[過去ログ] 【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)29【ダメ工作員】 (373レス)
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189: (ワッチョイ 460c-i6Og) 2018/02/10(土)06:24 ID:ShIwyzqc0(59/163) AAS
品や「浮世絵」などの秀麗で独自の絵画作品は、日本国内のみな
らず海外にも広く知られ、様々な影響を与えてきた。それらの作
品群は、地球上の特定の地域において独自の文化的伝統が形エムゾ
ネ成・発展するのに当たり、富士山が重要な源泉となった極めて
強力な関連性であることを示している。このような価値をもつ「
富士山」の構成資産は、山梨県と静岡県の二県にまたがって分布
している。これら一連の構成資産を世界文化遺産「富士山」の
190: (ワッチョイ 460c-i6Og) 2018/02/10(土)06:30 ID:ShIwyzqc0(60/163) AAS
ゾネ総体として確実に保存し、確実に次世代へと継承するために
は、両県共通の考え方を基に、各構成資産全体を一つの資産とし
て包括的に保存管理していくための方法を整理していく必要があ
ることから、個別の構成資産についての保存管理計画に加え、構
エムゾネ成資産相互の関係性を保全し全体の価値を継承していくた
めの包括的な保存管理計画を策定しておくことが必要である。そ
のため、山梨県・静岡県は、文化庁・環境省の指導・助言の下に
関係市町村、関係各機関等と調整を図り、本計画を策定した。「
富エムゾネ士山」包括的保存管理計画−5−各構成資産の都市計画
保存管理計画等観光計画(環境省・山梨県・静岡県・各市町村)
省18
191: (ワッチョイ 460c-i6Og) 2018/02/10(土)06:37 ID:ShIwyzqc0(61/163) AAS
の指導・助言エムゾネの下、201■年■月に策定した。(1)各
県における検討の経緯両県の経緯(包括的保存管理計画検討部会
と学術委員会)2007年11月29日平成19年第1回包括的
保存管理計画検討部会・包括保存管理計画の必要性・国内の世界
遺産における包エムゾネ括的保存管理計画の事例2007年12月
26日平成19年第2回包括的保存管理計画検討部会・目的と経
緯・構成資産の概要・保存管理の包括的な基本方針2008年3
月17日平成19年度第2回学術委員会・包括的保存管理計画検
討部会の審議結果エムゾネ2008年6月19日平成20年度第1
回包括的保存管理計画検討部会−6−・包括的保存管理計画の役
省18
192: (ワッチョイ 460c-i6Og) 2018/02/10(土)06:50 ID:ShIwyzqc0(62/163) AAS
1年度第2回静岡県保存管理計画策定協力者エムゾネ部会2010
年1月29日平成21年度第3回静岡県保存管理計画策定協力者
部会2010年3月16日平成21年度第3回山梨県・静岡県学
術委員会・保存管理計画の考え方について2010年6月30日
平成22年度第1回静岡県保存管理計画検討部エムゾネ会(2)学
術委員会・保存管理計画検討部会組織学術委員会及び保存管理計
画検討部会の組織は図に示すとおりである。また、その構成
193: (ワッチョイ 460c-i6Og) 2018/02/10(土)06:56 ID:ShIwyzqc0(63/163) AAS
〜のとおりである。(1)行政計画との関連・連携構成資産及び
緩衝地帯を有する山梨県・静岡県及び関係市町村エムゾネでは、ま
ちづくり、観光、防災などに関する各種計画を策定し、実施して
いる。これらの計画は、包括的保存管理計画と密接に関連し、日
常的に連携を図りつつ実施されている。表包括的保存管理計画に
関連する計画(山梨県)計画名称策定年等F資産にエムゾネ影響す
る可能性がある個別の開発計画大規模集客施設等の立地に関する
方針(山梨県)2010年1月ゴルフ場造成に事業に関する今後
の取扱いについて(山梨県)1993年10月−17−明神峠自
