[過去ログ] 【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)40【ダメ工作員】 (369レス)
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306: (ワッチョイ 560c-8y6r) 2018/01/27(土)12:55 ID:/kmEsvOR0(187/250) AAS
富士講・白糸の滝の勝景・音止の勝景・富士山の展望・富士の
巻狩の伝承・歌碑・標識C三保松原・特別規制A地区・特別規
制B地区・第1種規制地区・第2種規制地区・第3種規制地区
@自然地形(山林、河川など)・宝永山(宝永火口)・溶岩洞
穴、エムゾネ樹型等富士山体・側火山からの噴出物による地形・富
士山原始林及び青木ヶ原樹海・国指定天然記念物(鳴沢溶岩樹
型、鳴沢氷穴、本栖風穴等)A森林、植栽樹木(山林を構成
307: (ワッチョイ 560c-8y6r) 2018/01/27(土)13:03 ID:/kmEsvOR0(188/250) AAS
る森林、寺社・遺跡等の植栽樹木など)・自然林、森林施業地
、人工林・社エムゾネ叢林、境内林・富士山特定地理等保護林・富
士箱根伊豆国立公園富士山管理計画区B保存管理又は公開活用
を目的とした建造物(展示館、管理棟、解説板など)・総合案
内標識、解説板C道路とその他の人工物(生活用道路、電柱、
看板など)顕著な普遍エムゾネ的価値を構成する諸要素と密接に関
わる諸要素・富士山測候所・NTT富士山頂分室・便益施設@
自然的要素(山並み、河川など)A歴史的要素(埋蔵文化財、
社寺境内、伝承地など)成する諸要素周辺環境を構B人文的要
素(農耕地、市街地、道路、そエムゾネの他人工物)上表において
省18
308: (ワッチョイ 560c-rgA5) 2018/01/27(土)13:04 ID:/kmEsvOR0(189/250) AAS
、戦国時代からこの地に小屋が設けられ−48−ていたことがわか
る。最盛期には18軒が所在したと伝えられている。写真五合目周
辺の写真・烏帽子岩七合五勺に烏帽子の形をした岩があり、これを
烏帽子岩という。ここにて富士講中興の祖と称エムゾネされる食行身禄
が、1733年に31日間の断食修行を経て入定した。「甲斐国志
」にも「享保十八六月十三日富士行者身禄ガ入定ノ地ナリ小屋アリ
身禄ノ木像ヲ安置ス流レヲ汲者年々此に登拝ス」とあり、江戸後期
にはすでに身禄の聖地として信者が登エムゾネ拝していたことがわかる
。現在も富士講の聖地として重要な地である。写真烏帽子岩の写真
A6北口本宮冨士浅間神社図以下に示す要素が点在している平面図
省18
309: (ワッチョイ 560c-8y6r) 2018/01/27(土)13:09 ID:/kmEsvOR0(190/250) AAS
遺跡の分布図・富士山本宮奥宮富士宮口登山道頂上に位置し、
7、8月の開山期にのみ開かれる。祭神は木花之佐久夜毘売命
である。『本エムゾネ朝世紀』には、久安5年(1149)「富士
上人末代は、富士山に数百度登り、山頂に仏閣を構え、大日寺
と称し、写経を埋納下した」とある。江戸時代には、村山三坊
所有の大日堂があったが、明治7年(1874)、廃仏毀釈に
より山中の仏像を取りエムゾネ除き、大日堂跡へ奥宮を建立し、浅
間大神を祭った。写真奥宮の写真[奥宮周辺の石碑群](a)
蹲虎の碑(高さ139×幅64×厚さ18p)奥宮の裏手、浅
間岳の麓に所在する。一方の面に漢文が、もう一方には虎の絵
省18
310: (ワッチョイ 560c-rgA5) 2018/01/27(土)13:10 ID:/kmEsvOR0(191/250) AAS
より西宮本殿に比較してやや小規模であるが、構造形式や蟇股に挿
入した彫刻などに室町時代の手法を示しており、三殿中最も古い建
物である。写真東宮本殿の写真図東宮本殿の図・西エムゾネ宮本殿西宮
本殿は、1594年谷村城主浅野左右衛門佐氏重により東宮に替わ
る本殿として建立されたが、1615年、鳥居成次の本殿建立によ
り現在地に移され西宮となった。本殿の形式は東宮と同じ一間社流
