[過去ログ] 【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)33【ダメ工作員】 (372レス)
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115: (ワッチョイ 5b0c-DlZK) 2018/01/24(水)18:35 ID:9Bv2vqPE0(68/222) AAS
、「河口」と「吉田」は1エムゾネ810年に登山ルートや山役銭
の徴収方法で論争を起こし、「大宮」と「吉田」では薬師堂にお
ける役銭の配分で争っている過去などがある。元禄の争論元禄1
6年(1703年)に散銭や山小屋経営を巡り須走村が富士浅間
神社本宮(浅間大社)を訴えエムゾネた争論が元禄の争論である。
須走村側は東口本宮冨士浅間神社の神主や御師らが、浅間大社の
大宮司富士信安など富士氏らを相手取り寺社奉行に訴え出た。訴
えは三か条であった。1つは浅間大社が吉田村の者に薬師嶽の小
屋掛けを認めたことへの不服、エムゾネ2つ目は浅間大社側が造営
した薬師堂の棟札に「富士本宮が入仏を勤める」という旨の記述
があることを、須走の既得権を犯すものであるというもの、3つ
目は内院の散銭取得における2番拾いは須走側が得るという慣例
となっているとし、それを浅間大エムゾネ社が取得しているという
訴えである。これに対し訴えられた浅間大社側は江戸に赴き、薬
師嶽は須走村の地内ではないこと、薬師堂の入仏については浅間
大社側が造営したものであるので権利は浅間大社にあること、散
銭の2番拾いの慣例は根拠がないとエムゾネいうことを主張した。
それらは第三者に委ねる内済という扱いとなり、その内済にて「
他の者に小屋掛けさせないこと」「薬師堂の入仏は須走村が行う
こと」「内院散銭は一番拾いを大宮と須走で6:4で分け、2番
拾いは須走が得るものとする」というエムゾネ決定となり、以後こ
れらは遵守された。安永の争論安永元年(1772年)に、須走
村が山頂の支配権は同村の支配にあるとして浅間大社を相手とし
て訴えた争論が安永の争論である。またこれをみた浅間大社側の
富士民済も反論を起こした。さらに吉田エムゾネ村と浅間大社とで
支配地域を確定する争論もあったため、ここに大宮・新規参入で
ある吉田と須走の争いの決着が望まれることとなり、勘定奉行な
ども関わる大論争となった。安永8年(177
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