[過去ログ] 【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)30【ダメ工作員】 (326レス)
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244: (ワッチョイ 460c-L2NY) 2018/02/09(金)06:48 ID:2LIMvxdg0(67/149) AAS
岳であり、世界文化遺産に値するものである。富士山は、有史
以前から噴火活動を続けてきた標高3776mの円錐形の独立
成層火山であり、その山体は南エムゾネの駿河湾の海浜にまで及び
、海面からの実質的な高さは世界的にも有数である。その力強
く秀麗な姿は人々に神聖なる気持ちを喚起し、古代から現代に
至るまで、時代を超えて信仰の対象となってきた。山腹及び山
嶺には神社・登山道・巡礼地等が形成さエムゾネれ、山体と一体
245: (ワッチョイ 460c-L2NY) 2018/02/09(金)06:54 ID:2LIMvxdg0(68/149) AAS
なった比類のない文化的景観を形成した。山体のうち、五合目
以上の砂礫地は「焼山」と呼ばれて特に神聖視され、山麓に分
布する湖沼・湧水、火山活動により形成された独自の地形など
は、富士信仰の霊地として重要な役割を果たしてエムゾネきた。日
本独自の山岳民衆信仰に基づく登拝・登山の様式は現在でも命
脈を保ち、特に夏季を中心に訪れる多くの登山客とともに富士
登山の特徴を成している。このように、富士山は日本人の自然
に対する信仰の在り方に関連して、山に対する固有の文化エムゾネ
的伝統を表す物証及び人間の山に対する景観認知の在り方を示
す傑出した類型となっている。また、富士山の秀麗な姿は古く
省18
246: (ワッチョイ 460c-L2NY) 2018/02/09(金)07:06 ID:2LIMvxdg0(69/149) AAS
年6月19日平成20年度第1回包括的保存管理計画検討部会
−6−・包括的保存管理計画の役割・構エムゾネ成要素と本質的価
値の明確化2009年5月20日平成21年度第1回包括的保
存管理計画検討部会・各資産候補の概要について・構成資産、
緩衝地帯、保存管理区域について2010年3月19日平成2
1年度第2回学術委員会・保存管理計画の考え方エムゾネについて
山梨県の経緯2007年8月31日平成19年第1回山梨県保
存管理計画検討部会・保存管理計画の事例2007年12月9
日現地調査2008年1月31日平成19年度第2回山梨県保
存管理計画検討部会・包括的保存管理計画検討部会の審議エムゾネ
省18
247: (ワッチョイ 460c-L2NY) 2018/02/09(金)07:12 ID:2LIMvxdg0(70/149) AAS
山梨県保存管理計画検討部会静岡県の経緯2007年7月5日
平成19年度第1回静岡県保存管理計画検討部会・保存管理計
画について−7−2008年1月23日エムゾネ現地調査2008
年1月30日平成19年度第2回静岡県保存管理計画検討部会
・包括的保存管理計画検討部会の審議結果・静岡県保存管理計
画について2008年2月21日平成19年度第3回山梨県・
静岡県学術委員会・各県保存管理計画検討部会のエムゾネ審議結
248: (ワッチョイ 460c-L2NY) 2018/02/09(金)07:18 ID:2LIMvxdg0(71/149) AAS
2008年7月16日平成20年度第1回静岡県保存管理計画
検討部会・包括的保存管理計画検討部会の報告・静岡県保存管
理計画について2008年9月9日平成20年度静岡県保存管
理計画検討部会第1回庁内連絡会議・富士山の世界文化遺エムゾネ
産登録推進の取組について・静岡県保存管理計画の策定につい
て2009年2月12日現地調査2009年6月1日平成21
年度第1回静岡県保存管理計画策定協力者部会・富士山の世界
文化遺産登録推進の取組について・静岡県保存管理計画の策定
につエムゾネいて2009年6月17日平成21年度第1回静岡県
