[過去ログ]
【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)46【ダメ工作員】 (367レス)
【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)46【ダメ工作員】 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1516975152/
上
下
前
次
1-
新
通常表示
512バイト分割
レス栞
このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています。
次スレ検索
歴削→次スレ
栞削→次スレ
過去ログメニュー
218: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-9lb2) [sage] 2018/01/27(土) 15:14:39.76 ID:/kmEsvOR0 一番古い碑塔は寛文4年(1664)建立のものである。建立目的 によっエムゾネて大きく分類すると、個人の戒名や行名を記した墓碑・ 供養碑である「墓碑供養碑」、修行による大願成就を祈願する「祈 願奉納碑」、個人の富士登拝や講の人穴参拝を記念する「顕彰記念 碑」の3種とそれ以外に整理される。「墓碑供養碑」が最も多いエムソ ゙ネ。−61−写真碑塔群の写真図碑塔群の配置図・参道洞穴入口や 浅間神社社殿のある平場へ至る参道が、境内地内を南から北へ伸び ている。現在はコンクリートで覆われている。・建物跡大小2つの 建物跡が人穴洞穴直上の平場で検出されている。西側にエムゾネ規模の 大きな1棟と、その東側にやや小規模の1棟があり、大規模なもの の方がより古い遺構とみられる。また建物跡の周辺には石積みが施 されている。・参道跡建物跡へ向かう参道跡が、建物跡南側の平場 から斜面を下り、井戸跡の所在する平地まで約エムゾネ34m続いてい る。溶岩角礫や露出している溶岩を利用して21段の石段が構築さ れている。・道跡2本の道跡と思われる石列が参道跡の上り口、石 垣の西側に位置する。建物跡と洞穴や碑塔群などを結ぶ機能を有し ていたと考えられる。・炭焼窯跡指定エムゾネ地の北側を通る林道に沿 って、5箇所の炭焼窯跡が検出されている。昭和初期まで使用され ていたものであるが、富士講に関わる遺構は検出されていない。・ 井戸跡参道跡の南側に位置する。内部が溶岩角礫や土砂によって埋 没し、涸れ井戸となっているエムゾネ。B15白糸ノ滝図以下に示す要 素が点在している平面図・古富士泥流堆積物山体が崩壊した際に崩 れた土砂が堆積した地層であり、古富士火山の一部を形成するもの である。この地層は、塊状礫岩と平行層理を持つ砂岩が不規則に互 層しているものであエムゾネる。写真写真・白糸溶岩流新富士火山の土 台となっている溶岩流のひとつであり、白糸ノ滝付近0.3平方キ ロメートル程度にある。白糸溶岩流は4枚の溶岩流層からなると考 えられており、白糸ノ滝では2枚の溶岩流層が確認で http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1516975152/218
219: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-XqOq) [sage] 2018/01/27(土) 15:20:35.63 ID:/kmEsvOR0 す要素が点在している平面図・溶岩流地形山宮浅間神社の石鳥 居から参道を経て参籠所に至るまでの区域は北山溶岩流上に展 開している。また、遥拝所が位置する小高い丘陵は青沢溶エムゾネ 岩流の先端部である。さらに、涸れ沢の西岸には、天母山(二 子山)溶岩流、万野風穴溶岩流で構成される丘陵地が展開する 。よって、山宮浅間神社周辺には、籠屋付近の北山溶岩流を含 め、4つの異なる溶岩流地形が広がっていることになる。遥拝 所のエムゾネ基盤となっている青沢溶岩流は、約2,000年前の 噴火によって流出した比較的新しい溶岩流であるため、この部 分は他の区域と比べて植生の回復は遅れていたと考えられる。 