造であるが、両側面と背面は二間で一間のエムゾネ向拝をつける。西
311: (ワッチョイ 560c-8y6r) 2018/01/27(土)13:16 ID:/kmEsvOR0(192/250) AAS
62p)銘文には「明治三拾九年」と「大正五年」の2つの年
代が確認できる。富士講の人々が建碑したものと考えられる。
(b)石碑A(高さ162×下幅76×上幅63p)表面に龍
が、裏面にはエムゾネ文字が刻まれている。(c)石碑B(未計測
)「大正十三年八月」と刻してある。写真銀明水の石碑群の写
真−42−・八葉(剣ヶ峰、白山岳、久須志岳、成就岳、伊豆
岳、朝日岳、浅間岳、駒ヶ岳、三島岳)山頂部の直径約800
mの火口を囲む峰々のエムゾネ総称で、それぞれの峰に仏が住むと
された。文永年中(1264〜1275)の作である『万葉集
註釈』には「いたゞきに八葉の嶺あり」とあることから、鎌倉
省18
312: (ワッチョイ 560c-rgA5) 2018/01/27(土)13:18 ID:/kmEsvOR0(193/250) AAS
本殿は、桃山時代の装飾的要素を多分に取り入れていて、やがて豪
華な本社本殿建築へと発展する過程を、両者並べて鑑賞できる貴重
な建物である。−49−写真西宮本殿の写真図西宮本殿の図・大塚
山社誌では、日本武尊が富士山をエムゾネ遙拝した地であり、ここを浅
間明神の創建にかかわる場所と位置づけている。さらに、788年
には新たに浅間明神を建て、この大塚山には、大塚社として日本武
尊を分祀したと伝えられる。現在この地は、流山状の小高い丘をな
しており、日本武尊を祀エムゾネる祠が建てられている。写真大塚山の
写真図大塚山の図・御鞍石吉田火祭(鎮火祭)の際の御輿行在所。
吉田火祭の本日にこの御鞍石上に御輿が安置され、神事が行われる
省18
313: (ワッチョイ 560c-8y6r) 2018/01/27(土)13:23 ID:/kmEsvOR0(194/250) AAS
現在エムゾネは一般の立入は禁止されている。頂上には鳥居が立ち
、また二等三角点が存在する。[久須志岳(標高約3,725
m)]かつては薬師岳とも呼ばれた。現在の久須志神社の裏手
にあたる。他の峰々と比べ傾斜はなだらかである。頂上には鳥
居が火口の方エムゾネ向に向けて建てられている。頂上付近には石
造物が残存し、首から上と手首から先が欠損している。台座正
面に「食行」「身禄」の文字が確認できる。写真久須志岳の
314: (ワッチョイ 560c-rgA5) 2018/01/27(土)13:24 ID:/kmEsvOR0(195/250) AAS
周辺のものB1富士山本宮浅間大社図以下に示す要素が点在してい
る平面図・神立山本殿の北側にある丘陵地一帯は神立山と称される
。神立山及び富士山本宮浅間大社の基エムゾネ盤を構成する地形は、新
富士火山旧期溶岩流に分類される富士宮溶岩流と、溶岩流直上に広
がる扇状地堆積物の層で−50−構成され、溶岩流の末端部にあた
る。そのため指定地内の一部では溶岩礫が露出し、縄状溶岩も散見
される。また、当該地区は風エムゾネ致地区・保安林にも指定され、渋
沢堀沿いの散策路以外は立ち入りが禁止されている。寛文10年(
1670)の浅間大社境内絵図では神立山に信仰関連の様々な建築
物が描かれ、発掘調査で石畳や護摩堂跡が確認されている。写真神
省18
315: (ワッチョイ 560c-8y6r) 2018/01/27(土)13:37 ID:/kmEsvOR0(196/250) AAS
で小内院と呼ばれる。かつては噴火口だったと考えられる。写
真小内院の写真・馬の背剣ヶ峰に通じる坂道で、火山礫と砂の
急斜面である。お鉢巡エムゾネりの道中で最大の難所である。現在
はブルドーザーが通れるよう整地されている。火口に向けて傾
斜しており、その険しさから道者たちの多くは剣ヶ峰に登らな
かったといわれる。・東安河原須山口拝所東側にあり、山頂部
では稀な広い平坦部である。かエムゾネつては現世と来世の境であ
る「賽の河原」になぞらえて、道者たちが溶岩礫を積み上げ石
塔を作った。また「初穂打場」とも呼ばれ、火口に向けて賽銭