保存管理計画検討部会・静岡県保存管理計画の策定について・
省18
249: (ワッチョイ 460c-L2NY) 2018/02/09(金)07:24 ID:2LIMvxdg0(72/149) AAS
に関する方針(山梨県)2010年1月ゴルフ場エムゾネ造成に事
業に関する今後の取扱いについて(山梨県)1993年10月
−17−明神峠自然環境保全地域保全計画昭和50年策定静岡
県森林共生基本計画平成19年3月策定富士地域森林計画書平
成18年4月策定F資産に影響する可能性がある個別の開エムゾネ
発計画企業立地促進法に基づく静岡県東部地域基本計画(静岡
県及び14市町)平成21年2月策定市町村森林整備計画平成
18年4月策定−18−(富士宮市・富士市・裾野市・御殿場
市・小山町)(2)計画の実施今回提出する富士山包括的保存
管理エムゾネ計画は、20年月から既に実施され機能されているも
省18
250: (ワッチョイ 460c-L2NY) 2018/02/09(金)07:30 ID:2LIMvxdg0(73/149) AAS
を表す構成資産の保護を確実にし、各構成資産における富士山
体への良好な眺望を保証するために、個々の構成エムゾネ資産の周
囲に必要十分な範囲の緩衝地帯を設定する。さらに、個々の構
成資産間の関係を良好に保ち、富士山の景観の一体性・連続性
を保証するために、緩衝地帯を含め、広く保全管理区域を設定
する。構成資産の位置及びその周辺地域である緩衝地帯、エムゾネ
保全管理区域の範囲については、図に示すとおりである。図「
富士山」の範囲(構成資産・緩衝地帯)富士山山体の範囲につ
いては、現在特別名勝富士山に指定されている区域だけでなく
、その周辺部にあたる標高約1,500m付近までとした。こ
省18
251: (ワッチョイ 460c-L2NY) 2018/02/09(金)07:36 ID:2LIMvxdg0(74/149) AAS
場市、小山町に流出している溶岩流の範囲については、保全管
理区域とはしていない。なお、保全管理区域についても、森林
法と景観法で保護されている。富士山山体の東にエムゾネ位置する
、演習場(北富士演習場・東富士演習場)については、従前よ
り大規模開発が予定されていないことから、緩衝地帯同様に資
産を緩衝することが可能な区域であると言える。3構成資産の
概要構成資産及び保存管理状況の概要については、以下にエムゾ
252: (ワッチョイ 460c-L2NY) 2018/02/09(金)07:42 ID:2LIMvxdg0(75/149) AAS
記すとおりである。構成資産の詳細については、推薦書本文に
て説明を行っている。保存管理状況等の詳細については、構成
資産毎に策定されている個別の保存管理計画等において、それ
ぞれ具体的内容を含めた説明を行っている。なお、p18,1
9表エムゾネのA〜Cは次のように分類し、整理したものである。
A富士山山体及び登山道B信仰に関わるものC富士山の眺望に
関わるもの(1)富士山山体及び登山道A富士山標高3776
mを測る富士山は、日本を代表し、象徴する日本最高峰の秀麗
な独立火山でエムゾネある。その自然的な美しさと崇高さを基盤と
して、日本人の自然に対する信仰のあり方や、日本独自の芸術
省18
253: (ワッチョイ 460c-L2NY) 2018/02/09(金)07:48 ID:2LIMvxdg0(76/149) AAS
。また、登山道ごとに標高は異なるが、1779年以降、エムゾネ
浅間大社の境内地とされてきた八合目以上はより強い神聖性を
持つとされる。理由は八合目の標高とほぼ一致する噴火口であ
る「内院」の底部に浅間大神が鎮座するとの信仰に基づく。富
士山頂へ向かい、登山の歴史の中で開鑿された登山道が、現在
の4エムゾネ本の登山道の起源となっている。また、ほぼ森林限界
に沿い、富士山山体を一周する「御中道」が15〜16世紀ご
ろ富士講の祖とされる長谷川角行によって開かれたとされ、そ
の後「大沢崩れ」という危険箇所を通るため、富士講信者によ