そのために、樹木等に遮られることなく富士山の山頂まで見渡 せていたためエムゾネ、この場所で山を遥拝する行為が行われたと 考えられる。写真溶岩流地形の写真図溶岩流の拡散している模 式図・社叢目通りの幹周が3mを超える巨木4本を含むスギ林 が、約9,780uの社叢を形成しており、富士宮市の保存樹 林に指定されている。エムゾネ・籠屋(参籠所)遥拝所へ登る手前 の平坦な土地に籠屋が建てられている。籠屋は、神の宿った御 鉾が浅間大社と山宮浅間神社を往復する祭儀「山宮御神幸」に おいて、これに同行した大宮司以下の諸職が一夜参籠した場所 である。−53−・鉾立石籠屋エムゾネをくぐり遥拝所へ続く参道 に、「山宮御神幸」で神の宿った鉾を休めるための「鉾立石」 が置かれている。石は火山弾であり、籠屋をくぐってすぐの位 置に1つ、石段の手前に1つの計2つが置かれている。・石段 (参道)遥拝所が位置する丘陵へ登るたエムゾネめの石段が組まれ ている。現在あるものは戦中もしくは戦後に改築されたものと 考えられる。・石塁遥拝所の周辺約45m四方が石塁により方 形に区切られている。青沢溶岩流の溶岩塊上に溶岩礫を積み上 げて構築され、部分的に遺物を含む土層上に構築エムソ http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1516975152/219
220: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-9lb2) [sage] 2018/01/27(土) 15:21:17.03 ID:/kmEsvOR0 層の境目にエムゾネはマグマの急冷時に形成された粉砕部(クリンカー )が発達している。また、溶岩流内部には、マグマが冷え固まった 際の収縮により形成された縦方向の割れ目(柱状節理)が存在する 。白糸ノ滝は、地質の特徴上、次のようなメカニズムで崩落を繰り 返エムゾネしていると考えられている。白糸の滝は、最近10年間の平 均で日量約15.6万トンの湧水量が見積もられており、この多量 の水の落下は、白糸溶岩流に比して軟弱な古富士泥流 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1516975152/220
221: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-XqOq) [sage] 2018/01/27(土) 15:26:37.68 ID:/kmEsvOR0 る。石塁下から祭祀に用いられたと思われる土師器が出土して いるため、それらが用いられた12世紀から15世紀、もしく は後の時代に築造されたものと推定される。写真石塁の写真図 石塁の平面図・断面図・玉垣遥拝所の周囲にはコンクリーエムゾネ ト製の玉垣が設置されている。戦中もしくは戦後に設けられた ものと考えられる。また、遥拝所入口には鉄製の門扉が取り付 けられている。・遥拝所富士山を直接拝礼し、祭儀を行うこと を目的として築造されたと推定される施設である。南北約15 .2エムゾネm、東西約7.6mの長方形で、30〜40p程度の 溶岩を用いて石列等によって組まれている。富士山を拝む方向 に祭壇が位置し、祭壇に向かって左側に祭儀を行う際の大宮司 席、公文・案主席、献饌所が、向かって右側に別当・供僧席が 設けられていエムゾネる。写真遥拝所の写真図遥拝所の平面図・石 鳥居境内地の南端に、石鳥居が建てられている。昭和6年(1 931)に建立されたものである。・参道石鳥居から籠屋まで 参道が続いている。B3村山浅間神社図以下に示す要素が点在 している平面図・元村エムゾネ山溶岩流村山浅間神社は、新富士旧 期溶岩の元村山溶岩流末端部付近にあたる。見付の間は平地で 、両見付から先は急傾斜地となっている。村山地区は標高が高 く、他の集落と急傾斜地で隔絶された一段高い場所に位置する 。・水源地(竜頭ヶ池)社叢東エムゾネ側に「竜頭ヶ池」と呼ばれ る湧水池があり、水垢離や生活用水として利用されてきた。ま たこの湧水を水源とする村山沢は南流して渓谷を刻み神社西側 から大沢川となる。これらの水源は、村山の集落を成立させた 要因の一つである。・御神木(イチョウエムゾネ、大スギ)[イチ ョウ]−54−昭和43年(1968)7月2日に県天然記念 物に指定された。目通り8m、根回り9.15m、樹高26m 、枝張り東西19m南北14mで、樹勢よく乳状 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1516975152/221
