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【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)6【ダメ工作員】 (335レス)
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123: 底名無し沼さん (ワッチョイ 6f0c-jusK [175.177.5.62]) [sage] 2018/01/12(金) 02:53:40.86 ID:ncJKes9f0 おり、遥拝所の主軸は富士山方向を向いている。発掘調査では1 2〜15世紀にかけての神事に使用されたと推定される破砕され た土器が遥拝所北側から多数出土し、当神社での宗教活動を裏付 けている。また、遅くとも1577年までには浅間大社との間で 「山宮御神幸」といわれる儀式が開始された。これは4月と11 月に神の宿った鉾を持ち、浅間大社から山宮浅間神社へ行き、神 事を行った後、翌日未明に浅間大社へ戻る行事である。行事の意 味として、現時点では神が4月に旧跡に戻るという解釈と、山に いる神が4月に田の神として里へ降りるという解釈がある。この 行事は1874年まで行われていた。なお、「山宮御神幸」に使 用される経路を御神幸道と称し、浅間大社湧玉池横より発し、約 600m東へ向かった後、ほぼ直角に曲がり直線状に北上して山 宮浅間神社に至る。道の出発点及び途中には1691年に置かれ た距離を示す石碑が少なくとも四箇所残っている。写真山宮浅間 神社の写真B3村山浅間神社山宮浅間神社の南東約4km、富士 山南麓に張り出した標高約500mのバルコニー状地形に位置し 、木花開花姫命を主祭神とする神社である。神社と一体化した範 囲には、現在別の宗教法人となった大日堂・水垢離場・護摩壇な どが存在している。これらは1868年の神仏分離令までは一体 のものであり、富士山興法寺(村山興法寺)と呼ばれていた。な お、周辺には興法寺の維持・運営にあたっていた道者坊の村山三 坊(池西坊・大鏡坊・辻之坊の三箇所)の跡が発掘調査によって 確認されている。その起源は、1149年の記録に見える修行僧 末代上人による富士山頂への大日寺の建立にあるとされる。末代 上人が富士山中又は村山の地に興法寺を建立したとの記録も残さ れている。これらの記録等から、12世紀中ごろに村山周辺にお いて修験道または密教系の宗教活動が行われていたと推測できる 。1259年には、現存する大日如来が寄進されたことを仏像の 銘で確認できる。末代以後、その流れを汲み富士山で修行する人 々が現れ、村山が富士山修験道(富士行)の拠点となったと考え られる。14世紀初めには僧の頼尊が修験者とその活動を組織化 し、興法寺を再興したとされる。15世紀に入ると興法寺 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515669648/123
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