[過去ログ] 【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)42【ダメ工作員】 (377レス)
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61: (ワッチョイ bf0c-wbgk) 2018/02/05(月)05:07 ID:vfUh/89g0(9/175) AAS
督組織資産及び緩衝地帯組織名称:文化庁組織代表者氏名:文化庁
長官担当課及び担当責任者氏名:記念物課課長3.指導組織資産及
び緩衝地帯組織名称:静岡県教育委員会:エムゾネ山梨県教育委員会組
織代表者氏名:静岡県教育長:山梨県教育長担当課及び担当責任者
氏名:静岡県世界遺産推進課課長:山梨県世界遺産推進課課長c)
以前の保全状況報告の成果経過観察(モニタリング)に必要とされ
る諸事項に関し、現時点及び過去エムゾネにおける資料・情報について
は、静岡県・山梨県・及び資産の所在する市町の下に適切に収集・
保管されている。それらの一覧表については、以下のとおりである
。表(過去に経過観察のために実施した過去の資料・情報)番号編
省18
62: (ワッチョイ bf0c-FqoX) 2018/02/05(月)05:07 ID:vfUh/89g0(10/175) AAS
言を行う予定である。各県協議会の下には、各県庁内の実務担
当者レベルの調整組織として、静岡県(山梨県)庁内連絡会議
を設エムゾネ置するとともに、各市町村担当者や民間業者(観光協
会、登山組合、神社関係者)などの代表者との調整組織として
静岡県(山梨県)保存管理協力者会議を設置し、十分な連携を
図る予定である。さらに、静岡県・山梨県文化財保護審議会を
はじめ各市町エムゾネ村文化財調査委員会は指定文化財及び
63: (ワッチョイ bf0c-wbgk) 2018/02/05(月)05:14 ID:vfUh/89g0(11/175) AAS
計画との関連・連携(2)計画の実施第2章構成資産の概要1構成
資産の一覧2資産及び緩衝地帯等の範囲3構成エムゾネ資産の概要(1
)富士山山体及び登山道A富士山A1山頂信仰遺跡A2大宮・村山
口登山道A3須山口登山道A4須走口登山道A5吉田口登山道A6
北口本宮冨士浅間神社A7西湖A8精進湖A9本栖湖(2)信仰B
1富士山本宮浅間大社B2山宮浅間神エムゾネ社B3村山浅間神社B4
須山浅間神社B5冨士浅間神社B6河口浅間神社B7冨士御室浅間
神社B8御師住宅B9山中湖B10河口湖B11忍野八海B12船
津胎内樹型−2−B13吉田胎内樹型B14人穴富士講遺跡(人穴
浅間神社)B15白糸ノ滝(エムゾネ3)眺望C1三保松原第3章保存
省18
64: (ワッチョイ bf0c-FqoX) 2018/02/05(月)05:14 ID:vfUh/89g0(12/175) AAS
全体に関する事項を審議し、それぞれ、静岡県・山梨県教育委
員会及び直接的な構成資産の管理を行う各市町村教育委員会に
対して建議を行っている。これらの組織の運営は静岡県・山梨
県の世界遺産推進課がエムゾネ行い、専門の職員名により業務が行
われる。また、富士山文化課世界遺産推進係を設置した富士宮
市教育委員会や世界遺産推進室を設置した富士吉田市をはじめ
、各市や市町村教育委員会においても構成資産の保存管理を担
当する専門の職員を定めているエムゾネ。これらの組織体制につい
ては、さらなる充実化に努める予定である。なお、上記の体制
については現在登録準備のために設置され、実質的に機能して
省18
65: (ワッチョイ bf0c-wbgk) 2018/02/05(月)05:21 ID:vfUh/89g0(13/175) AAS
備・公開・活用1基本方針2整備と公開・活用第8エムゾネ章保存管理
体制の整備と運営1保存管理体制の整備と役割分担2地域住民等と
の連携・協働3持続的運営のための定期的確認付章1保存管理に関
する事業計画一覧表−4−第1章目的と経緯1目的富士山は、日本