222: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-9lb2) [sage] 2018/01/27(土) 15:27:15.96 ID:/kmEsvOR0 に浸食する。やがて、下部が抉り取られることで上部の溶岩エムゾネ流 はオーバーハング状態となり、自重に耐えられなくなった時点で自 然崩落する。この作用が繰り返され、崖線が後退し続けていると考 えられる。また、白糸溶岩流内の柱状節理は浸食に弱く、滝の後退 を早める一因と指摘されている。白糸ノ滝は、1年エムゾネに約2セン チメートルの割合で北側に後退しているという計算もある。音止の 滝も、白糸ノ滝と同様の地質であり、同様のメカニズムで崩落−6 2−を繰り返していると考えられている。写真溶岩流の写真図溶岩 流の拡散図・白糸ノ滝白糸の滝は、高さ約エムゾネ20メートル、長さ 約120メートルに渡り馬蹄状に広がる崖面の各所から湧出した水 が、数多の白い糸を垂らしたように流れ落ち、滝となったものであ る。白糸ノ滝周辺の地質は、下部に不透水層である古富士泥流堆積 物があり、上部に透水性のある白エムゾネ糸溶岩流があると考えられて いる。富士山麓に降った雨水は、上部の溶岩流を透過し、下部の不 透水層との境目を流れ下っていると考えられている。白糸の滝は、 両層が崖面として露出しており、両層の境目や上部の溶岩流の間か ら水が湧出している様子エムゾネが確認できる。写真滝の写真(音止の 滝も同時に掲載)・音止の滝音止の滝は、「音無の滝」とも呼ばれ 、白糸の滝と台地を隔てた東側に位置する。主瀑は落差約25メー トルを流れ落ちる芝川の本流であり、轟音を轟かせている。崖面で は、白糸の滝同エムゾネ様の地層が観察され、湧水が見られるが、白糸 の滝に比して水量は少ない。・鬢撫水鬢撫水は、「お鬢水」とも呼 ばれ、白糸の滝の崖上にある。鬢撫水は、湧水が池となったもので あり、その水は白糸の滝の一部として流れ落ちている。また、ここ には「エムゾネ駒繋石」、「弁当(行厨)石」、「杓子石」等の名前の ついた石があったとされるが、現在は不詳である。・植物白糸の滝 の両岸の崖上には樹木が生い茂っている。また指定地内には、メヤ ブソテツ、ユリワサビ等特色ある植物相がある。・富士講 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1516975152/222
223: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-XqOq) [sage] 2018/01/27(土) 15:32:40.08 ID:/kmEsvOR0 達も著しい。気根が数多く垂下する。気根の先端エムゾネに針を刺 して祈願すると妊産婦の乳の出がよくなると伝えられ、女性の 信仰を集めていた。また以前はウロの中に大日如来が祀られて いたといわれ、現在でも祭祀でしめ縄を張る。[大スギ]昭和 31年5月24日に県天然記念物に指定された。村山浅間エムゾネ 神社の御神木と称される巨木である。境内の多くのスギの中で 最大のもので目通り9.9m、枝張り東西17. http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1516975152/223