然環境保全地域保全計画昭和50年策定静岡県森林共エムゾネ生基
省18
194: (ワッチョイ 460c-i6Og) 2018/02/10(土)07:02 ID:ShIwyzqc0(64/163) AAS
造物記念工作物特別名勝史跡重要文化財A7西湖遺跡名勝A8精
進湖遺跡名勝A9本栖湖遺跡名勝BB1富士山本宮浅間大社遺跡
エムゾネ建造物記念工作物重文静岡県富士宮市B14人穴富士講遺
跡遺跡市史跡静岡県富士宮市NEB15白糸ノ滝遺跡名勝・天然
記念物静岡県富士宮市NEC三保松原文化的景観遺跡静岡県静岡
市NE2資産及び緩衝地帯等の範囲「富士山」の顕著な普遍的価
値エムゾネを表す構成資産の保護を確実にし、各構成資産における
富士山体への良好な眺望を保証するために、個々の構成資産の周
囲に必要十分な範囲の緩衝地帯を設定する。さらに、個々の構成
資産間の関係を良好に保ち、富士山の景観の一体性・連続性を保
省18
195: (ワッチョイ 460c-i6Og) 2018/02/10(土)07:08 ID:ShIwyzqc0(65/163) AAS
て約36度の広がりで設定した。この範囲については、文化財保
護法以外の法律を適用し、自然公園法、森林法、景観法で保護さ
れている。保全エムゾネ管理区域の範囲については、三保松原から
富士山を眺望する際、その阻害要因を軽減させるために、溶岩が
流出した範囲を基本として設定した。そのため、静岡県側におい
ては、裾野市、御殿場市、小山町に流出している溶岩流の範囲に
ついては、保全管エムゾネ理区域とはしていない。なお、保全管理
区域についても、森林法と景観法で保護されている。富士山山体
の東に位置する、演習場(北富士演習場・東富士演習場)につい
ては、従前より大規模開発が予定されていないことから、緩衝地
省18
196: (ワッチョイ 460c-i6Og) 2018/02/10(土)07:15 ID:ShIwyzqc0(66/163) AAS
約1500m以上の範囲である。この範囲は、富士山周辺の主要
な神社や景勝地から見た可視領域が重なり合う範囲であるととも
に、各登山道における山体の神エムゾネ聖性に関する境界の一つで
ある「馬返」の標高とほぼ一致する。なお、「馬返」とは、乗馬
登山が物理的にも、宗教的観点からも不可能になる地点を示す。
景観的には山体の傾斜角の変化率が大きくなり「平野部」と「山
体」の境界として認識され、稜線エムゾネが優美な曲線を描き
197: (ワッチョイ 460c-i6Og) 2018/02/10(土)07:22 ID:ShIwyzqc0(67/163) AAS
画などの対象とされることが多い範囲である。写真上空から見た
写真に資産範囲を線で示したもの(推薦原案と同じもの)−21
−−22−標高約2500m付近の森林限界より上方は富士講信
者には「焼山」と呼ばれ、神聖な地エムゾネ域あるいは死後世界で
ある「他界」と考えられていた。また、登山道ごとに標高は異な
るが、1779年以降、浅間大社の境内地とされてきた八合目以
上はより強い神聖性を持つとされる。理由は八合目の標高とほぼ
一致する噴火口である「内院」の底部エムゾネに浅間大神が鎮座す
るとの信仰に基づく。富士山頂へ向かい、登山の歴史の中で開鑿
された登山道が、現在の4本の登山道の起源となっている。また
省18
198
(1): (ワッチョイ 460c-i6Og) 2018/02/10(土)07:27 ID:ShIwyzqc0(68/163) AAS
、神への伺いをたてた上でないと許可されないほど厳しいもので
あった。この御中道の巡拝を無事終えると、その証である「御許
し」を御師から受けることができた。1816年の資料では年間
100人以上が御中道巡りを行っているが、197エムゾネ7年の
転落事故で通行止めとなり、現在では一周することはできなくな
っている。写真御中道の写真A1山頂信仰遺跡(富士山本宮奥宮
)富士山山頂部の火口壁沿いに、いくつかの神社及び宗教関連施
設が所在する。富士山への信仰登山が開始されると、エムゾネ修験
道の影響を受け山頂部において寺院の造営や仏像等の奉納がおこ
