[過去ログ] 【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)【ダメ工作員】 (353レス)
1-

このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています。
次スレ検索 歴削→次スレ 栞削→次スレ 過去ログメニュー
58: (ワッチョイ ef0c-aKZ8) 2018/01/10(水)05:41 ID:drxMNnZ10(3/104) AAS
顔を出しているような状態となっていたと見られるが、約2,
500?2,800年前、風化が進んだ古富士の山頂部が大規
模な山体崩壊(「御殿場岩なだれ」)を起こして崩壊した。新
富士の山頂から溶岩が噴出していたのは、約1万1千年前?約
8,000年前の3,000年間と、約4,500年前?約3
,200年前の1,300年間と考えられている。山頂部から
の最後の爆発的噴火は2300年前で、これ以降は山頂部から
の噴火は無いが、長尾山や宝永山などの側火山からの噴火が散
発的に発生している。延暦19年−21年(800年−802
年)に延暦噴火、貞観6年(864年)に青木が原溶岩を噴出
した貞観大噴火。最後に富士山が噴火したのは宝永4年(17
07年)の宝永大噴火で、噴煙は成層圏まで到達し、江戸では
約4cmの火山灰が降り積もった。また、宝永大噴火によって
富士山の山体に宝永山が形成された。その後も火山性の地震や
噴気が観測されており、今後も噴火の可能性が残されている。
噴火の年代が考証できる最も古い記録は、『続日本紀』に記述
されている、天応元年(781年)に富士山より降灰があった
くだりである。平安時代初期に成立した『竹取物語』にも、富
士山が作品成立の頃、活動期であったことを窺わせる記述があ
る。平安時代の歴史書『日本三代実録』には貞観大噴火の状況
が迫力ある文体で記載され、平安時代中期の『更級日記』には
、富士山の噴気や火映現象を表した描写がある。宝永大噴火に
ついての記録は、新井白石による『折りたく柴の記』をはじめ
とした文書、絵図等により多数残されている。その後も、噴煙
や鳴動の記録は多く残されているが、記述から見て短期間かつ
小規模な活動で終わったものと推測される。宝永大噴火以来3
00年にわたって噴火を起こしていないこともあり、1990
年代まで小学校などでは富士山は休火山と教えられていた。し
かし先述の通り富士山にはいまだ活発な活動が観測されており
、また気象庁が休火山という区分を廃止したことも重なり、現
在は活火山に区分されている。2013年7月20日、産業技
術総合研究所は、1999年から約15年分の踏査データや地
1-
あと 295 レスあります
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ AAサムネイル

ぬこの手 ぬこTOP 0.004s