り修行の道とエムゾネして利用された。表法的保護、修理・整備の
省18
254: (ワッチョイ 460c-L2NY) 2018/02/09(金)07:54 ID:2LIMvxdg0(77/149) AAS
、1977年の転落事故で通行止めとなり、現在では一周する
ことはできなくなっている。写真御中道の写真A1山頂信エムゾネ
仰遺跡(富士山本宮奥宮)富士山山頂部の火口壁沿いに、いく
つかの神社及び宗教関連施設が所在する。富士山への信仰登山
が開始されると、修験道の影響を受け山頂部において寺院の造
営や仏像等の奉納がおこなわれるとともに、山頂部での宗教行
為がエムゾネ体系化されていった。登拝者は山頂周辺において「御
来光」を拝み、内院と呼称される噴火口に鎮座すると言われる
神仏を拝した。また、火口壁にいくつかあるピークを仏教の曼
荼羅における仏の世界に擬して巡拝する「お鉢めぐり(八葉め
省18
255: (ワッチョイ 460c-L2NY) 2018/02/09(金)08:00 ID:2LIMvxdg0(78/149) AAS
策定された2010年文化財保護法の下に他の文化財とともに
史跡富士山として指定山頂の噴火口の周囲を一周し、頂上の各
峰を巡る行為は、古くから「お鉢巡り」と呼ばれ、現在もエムゾネ
多くの人々に受け継がれている。13世紀後半の資料には「い
たゞきに八葉の嶺あり」との記載があり、このころには山頂の
峰々に信仰的意義を見出していたことが伺える。16世紀前半
には地元為政者が「八要メサルヽ也」との記述も見られ、後
256: (ワッチョイ 460c-L2NY) 2018/02/09(金)08:06 ID:2LIMvxdg0(79/149) AAS
盛んエムゾネになるお鉢巡りの古態と思われる習俗があったことが
知られる。富士講講中の多くは、頂上に着くと、時計回りに山
頂を巡っていった。内院に賽銭を投じ、御来光を礼拝し、途中
にあるいくつかの仏像や石碑を拝みながら、大日寺(現奥宮)
の大日如来、エムゾネ最高峰の剣ヶ峰、釈迦割石、霊泉とされた金
明水などを巡礼した。写真お鉢めぐりの写真A2大宮・村山口
登山道富士山南西麓の浅間大社及び村山浅間神社を起点とし、
山頂大日岳に至る登山道である。12世紀前半、富士山で修行
した末代上人の開削しエムゾネた登山道が起源だとされ、14世紀
初め、僧の頼尊が修験者とその活動を組織化したことで、村山
省18
257: (ワッチョイ 460c-L2NY) 2018/02/09(金)08:11 ID:2LIMvxdg0(80/149) AAS
れたが、その復興は須走口より遅かった。主要な宗教施設とし
てはエムゾネ発心門、中宮八幡堂、室大日などがあった。登拝者は
興法寺の檀所や浅間大社の道者場としていた静岡県西部地方を
含む西日本の人々が多かった。なお、1532年以降不連続で
あるが、登拝者の記録が残され、その数は18世紀後半から1
9世紀初頭のエムゾネ道者坊の記録より、御縁年で2,000人前
後、平年で数百名程度と推測できる。1826年の記録ではそ
の数が減少し、村山の村落も衰退していたとの記述もあるが、
1860年、初の外国人登山となる英国公使オ−24−ールコ
ックは大宮を経由してエムゾネ村山に宿泊し、山頂をめざした。彼
省18
258: (ワッチョイ 460c-L2NY) 2018/02/09(金)08:18 ID:2LIMvxdg0(81/149) AAS
いになった際は浅間大社の裁定を仰いでいる。登山道には宝永
噴火前の状況を描いた絵図で須山御胎内に附属する御胎内神社
等のエムゾネ宗教施設と山室がみられる。これらの施設及び登山道
はその中腹より噴火した宝永噴火により壊滅し、御縁年の17
40年に復興したが永続せず、1780年にようやく復興した
。また、1880年代の記録では御室浅間神社、中宮浅間社、
御胎内等の宗エムゾネ教施設と4箇所の石室があることが確認でき
る。中宮浅間社や水呑浅間は村山修験の富士峯修行の行場とし
ても使用された。登拝者については詳しい研究が進んでいない