が投げ込まれた場所とされる。・西安河原東安河原と対をなす
省18
316: (ワッチョイ 560c-rgA5) 2018/01/27(土)13:38 ID:/kmEsvOR0(197/250) AAS
流鏑馬を奉納したことに始まると言われ、室町エムゾネ時代の初期には
すでに神事が行われていたとの記録が残っている。馬場に沿って両
側に御神木の桜が植えられている。・禊所湧玉池の上池と下池の境
部分が禊所とされ、池に下りるための石段が組まれている。・神幸
橋(湧玉橋)湧玉池南側の神田川へのエムゾネ流出口に石造りの橋が架
けられている。春秋の大祭にはこの橋を通って山宮御神幸が出発し
たとされる。寛文10年(1671)の絵図では橋に屋根が葺か
317: (ワッチョイ 560c-8y6r) 2018/01/27(土)13:44 ID:/kmEsvOR0(198/250) AAS
み上げた石組みがある。・吉田須走拝所跡須走口登山道を登り
きったところにあったとされる。拝所は初穂打場とも呼ばれ、
登山者たちが賽銭を噴火口の大内院に投げ入れる、そこに鎮座
する浅間大菩薩を拝むエムゾネ場所であった。また、御来光を拝む
場所でもあった。現在は、付近に鳥居がなく痕跡も残っていな
いため、場所を特定することはできない。写真吉田須走拝所跡
の写真・須山拝所跡銀明水の裏手の火口を臨む位置にあったと
される。大正2年(1913)エムゾネの登山スタンプが押された
写真では、銀明水裏手の火口の縁に立っている鳥居が確認でき
る。現在その地点には、2つの目印の石が存在している。写真
省18
318: (ワッチョイ 560c-8y6r) 2018/01/27(土)13:50 ID:/kmEsvOR0(199/250) AAS
至る道が内浜エムゾネ道である。沿道には信仰に関わる工作物や自
然物が数多く存在する。外浜道は近年崩落が著しく、現在は立
入禁止となっている。A2大宮・村山口登山道図登山道に要素
が点在している平面図・札打場村山浅間神社の北東約3.5q
、天照教社の西南西約エムゾネ1qの地点(標高約830m)に、
東西約7m、南北約10mの平場がある。南側に1本の大きな
ケヤキの巨木があり、ここが札打場であった。札打とは、自
319: (ワッチョイ 560c-rgA5) 2018/01/27(土)13:51 ID:/kmEsvOR0(200/250) AAS
側が神路枚橋であるが、寛文10エムゾネ年(1670)の絵図では西
側にのみ架けられている。写真橋全体の写真絵図寛文10年の絵図
B2山宮浅間神社図以下に示す要素が点在している平面図・溶岩流
地形山宮浅間神社の石鳥居から参道を経て参籠所に至るまでの区域
は北山溶岩流上に展開しエムゾネている。また、遥拝所が位置する小高
い丘陵は青沢溶岩流の先端部である。さらに、涸れ沢の西岸には、
天母山(二子山)溶岩流、万野風穴溶岩流で構成される丘陵地が展
開する。よって、山宮浅間神社周辺には、籠屋付近の北山溶岩流を
含め、4つの異エムゾネなる溶岩流地形が広がっていることになる。遥
拝所の基盤となっている青沢溶岩流は、約2,000年前の噴火に
省18
320: (ワッチョイ 560c-8y6r) 2018/01/27(土)13:55 ID:/kmEsvOR0(201/250) AAS
の院号を記した札を打ちつけることである。村山で修験道が盛
んであった頃、山伏が峰入修行エムゾネに先立ち札打を行った。昭
和30年(1955)頃までは、木に打ちつけた札が見られた
という写真札打場の写真・中宮八幡堂跡(1号建物跡)村山口
登山道跡と富士山スカイラインが交差する地点から南西方向に
約500mの地点に位置する。標高は約エムゾネ1,280mであ
る。東側を走る沢から一段上がった平坦面に所在している。平
坦面は2段あり、上−45−段には小さな祠が建てられている
。また下段には、南東から北西方向に石列が伸びている。江戸
時代には馬返しと呼ばれ、駒立小屋があったとさエムゾネれる。ま
省18
321: (ワッチョイ 560c-rgA5) 2018/01/27(土)13:57 ID:/kmEsvOR0(202/250) AAS