を代表し象徴する日本最高峰の秀麗な円錐エムゾネ形成層火山として世
界的に著名であり、日本人の自然に対する信仰の在り方や日本に独
自の芸術文化を育んだ「名山」である。山岳に対する信仰の
66: (ワッチョイ bf0c-FqoX) 2018/02/05(月)05:21 ID:vfUh/89g0(14/175) AAS
を交付していエムゾネる。「遺跡」である史跡、特別名勝又は名勝
、特別天然記念物又は天然記念物において発掘調査・修理・整
備の事業を行う場合にも、国が必要に応じて経費の50%の補
助金を交付している。これらの国の補助金に併せて、静岡県・
山梨県は国の補助金相エムゾネ当額を控除した額の50%に相当す
る額以内の補助金を交付し、構成資産所在の市町村が同内容の
補助金を交付する予定である。また、重要文化財、史跡、特別
名勝又は名勝、特別天然記念物又は天然記念物において、それ
ぞれ防災施設等を設置する事業エムゾネについても、同様の比率の
下に経費の補助を行うこととしている。なお、上記の補助金と
省18
67: (ワッチョイ bf0c-FqoX) 2018/02/05(月)07:01 ID:vfUh/89g0(15/175) AAS
0−ともに、登拝が困難な人々に対しては川辺で垢離を取り、
祈ることで登拝と同等の利益があるとする「富士垢離」の手法
を広めている。加えて富士山をエムゾネ航海の目印とする伊豆半島
の漁業者に対しては航海安全と大漁の祈願を行った。興法寺の
勢力は地元支配者である今川氏の支援を受けていた16世紀前
半が最も強かったが、それ以降衰退しつつも聖護院の力を背景
に一定の権威をもち、登山道及びその頂エムゾネ上部の大日堂周辺
を支配した。社殿については、1697年徳川幕府により修復
され、現在の大日堂は建築様式や部材の状況から19世紀半ば
に建立されたと推定される。また、浅間神社は1913年改築
省18
68: (ワッチョイ bf0c-FqoX) 2018/02/05(月)07:07 ID:vfUh/89g0(16/175) AAS
道も含め大きな被害を受けたが、1780年に登山道が再興さ
れ、1800年の御縁年には約5,400人の登拝者があった
。須山浅間神社は12軒の御師とともに当時の須山村の中心的
存在であり、村全体で須山口登エムゾネ山道と山頂部銀明水を管理
した。また、京都吉田家より神道裁許状を得たり、朝廷・公家
に銀明水を献上したりする等して権威を高めているが、山頂部
で発生した問題については、浅間大社の判断を仰いでい
69: (ワッチョイ bf0c-FqoX) 2018/02/05(月)07:12 ID:vfUh/89g0(17/175) AAS
山浅間神社は村山三坊とも関わりを持ちエムゾネ、1940年頃ま
で境内で富士峯修行の一環としての祈祷が行われていた。18
83年、御殿場口登山道が開設され、1899年の東海道本線
開通による御殿場口利便性の向上は須山口からの登拝者や登山
者を奪い、加えて1912年登山道の一部が陸軍エムゾネ演習場と
なり使用不可能となったため、須山口は衰退した。しかし、そ
の後都市化の影響を余り受けなかったため、須山浅間神社周辺
は日本的伝統に基づく村落景観を保っている部分が多い。写真
須山浅間神社の写真B5冨士浅間神社富士山東麓、須走口エムゾネ
登山道の起点に位置し、木花開花姫命を主祭神とする神社であ
省18
70: (ワッチョイ bf0c-FqoX) 2018/02/05(月)07:19 ID:vfUh/89g0(18/175) AAS
噴火では3m以上の降砂に埋もれ崩壊したため、1718年に
再建された。この後もこの際の部材を使エムゾネ用し、2009年
の修理も含め何回かの修理がおこなわれている。境内には水路
があり、水垢離に利用された。18世紀末から19世紀初頭に
かけて富士講が隆盛を迎えると須走口にも関東からの登拝者が
登山又は下山の際立ち寄った。その数は1800エムゾネ年の御縁
年の際に約27,300名であった。同時期から20世紀前半
まで富士講信者は境内に登山回数等の記念碑を約80基造営し
