[過去ログ] 【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)【ダメ工作員】 (353レス)
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134: (ワッチョイ ef0c-aKZ8) 2018/01/10(水)08:41 ID:drxMNnZ10(30/104) AAS
の銘のある掛仏が出土した須走口登山道などがある。吉田口登
山道は、富士講信者の登山本道とされ、18世紀後半以降、最
も多くの道者(他の登山口の合計と同程度)によって利用され
た。また、1200年の資料では、大宮・村山口及び吉田口の
外、須山口登山道を挙げて、それ以外には登山道がないと述べ
られている。登山道沿いには要所要所に祠や石碑が設置され、
随所に小屋や石室が設けられており、富士独特の登拝システム
を語る上で、登山道は欠かすことのできない構成要素である。
A2大宮・村山口登山道A3須山口登山道A4須走口登山道A
5吉田口登山道(写真複数、地図挿入)(改頁)浅間神社・御
師住宅登山道の起点や周辺地域には浅間神社が建造された。古
くから富士山は遥拝の対象であり、山宮浅間神社などは古代か
らの祭祀の形をとどめている。噴火活動の活発化を受け、律令
国家によって9世紀前半に富士山を神体とする浅間神社(後の
富士山本宮浅間大社)が、9世紀後半には北麓にも噴火を鎮め
るための神社が祭祀された。11世紀後半の噴火を最後に火山
活動が休止期に入ると、富士山を舞台とする修験の活動が活発
化し始め、修験者の拠点が後に村山浅間神社や冨士御室浅間神
社へと発展していった。登拝の大衆化に伴って、須山浅間神社
や富士浅間神社(須走浅間神社)8など、登山口の起点にも浅
間神社が建立されるようになる。なかでも、北口本宮冨士浅間
神社は、江戸を中心に流行した富士講によって大いに利用され
た吉田口登山道の起点であったが、その北には、富士講徒の案
内し、宿泊の世話や祈祷を行った御師の住宅が今も残されてい
る。B1富士山本宮浅間大社B2山宮浅間神社B3村山浅間神
社B4須山浅間神社B5富士浅間神社(須走浅間神社)A6北
口本宮冨士浅間神社B8御師住宅B6河口浅間神社B7冨士御
室浅間神社(写真複数、地図挿入)(改頁)霊地・巡礼地とな
った風穴・溶岩樹型・湧水地・湖沼18世紀後半から爆発的に
流行した富士講の信者は、山頂を目指して富士山に登るだけで
なく、いわばオプショナル・ツアーのごとく周辺の風穴や湧水
地などを巡り、巡礼や修行を行っていた。富士講の開祖とされ
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