的に遺物を含む土層上に構築されている。石塁下から祭祀に用いら
れたと思われる土師器が出土しているため、それらが用いられた1
2世紀から15世紀、もしくは後の時代に築造されたものと推定さ
れる。写真石塁の写真図石塁エムゾネの平面図・断面図・玉垣遥拝所の
周囲にはコンクリート製の玉垣が設置されている。戦中もしくは戦
後に設けられたものと考えられる。また、遥拝所入口には鉄製の門
扉が取り付けられている。・遥拝所富士山を直接拝礼し、祭儀を行
うことを目的としてエムゾネ築造されたと推定される施設である。南北
約15.2m、東西約7.6mの長方形で、30〜40p程度の溶
岩を用いて石列等によって組まれている。富士山を拝む方向に祭壇
省18
322: (ワッチョイ 560c-8y6r) 2018/01/27(土)14:03 ID:/kmEsvOR0(203/250) AAS
年の静岡県埋蔵文化財調査研究所による調査では石像が4体見
つかっている。木が倒れた際に地面が掘り起こされ、地中にあ
った石像が地上に現われたと考エムゾネえられる。うち1体の不動
明王像には、文化7年(1810)の銘がある。背面には「瀧
本前」と刻まれており、ここが「富士山表口南面路次社堂室有
来之次第絵図」でいう「瀧本・笹垢離」跡であると推測できる
。4体の石像には破壊された痕跡が確認エムゾネできる。廃仏毀釈
によるものと考えられる。なお、明治末の登山案内では5号建
物跡に該当する施設の記載がなくなっている。・8号建物跡7
号建物跡から北西に約220m(標高約2,170m)の位置
省18
323: (ワッチョイ 560c-rgA5) 2018/01/27(土)14:04 ID:/kmEsvOR0(204/250) AAS
乳の出がよくなると伝えられ、女性の信仰を集めていた。また以前
はウロの中に大日如来が祀られていたといわれ、現在でも祭祀でし
め縄を張る。[大スギ]昭和31エムゾネ年5月24日に県天然記念物
に指定された。村山浅間神社の御神木と称される巨木である。境内
の多くのスギの中で最大のもので目通り9.9m、枝張り東西17
.5m、南北31m、樹高47mもある。中心部には高さ8mに及
ぶ空洞がある。案内板でエムゾネは約1,000年の樹齢とされるが
324: (ワッチョイ 560c-8y6r) 2018/01/27(土)14:09 ID:/kmEsvOR0(205/250) AAS
でも見られ、)便所跡と考えられる。−46−・鳥居登山道跡
の8合目上に、自然木により構築された鳥居が設置されている
。「昭和五十二年七月吉日」と刻まれており、個人が設置した
ものである。A3須山口登山道エムゾネ図登山道に要素が点在して
いる平面図・須山御胎内(溶岩洞穴)旧須山口登山道1合目(
標高1,440m付近)にある全長10m余の溶岩洞穴である
。洞穴の直径は約1mで南東側と北西側に入口があり、内部を
通り抜けることができる。登山者は、こエムゾネの洞穴を通って登
山するのがならわしであった。かつて洞穴の延長は数10mあ
ったが、関東大震災により天井部分が崩落し、現在の長さにな
省18
325: (ワッチョイ 560c-rgA5) 2018/01/27(土)14:11 ID:/kmEsvOR0(206/250) AAS
実際にはおよそ400〜600年と推定される。・社叢境内には胸
高直径0.7m以上のスギが39本ある。アカガシ3本、スダジイ
1本などの大樹も見られるが、裏山の大半は戦後植樹されたヒノキ
やスギである。エムゾネ富士宮市の保存樹林に指定されている。・浅間
神社社殿村山浅間神社社殿は、神仏分離令によって境内社富士浅間
七社を相殿として造られ、中座に木花開耶姫命、左座に大山祗命、
彦火々出見命、瓊々杵命、右座に大日霊貴(天照大神)・伊弉諾尊
・伊弉エムゾネ冉尊を祀っている。現在の社殿は大正2年(1913)
に改築されたものだが、幣殿と拝殿は老朽化したため、その後さら
に鉄筋コンクリート一部木造に建替えられている。写真社殿の写真
省18
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