た。また、神社には神社神官や御師が発行した木版印刷による
神影や神符の版木が保管されている。写真冨士浅間神社のエムゾネ
省18
71: (ワッチョイ bf0c-FqoX) 2018/02/05(月)07:25 ID:vfUh/89g0(19/175) AAS
8世紀初めに吉田口登山道二合目に祭場をしつらえたのが最初
とされ、富士山中に祀られた最初の神社であるとする文献もあ
る。富士修験の信仰拠点は南西の村山でエムゾネあるが、北面の二
合目、御室浅間神社が鎮座する御室の地にも山内の信仰拠点と
して役行者堂が整備されたようである。また、社記によると9
58年、二合目は冬季における参詣が難儀であることから河口
湖畔の現在地に里宮が建立されたという。江戸時エムゾネ代以降富
士講の隆盛にともない、吉田口登山道の信仰拠点の一つとして
この二合目の役割はさらに増すことになる。しかし、昭和に入
ると富士信仰のありかたの変化や、富士スバルラインの開通等
省18
72: (ワッチョイ bf0c-FqoX) 2018/02/05(月)07:30 ID:vfUh/89g0(20/175) AAS
宮冨士浅間神社の北西に、北東方向の傾斜面に沿って大規模な
集落を形成した吉田の御師である。御師屋敷の多くは短冊状を
なし、表通りに面して引き込み路を設け、敷地を流れる水路の
奥に住宅兼宿坊の建物が建っている。玄エムゾネ関から奥へ客室が
続き、最奥部には神殿が設けられている。最古の部類に入る旧
外川家住宅や、格式的な構えが確立した頃に建てられ富士講最
盛期の典型例とされる小佐野家住宅が代表的である。旧
73: (ワッチョイ bf0c-FqoX) 2018/02/05(月)07:35 ID:vfUh/89g0(21/175) AAS
住宅は、富士北麓の信仰登山口集落である富士吉エムゾネ田市上吉
田・下宿の東側南端に位置する。1572年の町割によって成
立した東西方向の奥行きが150mほどの長大な短冊形の屋敷
地に建てられている。外川家は、屋号を塩屋ないし大外川、塩
廼屋(しおのや)と号し、富士信仰における上吉田に居住エムゾネ
し、下総地域を檀家とした富士山御師である。1572年の「
吉田宿屋敷割帳写」には、外川家の位置に「仁科六郎ゑもん」
の屋敷が記されており、外川家ではこの人物を中興の初代とし
ている。また、1669年の「検地帳」では、塩屋多兵衛の屋
敷とエムゾネして確認される。御師としての活動は江戸末期頃隆盛
省18
74: (ワッチョイ bf0c-FqoX) 2018/02/05(月)07:41 ID:vfUh/89g0(22/175) AAS
落移転に合わせて現在地に移転してきたと伝えられる。代々御
師を勤め、屋号を堀端屋と号し、江戸時代には当エムゾネ主は小佐
野壱岐あるいは小佐野大隈と名乗っていた。当家に宿泊する参
詣者は年間1,000人に達したとされる。現在、屋敷地の東
側には所有者が住む住居が建築されており、小佐野家住宅には
所有者の親族が居住している。写真小佐野家住宅の写真表エムゾネ
法的保護、修理・整備の経緯1976年文化財保護法の下に重
要文化財として指定1977年消防設備設置を行う1979年
屋根の葺替えを行う1996年雨樋いの補修を行う1997年
主屋、蔵の修理を行う1998年主屋、蔵の修理を行い201
省18
75: (ワッチョイ bf0c-FqoX) 2018/02/05(月)07:48 ID:vfUh/89g0(23/175) AAS
富士箱根)国立公園に指定1988年「山梨県富士五湖の静穏
の保全に関する条例」を制定2006年自然公園法の下に本栖
湖の湖面全域での動力船の使用が規制される−3エムゾネ4−20
11年文化財保護法の下に名勝に指定(予定)2011年「名
勝富士五湖保存管理計画」を策定(予定)B11忍野八海富士
山の北東、忍野村忍草にある、富士山の伏流水による八つの湧
水地(出口池、御釜池、底抜池、銚子池、湧池、濁池、鏡エムゾネ
池、菖蒲池)の愛称である。それぞれに八大竜王を祀る富士信
