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【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)6【ダメ工作員】 (335レス)
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240: 底名無し沼さん (ワッチョイ 6f0c-jusK [175.177.5.62]) [sage] 2018/01/12(金) 07:29:45.66 ID:ncJKes9f0 の扁額に記された「三国第一山」の書は輪王寺宮公弁親王の筆と される。写真社殿の写真図社殿の図面B7冨士御室浅間神社図以 下に示す要素が点在している平面図−58−冨士御室浅間神社は 、8世紀初めに吉田口登山道二合目に祭場をしつらえたのが最初 とされ、富士山中に祀られた最初の神社であるとする文献もある 。二合目本宮(もとみや)へは冬季の参拝に苦渋するため、95 8年、河口湖畔に現在の里宮が建立されたという。現在は二合目 にあった社殿も里宮の広い境内に敷地内に移設されている。修行 や登拝といった様々な富士信仰の拠点として位置づけられる二合 目の本宮と、土地の産土神としての里宮が一体となって機能して きた。顕著な普遍的価値を構成する諸要素としては、信仰拠点で ある二合目や本殿などがある。・吉田口二合目吉田口登山道二合 目に御室浅間名字(本宮)が鎮座した。御室浅間神社は木花開耶 姫を祭神とし、創立年代は詳らかでないが、社殿には和銅元年( 708)に祭場をしつらえたのが最初とされる。冨士山中最初の 社という。なお、平安末期には浅間神の信仰に修験道が習合して 、富士山が霊験所の一として広く知られていた。冨士修験の信仰 拠点は南口の村山であるが、北口の二合目、御室の地にも山内の 信仰拠点として行者堂が設置されていた。・本殿本殿は、161 2年に当時の甲斐国都留郡領主であった鳥居土佐守成次によって 桃山時代建築様式の神社建物に再建されたことが棟札から明らか にされている。大規模な入母屋造りの一間社で棟の高さは9.3 m、屋根は檜皮葺形の銅板葺である。蟇股や軒唐破風妻などにも 彫刻を飾るなど、桃山建築様式の特色が見られる。内部の色彩も 当初のものを良く残しており、建築年代の確実なこの時期の遺構 としては大変貴重な建造物である。写真本殿の写真図本殿の図面 B8御師住宅図御師住宅の位置図御師住宅は、富士講徒の案内を し、宿泊の世話や祈祷を行った御師の住宅兼宿坊である。御師屋 敷の多くは短冊状をなし、表通りに面して引き込み路を設け、敷 地を流れる水路の奥に建物がある。顕著な普遍的価値を構成する 諸要素として、最古の部類に入る旧外川家住宅などがある。・旧 外川家主屋、離座敷、中門主屋は妻入り形式の典型的な御 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515669648/240
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