が、西日本・東日本両方からの登山者があったことが、宿帳及
省18
259: (ワッチョイ 460c-L2NY) 2018/02/09(金)08:23 ID:2LIMvxdg0(82/149) AAS
とが確認できる。遅くとも17世紀までに、冨士浅間神社及び
須走村が登山道山頂部までを支配し、薬師嶽(現久須志岳)に
おける石室建設の独占、薬師堂の開帳・入仏などを行った。ま
た、エムゾネ内院および薬師堂の散銭取得権も浅間大社に次ぐ権利
を有していた。冨士浅間神社及び須走村は、1703年と17
72年の2回幕府に訴え、これらの権利について八合目以上の
支配権を主張する浅間大社と争い、正式に権利を認められた
260: (ワッチョイ 460c-L2NY) 2018/02/09(金)08:30 ID:2LIMvxdg0(83/149) AAS
−25−登山エムゾネ道の施設は1683年の資料等で詳細が確認
でき、大日堂、御室浅間神社、古御岳神社等の宗教施設と共に
、小屋・石室が山頂部まで設置されている。1707年の宝永
噴火では、これらの施設及び麓の浅間神社、須走村は約3mの
降砂に覆われ壊滅したエムゾネが、江戸幕府の支援を受け、翌年の
登拝期までには復興を完了し、多くの登拝者を集めた。18世
紀半ばには800名前後に減少したとの資料があるが、18世
紀後半、相模の大山石尊や関本の道了尊とセットにされた参詣
の流行で登拝者数は増加し、年エムゾネ平均約1万人、1800年
の御縁年に23,700人とピークを迎えた。登拝者は関東地
省18
261: (ワッチョイ 460c-L2NY) 2018/02/09(金)08:36 ID:2LIMvxdg0(84/149) AAS
人々が登るための設備が整うようになった。16世紀から17
世紀、長谷川エムゾネ角行が吉田口を利用して修行を行い、18世
紀前半には富士講隆盛の礎を築いた食行身禄は、入定(宗教的
自殺)にあたって信者の登山本道をこの吉田口と定めた。この
ため、富士講の信者が次第に増加した18世紀後半以降は、年
間数万人を数える富士エムゾネ講の道者が登拝したとされる。19
64年に富士山有料道路が開通した後は、ほとんどの登山者が
新五合目(小御岳)を起点として登るようになったため、五合
目以下の道を利用する登山者は激減したが、六合目以上につい
ては、現在残る登山道の中で最エムゾネも多くの道者(外の登山口
省18
262: (ワッチョイ 460c-L2NY) 2018/02/09(金)08:42 ID:2LIMvxdg0(85/149) AAS
神社の社殿が整っていたとされる。当神社は領主からの崇敬が
厚く、境内に現存する3つの社殿は、1561年、1594年
、1615年エムゾネにそれぞれ当時の領主が寄進したものである
。富士講とのつながりが強く、1730年には富士講の指導者
である村上光清の寄進によって境内の建造物群の修復工事が行
われ、現在にみる境内の景観の礎が形成された。北口本宮冨士
浅間神社の支配権は外エムゾネ川家、小佐野家などの吉田の御師に
所属しており、神社の管理も御師団の中から選ばれた者に委ね
られていた。社殿の背後に登山門があり、この神社を起点とし
て富士山頂まで吉田口登山道が伸びている。富士講や吉田御師
省18
263: (ワッチョイ 460c-L2NY) 2018/02/09(金)08:48 ID:2LIMvxdg0(86/149) AAS
西湖と精進湖はかつて「〜の海(せのうみ)」と呼ばれる一つ
の湖だったが、日本最古の歌集・万葉集で〜の海が詠われたほ
か、いくつかの文学作品ともゆかりがある。写真西湖の写真A
8精進湖富士エムゾネ山の火山活動により形成された堰止湖で、富
士山の北西に位置する。富士山周辺の湖を巡って修−27−行
する内八海巡りが行われたが、この精進湖にも多くの富士講徒
が訪れた。富士山北麓で最初の洋風ホテルはこの精進湖畔に
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