なわれるとともに、山頂部での宗教行為が体系化されていった。
省18
199: (ワッチョイ 460c-i6Og) 2018/02/10(土)07:33 ID:ShIwyzqc0(69/163) AAS
エムゾネ財保護法の下に名勝、ついで特別名勝に指定2008年財
団法人静岡県埋蔵文化財調査研究所により現地調査が行われ、そ
の成果に基づき2010年に「史跡富士山保存管理計画」が策定
された2010年文化財保護法の下に他の文化財とともに史跡富
士エムゾネ山として指定山頂の噴火口の周囲を一周し、頂上の各峰
を巡る行為は、古くから「お鉢巡り」と呼ばれ、現在も多くの人
々に受け継がれている。13世紀後半の資料には「いたゞきに八
葉の嶺あり」との記載があり、このころには山頂の峰々に信仰的
意義エムゾネを見出していたことが伺える。16世紀前半には地元
為政者が「八要メサルヽ也」との記述も見られ、後に盛んになる
省18
200: (ワッチョイ 460c-i6Og) 2018/02/10(土)07:39 ID:ShIwyzqc0(70/163) AAS
半に30余りのエムゾネ道者坊があったことが伝えられ、同時期の
絵図である「絹本著色富士曼荼羅図」には浅間大社・湧玉池及び
村山浅間神社を経由して登山する人々の姿が描かれている。道者
坊はその後統合され、19世紀前半には5坊となった。また、1
600年頃以降、エムゾネ地元支配者により、大宮を経て村山口登
山道を利用することが求められた。登山道中の宗教施設は、17
世紀初頭までに建設され、石室などの施設は主に17世紀後
201: (ワッチョイ 460c-i6Og) 2018/02/10(土)07:45 ID:ShIwyzqc0(71/163) AAS
興法寺から許可を受けた先達により建設されたが、1707年の
宝永噴火で登山道とエムゾネ共にことごとく破壊された。これらは
再建されたが、その復興は須走口より遅かった。主要な宗教施設
としては発心門、中宮八幡堂、室大日などがあった。登拝者は興
法寺の檀所や浅間大社の道者場としていた静岡県西部地方を含む
西日本の人々が多かっエムゾネた。なお、1532年以降不連続で
あるが、登拝者の記録が残され、その数は18世紀後半から19
世紀初頭の道者坊の記録より、御縁年で2,000人前後、平年
で数百名程度と推測できる。1826年の記録ではその数が減少
し、村山の村落も衰退しエムゾネていたとの記述もあるが、186
省18
202: (ワッチョイ 460c-i6Og) 2018/02/10(土)07:52 ID:ShIwyzqc0(72/163) AAS
心とした須山村により管理されていた。ただし、銀明水の管理を
巡り、須走村と争いになった際は浅エムゾネ間大社の裁定を仰いで
いる。登山道には宝永噴火前の状況を描いた絵図で須山御胎内に
附属する御胎内神社等の宗教施設と山室がみられる。これらの施
設及び登山道はその中腹より噴火した宝永噴火により壊滅し、御
縁年の1740年に復興したが永続せエムゾネず、1780年によ
うやく復興した。また、1880年代の記録では御室浅間神社、
中宮浅間社、御胎内等の宗教施設と4箇所の石室があることが確
認できる。中宮浅間社や水呑浅間は村山修験の富士峯修行の行場
としても使用された。登拝者についてはエムゾネ詳しい研究が進ん
省18
203: (ワッチョイ 460c-i6Og) 2018/02/10(土)07:58 ID:ShIwyzqc0(73/163) AAS
すべき登拝者が須走口に集中したことが確認できる。遅くとも1
7世紀までに、冨士浅間神社及び須走村が登山道山エムゾネ頂部ま
でを支配し、薬師嶽(現久須志岳)における石室建設の独占、薬
師堂の開帳・入仏などを行った。また、内院および薬師堂の散銭
取得権も浅間大社に次ぐ権利を有していた。冨士浅間神社及び須
走村は、1703年と1772年の2回幕府に訴え、エムゾネこれ
らの権利について八合目以上の支配権を主張する浅間大社と争い
、正式に権利を認められた。−25−登山道の施設は1683年
の資料等で詳細が確認でき、大日堂、御室浅間神社、古御岳神社
