内地とされたが、こ の理由は八合目の標高とほぼ一致する噴火口(「内院」と呼び 宗教的に意義付けられている)の底部に浅間大神が鎮座すると の信仰に基づく。標高約2500m付近の森林限界より上方は 富士講信者(富士山信仰の集団の一つ)には「焼山」と呼ばれ 、神聖な地域ないし他界(死後世界)と考えられていた。ほぼ この境域に沿い、富士山体を一周する「御中道」が15〜16 世紀ごろに富士講の祖とされる長谷川角行によって開かれたと され(1561年及び1580年とされる)、その後「大沢崩 れ」という危険箇所を通るため富士講信者により修行の道とし http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515478893/137
138: 底名無し沼さん (ワッチョイ ef0c-jocT) [sage] 2018/01/10(水) 08:53:26.62 ID:He8C3ID40 士山を神体とする浅間神社(後の富士山本宮浅間大社)が、9世 紀後半には北麓にも噴火を鎮めるための神社が祭祀された。11 世紀後半の噴火を最後に火山活動が休止期に入ると、富士山を舞 台とする修験の活動が活発化し始め、修験者の拠点が後に村山浅 間神社や冨士御室浅間神社へと発展していった。登拝の大衆化に 伴って、須山浅間神社や富士浅間神社(須走浅間神社)8など、 登山口の起点にも浅間神社が建立されるようになる。なかでも、 北口本宮冨士浅間神社は、江戸を中心に流行した富士講によって http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515478893/138
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