224: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-9lb2) [sage] 2018/01/27(土) 15:33:18.47 ID:/kmEsvOR0 ゙ネノ滝」には、江戸時代中期以降江戸で隆盛した富士講の祖長谷川 角行にまつわる伝承がある。角行は白糸の滝で垢離をとり修行を行 ったとされ、富士講の信者の中には白糸の滝を訪れる者や、白糸の 滝で修行を行う者がいたことが知られている。幕末の資エムゾネ料には 、白糸の滝で垢離をとり修行を行った富士講の信者の記録がある。 指定地内には富士講の信者が建てた石碑があり、「仙元大神」と記 されたもの(市道沿い)や、「食行身禄」と記されたもの(白糸の 滝滝つぼ右岸)等がある。・白糸の滝の勝景白エムゾネ糸の滝の、数多 の白い糸を垂らしたように落ちる優美な勝景がある。写真景勝の写 真・音止の勝景音止の滝の、轟音をたてて落ちる雄大な勝景がある 。写真景勝の写真・富士山の展望指定地では、白糸の滝と音止の滝 の勝景とともに、見事な富士山が望まエムゾネれる。写真展望の写真・ 富士の巻狩の伝承「白糸ノ滝」には、建久4年(1193)に源頼 朝が行ったいわゆる富士の巻狩にまつわる伝承がある。音止の滝の 名前は、富士の巻狩に関係する曽我兄弟の仇討ち伝承に由来するも ので、兄弟が仇討ちの相−6エムゾネ3−談をしている間は水音を止め たことから名づけられたという。また、鬢撫水には、富士の巻狩の 折に源頼朝がここで鬢のほつれを直したという伝承がある。・歌碑 「白糸ノ滝」の勝景は古くから詩歌に詠まれてきており、白糸の滝 滝つぼ右岸には白糸エムゾネの滝の勝景を詠んだ歌碑がある。・標識名 勝及び天然記念物であることを明示する標識がある。B眺望C三保 松原図以下に示す要素が点在している平面図三保松原は、静岡市清 水区南東部に位置する三保半島にあり、半島の東岸真崎から海岸線 に沿い、南エムゾネ北に約4キロメートルに及ぶ松林と内陸部に散在す る松林が主体をなしている。真崎から海岸線に沿う松林は、国有地 又は市有地が大半を占めているが、内陸部の松林と松林の景観を維 持している背後地については、ほとんどが民有地となっている。松 林エムゾネには、300年を経た老木から幼令木が約54 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1516975152/224
225: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-XqOq) [sage] 2018/01/27(土) 15:39:19.96 ID:/kmEsvOR0 1m、樹高47mもある。中心部には高さ8mに及ぶ空洞があ る。案内板では約1,000年の樹齢とされるが、実際にはお よそエムゾネ400〜600年と推定される。・社叢境内には胸高 直径0.7m以上のスギが39本ある。アカガシ3本、スダジ イ1本などの大樹も見られるが、裏山の大半は戦後植樹された ヒノキやスギである。富士宮市の保存樹林に指定されている。 ・浅間神社社エムゾネ殿村山浅間神社社殿は、神仏分離令によって 境内社富士浅間七社を相殿として造られ、中座に木花開耶姫命 、左座に大山祗命、彦火々出見命、瓊々杵命、右座に大日霊貴 (天照大神)・伊弉諾尊・伊弉冉尊を祀っている。現在の社殿 は大正2年(1913エムゾネ)に改築されたものだが、幣殿と拝 殿は老朽化したため、その後さらに鉄筋コンクリート一部木造 に建替えられている。写真社殿の写真図社殿の図面・大日堂( 興法寺)鎌倉時代の文保年間(1317〜1318)に、末代 上人の流れをくむ頼尊が村山にエムゾネ興法寺を開いたと伝えられ ている。その興法寺の建物として現存する唯一の堂で、富士山 の本尊である大日如来を主尊とする。現在の建物は、部材の状 況や絵様彫刻の特徴などから江戸時代末期の建造と考えられる が、外壁は波鉄板板張りに変えられていエムゾネる。桁行5間・梁 間7間、入母屋造、鉄板葺きで、南面に出入り口を開き、前面 と両側面に幅一間の回り縁を巡らしている。写真社殿の写真図 社殿の図面・水垢離場山伏修行者及び修験者が、富士登拝の道 者が垢離をとって身を浄めた場所で、間口約6.エムゾネ5m、奥 行き約4mの長方形で、深さ約0.6mに掘り込み、底に石を 敷きつめ周囲は石積みとなっている。造成年代は不明。水垢離 場へは社叢裏手の沢に湧く龍頭池湧水を引き、上の段から樋で 落とし垢離を取るようにしてある。水の落ち口には山伏修エムゾネ 行のときの主尊とされる不動明王の石像が安置さ http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1516975152/225