等の宗教施設と共に、小屋・石室が山頂部まで設置されエムゾネて
省18
204: (ワッチョイ 460c-i6Og) 2018/02/10(土)08:04 ID:ShIwyzqc0(74/163) AAS
959年、バス道路(現ふじあざみライン)の完成により、五合
目以下の登山道の利用は減少し、一部登山道としての確認ができ
なエムゾネい区間がある。写真須走口登山道の写真A5吉田口登山
道北口本宮冨士浅間神社を起点とし、富士山頂を目指す道である
。15世紀には、富士山への登拝が、修験者だけでなく、ごく一
般の人々の間にも広まっていた。吉田口は14世紀後半には参詣
の道エムゾネ者のための宿坊もでき始め、大勢の人々が登るた
205: (ワッチョイ 460c-i6Og) 2018/02/10(土)08:10 ID:ShIwyzqc0(75/163) AAS
設備が整うようになった。16世紀から17世紀、長谷川角行が
吉田口を利用して修行を行い、18世紀前半には富士講隆盛の礎
を築いた食行身禄は、入定(宗教的自殺)にあたって信者の登山
本道をエムゾネこの吉田口と定めた。このため、富士講の信者が次
第に増加した18世紀後半以降は、年間数万人を数える富士講の
道者が登拝したとされる。1964年に富士山有料道路が開通し
た後は、ほとんどの登山者が新五合目(小御岳)を起点として登
るようにエムゾネなったため、五合目以下の道を利用する登山者は
激減したが、六合目以上については、現在残る登山道の中で最も
多くの道者(外の登山口の合計と同程度)が吉田口登山道を上っ
省18
206: (ワッチョイ 460c-i6Og) 2018/02/10(土)08:17 ID:ShIwyzqc0(76/163) AAS
く、境内に現存する3つの社殿は、1561年、1594年、1
615年にそれぞれ当時の領主が寄進したものである。富士講と
のつながりが強く、1730年には富士講の指導者である村上光
清の寄進によって境内エムゾネの建造物群の修復工事が行われ、現
在にみる境内の景観の礎が形成された。北口本宮冨士浅間神社の
支配権は外川家、小佐野家などの吉田の御師に所属しており、神
社の管理も御師団の中から選ばれた者に委ねられていた。社殿の
背後に登山門があり、こエムゾネの神社を起点として富士山頂まで
吉田口登山道が伸びている。富士講や吉田御師と密接な関係を持
ちながら発展した神社である。写真北口本宮冨士浅間神社の写真
省18
207: (ワッチョイ 460c-i6Og) 2018/02/10(土)08:23 ID:ShIwyzqc0(77/163) AAS
が詠われたほか、いくつかの文学作品ともゆかりがある。写真西
湖の写真A8精進湖富士山の火山活動により形成された堰止湖で
、富士山の北西に位置する。富士山周辺の湖を巡って修−27−
行する内八海巡りが行われたが、このエムゾネ精進湖にも多くの富
士講徒が訪れた。富士山北麓で最初の洋風ホテルはこの精進湖畔
に建てられ、多くの西洋人が訪れた。20世紀初頭には、絵葉書
に使われた富士山の写真はこの精進湖からのものがほとんどだっ
た。写真精進湖の写真A9本栖湖富士山エムゾネの火山活動により
形成された堰止湖で、富士山の北西に位置する。富士山周辺の湖
を巡って修行する内八海巡りが行われたが、この精進湖にも多く
省18
208: (ワッチョイ 460c-i6Og) 2018/02/10(土)08:29 ID:ShIwyzqc0(78/163) AAS
た富士宮市の中央部に所在する。富士山の神とされる木花之佐久
夜毘売命を主祭神とし、現在全国に約1300社ある浅間神社の
総本宮とされている。境内には登拝の際に水垢離場として使用さ
れた湧玉池がある。浅間大社は7世紀ごろ、富士山にエムゾネより
近い遥拝所であった山宮浅間神社から現在の地に移転されたとさ
れる。創建当時は富士山の噴火が盛んであり、これを畏れ鎮める
ことを信仰の目的としていた。朝廷も浅間大神に他の山より
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