仰に関わる巡拝地であった。富士登山を目指す行者たちはこの
水で穢れを祓った。長谷川角行が行った富士八海修行になぞら
省18
76: (ワッチョイ bf0c-FqoX) 2018/02/05(月)07:53 ID:vfUh/89g0(24/175) AAS
るとともに、奥には富士講にとっての富士山の祭神である木花
開耶姫などが祀られている。写真船津胎内樹型の写真表法的保
護、修理・整備の経緯1929年史跡名勝天然記念物法の下に
天然紀念物として指定2010年「山梨県南都留エムゾネ郡富士河
口湖町町内国指定天然記念物溶岩洞穴等保存管理・整備活用計
画書」を策定B13吉田胎内樹型吉田胎内本穴は、1892年
に富士道者により整備された「御胎内」である。吉田胎
77: (ワッチョイ bf0c-FqoX) 2018/02/05(月)07:59 ID:vfUh/89g0(25/175) AAS
の奥には、石祠があって富士講にとっての富士山の祭神でエムゾネ
ある木花開耶姫が祀られている。樹型内に入ると横穴の正面に
は、食行身禄を祀る石祠があり、その下段には、さらに横穴が
あり左右に分かれている。右の穴が天津彦彦火瓊瓊杵命を祀る
父の胎内で、左の穴が木花開耶姫を祀る母の胎内である。富士
講講エムゾネ徒は、昼までに御師の家に着き、夕方まで胎内巡りを
し、翌朝富士山に登山した。−35−本穴については、古くか
ら冨士山北口御師団が管理している。写真吉田胎内樹型の写真
表法的保護、修理・整備の経緯1929年史跡名勝天然紀念物
法の下に天然エムゾネ紀念物として指定2010年「天然記念物吉
省18
78: (ワッチョイ bf0c-FqoX) 2018/02/05(月)08:05 ID:vfUh/89g0(26/175) AAS
、1648年及び1665年、その前身である光〜寺が富士講
二世日珀(正しくは王へんに日)、三世珀心(同)によりエムゾネ
再興された記述があり、19世紀前半に同寺の大日堂が僧空胎
により再興された。1868年の神仏分離令により20世紀ま
でには大日堂が人穴村の氏神としての浅間神社となった。19
42年、付近が軍用地となったため一時移転したが、1954
年にエムゾネ現在地に復興された。境内の碑塔は、その4分の3(
194基)が墓碑ないし供養碑で人穴への分骨埋葬を望んだ富
士講の信仰によるものである。そのほかに富士山に何回も登っ
たという登拝記念や大願成就の碑塔や角行二百年忌の宝篋印塔
省18
79: (ワッチョイ bf0c-FqoX) 2018/02/05(月)08:10 ID:vfUh/89g0(27/175) AAS
地と記されている。−36−その後、白糸の滝は富士講を中心
とした人々の巡礼の場となった。その様子は1845年と18
54年にこの地を訪れた富士講先達の記録で確認でき、滝エムゾネ
つぼの中で垢離をとる信者の周囲に虹が出来る現象を「御来光
」としている。また、周辺にある食行身禄の碑や不動尊が同書
の挿画に描かれている。そのほかの19世紀の登山記でも人穴
と共にその存在が長谷川角行との関わりを通して紹介されてい
る。エムゾネまた、白糸ノ滝は景勝地としても有名であり、多くの
和歌・絵画の題材となっている。写真B15の写真表法的保護
、修理・整備の経緯1936年所在地が国立公園法の下に(富
省18
80: (ワッチョイ bf0c-FqoX) 2018/02/05(月)08:17 ID:vfUh/89g0(28/175) AAS
半島と対岸(現静岡市清水区興津)との間を船で渡り富士山を
眺める行事を行い、16世紀には徳川家康が三保半島内海側に
富士見櫓を建設した。文学では「万葉集」以降も和歌等の詩の
題材となると共に、地元の伝説を基にし、羽衣の松を舞台エムゾネ
とした謡曲(能)「羽衣」が遅くとも16世紀までに成立した
。降臨した天女と漁師との出会いと別れを描いたこの話の最終
場面ではヒロインの天女が富士山方向へ飛び去っていく
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