226: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-9lb2) [sage] 2018/01/27(土) 15:39:58.28 ID:/kmEsvOR0 幅広く分布している。図三保松原の地区区分図表地区区分詳細表地 区境界@特別規制A地区真崎灯台の内海側の第2種規制地区との境 界は、隣接する特別規制B地区と第2種規制地区との境界(エムゾネ松 が途切れる所)の延長線上とする。A特別規制B地区特別規制A地 区との境界は防潮堤外側とし、その他の規制地区との境界は、羽衣 参道は道路外側、それ以外は平成元年4月1日現在において松原を 形成している地区、ただし、真崎先端の境界は真崎エムゾネ灯台と建設 省財産、運輸省財産及び民地側の境界を結んだ線とする。B第1種 規制地区真崎付近の第2種規制地区及び第3種規制地区との境界は 、都市計画道路の中心線とし、字広道の第2種規制地区との境界、 字羽衣脇の三保第一小学校を中心とする第エムゾネ2種規制地区との境 界及び大字折戸地区における第2種規制地区との境界は、隣接する 道路の中心を境界とする。ただし、羽衣参道西側の第2種規制地区 との境界は、羽衣参道中心より25mの位置とする。C第2種規制 地区真崎付近第3種規制地区とのエムゾネ境界は、市道本村海岸58号 線の中心の延長を境界とする。その他の地区との境界は、@ABを 参照。D第3種規制地区各地区との境界はABCを参照。(2)顕 著な普遍的価値を構成する諸要素と密接に関わる諸要素@自然地形 構成資産の土地には、山エムゾネ並み、湧水や富士山及び側火山の噴火 等の火山活動によって形成された溶岩樹型などの自然地形が見られ 、構成資産を成立させる重要な要素となって存在しているものもあ る。ア富士山山体及び登山道A富士山−64−・テフラ噴火の際、 山頂火口から粘エムゾネ性の小さい玄武岩質のテフラと溶岩を繰り返し 多量に噴出したため、山頂付近はテフラに覆われている。・大沢崩 れ「八百八沢」と呼ばれる多くの浸食谷の中で最も大きなもので、 富士山西斜面の山梨県との県境に位置する。山頂直下から標高2, 200エムゾネm付近まで延長2.1q、最大幅約500m、最大深さ 約150mに渡る。崩壊は現在も進行中で年平均約1 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1516975152/226
227: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-XqOq) [sage] 2018/01/27(土) 15:46:28.14 ID:/kmEsvOR0 真水垢離場の写真・護摩壇大日堂東側にあり、正面には不動明 王の石像が祀られている。護摩壇は、四囲を石で囲んだ一辺5 .3mの丸い石組となっている。丸い石組の前に置かれた葛石 にはエムゾネ、「干時安政四年九月」と刻まれ、安政4年(185 7)造立と考えられる。周囲の正方形の石組みと中央の丸い石 組みは石材に違いが見られ、造成時期が異なっているものと思 われる。写真護摩壇の写真・氏神社(高嶺総鎮守社)−55− 護摩壇裏手のエムゾネ一段高くなったところに末代上人を祀る大棟 梁権現社があったとされる。しかし、神仏分離令により廃され 、代わりに村山浅間神社社殿と大日堂の間から裏山に登ったと ころに大棟梁権現社を遷し「富士大神社(祭神大己貴命)」と して祀られた。現在はエムゾネ「高根総鎮守」と呼ばれ、元村山集 落の氏神社となっている。「明治十八年五月十七日奉再建冨士 大神社」と記された棟札が残されている。現在の社殿は、平成 15年に再建された。・石鳥居村山浅間神社へと登る石段の途 中に、石鳥居が建てられているエムゾネ。昭和28年(1953) に建立されたものである。・氏神社鳥居氏神社(高嶺総鎮守社 )へと登る参道の入口に、鳥居が建てられている。平成15年 の再建に合わせて建てられたものである。・手水舎(手水鉢) 村山浅間神社へと続く参道入口の左側にエムゾネ、手水舎が設置さ れている。明治16年(1883)に設置されたものである。 ・石段(参道)段の入り口が、村山浅間神社へ続くものと、大 日堂へ続くものの2本が平行して造られている。・狛犬昭和5 年に奉納された狛犬2体が、参道脇に設置されてエムゾネいる。B 4須山浅間神社図以下に示す要素が点在している平面図・社叢 樹齢500年を超えるスギの巨木が22本あり、中には樹高3 7m、目通りの太さが7mを超えるものも見られる。社叢全体 が市指定天然記念物として保護されている。・社殿大禰 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1516975152/227
228: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-9lb2) [sage] 2018/01/27(土) 15:47:08.32 ID:/kmEsvOR0 ・土砂を流出し、大沢川流域に扇状地を形成している。写真大沢崩 れの写真図大沢崩れの図面A1山頂信仰遺跡なしA2大宮・村山エムソ ゙ネ口登山道・日沢(浸食谷)日沢は富士山の浸食谷の1つで、村山 口登山道跡とほぼ並行に山腹を南下していく。村山口登山道跡とは 、中宮八幡堂跡の東側(標高1,280m付近)及び、6号建物跡 と7号建物跡の間(標高2,015m付近)で交差するエムゾネ。2, 015m付近には、日沢の上に巨石があり、自然の橋 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1516975152/228
229: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-XqOq) [sage] 2018/01/27(土) 15:52:32.84 ID:/kmEsvOR0 ・渡邊対馬守安吉の社伝旧記によれば、天元4年(961)に 駿河国司・平兼盛が社殿を修理したとの記録がある。その後の 記録として社殿の存在が確認できるのは、大永4年(1524 )と記された修築時の棟札による。現在の社殿は、文政6年( 18エムゾネ23)に再建されたとされている。写真社殿の写真図 社殿の図面・神輿殿須山浅間神社の例大祭で使用される神輿を 納めた神輿殿が、境内地西側に建てられている。・狛犬境内に は、社殿前と石段手前の参道脇に計二対の狛犬が設置されてい る。社殿前のエムゾネ一対は平成12年に、参道脇の一対は平成1 3年に奉納されたものである。・灯籠参道の両脇に灯籠が建て られている。登り口のものは平成13年に、階段を登ったとこ ろにあるものは、それぞれ寛保2年(1742)、文政6年に 奉納されたものであるエムゾネ。・手水舎石段に至る参道の脇と、 社務所西側の2箇所に、手水舎が建てられている。社務所そば には、文政7−56−年と刻まれた水盤も置かれている。・参 道鳥居から10mほどは石畳が敷かれ、その後社殿の位置する 高台へ登るためにコンクリートエムゾネ製の階段が続いている。・ 鳥居参道入口には、朱塗りのコンクリート製の鳥居が建てられ ている。昭和41年(1966)に奉納されたものである。・ 石碑鳥居の東側に、郷社として奉幣を受けていたことを示す碑 が建てられている。・古宮神社八坂大神エムゾネ、八幡大神、愛鷹 大神、子安大神、疱瘡守護神を祀る境内社である。覆屋の中に あり、旧本殿と推測される建物である。B5冨士浅間神社図以 下に示す要素が点在している平面図・社叢(浅間の杜)社殿周 囲と、参道の南側に社叢が広がっている。特に参エムゾネ道南側の 部分を浅間の杜と呼び、静岡県や小山町の天然記念物である大 樹が生育している。・ハルニレ昭和38年(1963)2月1 9日に静岡県の天然記念物に指定された。根回り http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1516975152/229
230: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-9lb2) [sage] 2018/01/27(土) 15:53:15.14 ID:/kmEsvOR0 になっており、横渡と呼ばれる。登山道はここで日沢の左岸から右 岸に渡る。写真日沢の写真A3須山口登山道起伏に富んだ自然地形 をなし、粘性の小さい玄武岩質のテフラと溶岩エムゾネを繰り返し多量 に噴出したため、テフラに覆われている。A4須走口登山道起伏に 富んだ自然地形をなし、粘性の小さい玄武岩質のテフラと溶岩を繰 り返し多量に噴出したため、テフラに覆われている。A5吉田口登 山道二合目から三合目にかけて見られエムゾネる古富士火山からの泥流 堆積物、二合目付近で見られる玄武岩溶岩の滑床及び縄状溶岩など 様々な地質・地形が火山活動により形成されている。A6北口本宮 冨士浅間神社A7西湖A8精進湖A9本栖湖地質学的にみると湖の 北側、西側、南側は御坂基盤エムゾネ層により構成されているが、東側 新富士火山の旧期の溶岩、さらにそれらを覆う形で青木ヶ原溶岩が 分布している。この溶岩流については水中に流入して形成された水 底溶岩の可能性も指摘されている。(久野久(1968)水中自破 砕溶岩)また本栖湖エムゾネ畔のボーリング調査において43mより上 位は新富士火山の特徴が示され、それより深いところは古富士火山 の特徴を示している。その時期は概ね30,000年前以降の溶岩 主体の富士山起源の火山活動が確認−65−されている。イ信仰B 1富士山本エムゾネ宮浅間大社・鏡池楼門前の池で一名眼鏡池とも言わ れる。参道を挟んで両側に丸く池が広がっている。寛文10年(1 670)の絵図では、ここから流れる水が御手洗川に流れ込んでい る。写真鏡池の写真B2山宮浅間神社構成資産の土地には丘陵や河 川エムゾネなどの自然地形が見られ、構成資産を成立させる重要な要素 となって存在しているものがある。B3村山浅間神社構成資産の土 地には丘陵や河川などの自然地形が見られ、構成資産を成立させる 重要な要素となって存在しているものがある。B4須山浅間エムゾネ神 社構成資産の土地には丘陵や河川などの自然地形が見られ、構成資 産を成立させる重要な要素となって存在しているもの http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1516975152/230
231: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-XqOq) [sage] 2018/01/27(土) 15:59:12.97 ID:/kmEsvOR0 り4m、樹高24.50m、枝張東西28.10m、南北エムゾネ 23.50m、樹齢約500年。北日本の山地に多い落葉高木 で、静岡県では極めて少なく当社以外の小山町内では数本しか 見当たらないが、境内には10本が生育している。・エゾヤマ ザクラ昭和58年5月1日に小山町の天然記念物に指定された 。樹エムゾネ齢約130年で、根回り2.08m、目通り1.75 m、樹高約10m、枝張東西13.8m、南北9 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1516975152/231
232: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-9lb2) [sage] 2018/01/27(土) 15:59:53.40 ID:/kmEsvOR0 須走浅間神社・信しげの滝(清めの滝)境内地の池で汲み上げた水 が、石鳥居南側の「信しげの滝」まで流れている。エムゾネB6河口浅 間神社B7冨士御室浅間神社B8御師住宅中門をくぐると川(水路 )が流れており、かつては当家に宿泊する富士講の禊ぎの場となっ ていた。B9山中湖B10河口湖B11忍野八海B12船津胎内樹 型・構成岩石質、地質学的形状(平面的、エムゾネ立体的)等B13吉 田胎内樹型溶岩流の流出時の表面の状態がほぼ保たれている。地域 を覆う玄武岩溶岩流をはじめ、スコリアなどの火山活動に伴う噴出 物が顕著に見られる。B14人穴富士講遺跡(人穴浅間神社)−6 6−構成資産の土地には丘陵や河エムゾネ川などの自然地形が見られ、 構成資産を成立させる重要な要素となって存在しているものがある 。B15白糸の滝構成資産の土地には丘陵や河川などの自然地形が 見られ、構成資産を成立させる重要な要素となって存在しているも のがある。ウ眺望C三保エムゾネ松原なしA森林、植栽樹木構成資産の 土地には、富士山の景観を構成している天然林、富士山原始林及び 青木ヶ原樹海、人工林などからなる森林が存在しているほか、社叢 林・境内林などが存在している。ア富士山山体及び登山道A富士山 標高3,300エムゾネm付近より上方の地域にコケ類・地衣類が生育 している。A1山頂信仰遺跡なしA2大宮・村山口登山道・草山部 分の植物村山浅間神社から中宮八幡堂跡の下までにあたり、植物の 垂直分布では、丘陵帯から山地帯にあたる。戦後、スギ・ヒノキ・ モミなエムゾネどの植林が行われ、道沿いはほとんどが人工林であるが 、天照教社から富士山麓山の村を経て中宮八幡堂跡に至る道沿いに は、ブナ・ミズナラ・カエデなどの落葉広葉樹の自然林が残ってい る。林の下にはササ(スズタケ)が視界を遮るほど生い茂っていエムソ ゙ネる。・木山部分の植物中宮八幡堂跡付近から新5合目の森林限界 (2,400m付近)までにあたり、植物の垂直分布では、山地帯 から亜高山帯にあたる。高所に上がるにつれてブナ・ http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1516975152/232
233: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-XqOq) [sage] 2018/01/27(土) 16:05:26.96 ID:/kmEsvOR0 をオオヤマザクラと称するヤマザクラの北方型で、静岡県が南 限である。県内ではまれな樹種である。・根上がりモミ平成3 年5月1日にエムゾネ小山町の天然記念物に指定された。樹齢約3 00年で、根回り4.61m、目通り3.07m、樹高27m 。この根上り群は約150年生のモミの根本にブナ、イヌシデ の種子が生え、宝永噴火の火山灰土が、降雨により流亡しなが らモミが成長したためエムゾネ、根が爪を立てた状態で生育し、根 上がりになったと考えられる。縁結びの木とも呼ばれている。 ・社殿平成18年8月24日に小山町の文化財(建造物)に指 定された。宝永噴火により大きな損害を受けたが、享保3年( 1718)に再建された。そのエムゾネ後蟻害や老朽化により改修 したものの、部材は享保年間(1716〜36)のものが今な お使用されている。社殿は本殿・幣殿・拝殿が連結した権現造 である。拝殿は入母屋造で千鳥破風を据え、本殿は享保年間の 遺構を残した流造りとなっている。−5エムゾネ7−構造は、拝殿 が桁行5間・梁間2間の入母屋造で、向拝1間、正面千鳥破風 付。幣殿が桁行3間・梁間2間の両下造。本殿が三間社流造、 向拝1間、屋根は全て銅板葺きとなっている。写真社殿の写真 図社殿の図面・楼門二階建ての随神門で、上層のエムゾネ周囲に高 欄付きの縁を巡らしている。北の櫛岩窓神、南の豊岩窓神が随 神として配神されている。宝永噴火により社殿とともに大破し ており、現在のものは明和4年(1767)随神が寄贈された 当時に再建されたものと考えられる。楼門の構造は、三間エムゾネ 一戸楼門、茅葺型入母屋造、銅板葺き。軒廻りは二軒繁垂木に 組物は出組で、腰組も二手先としている。・参道大鳥居参道入 口には、花崗岩の石鳥居が建てられている。春日造で、額束に は「不二山」と刻まれている。明治33年(1900)に奉納 されエムゾネた。・裏参道鳥居西側駐車場から本殿へ http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1516975152/233
234: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-9lb2) [sage] 2018/01/27(土) 16:06:06.16 ID:/kmEsvOR0 広葉樹からウラジロモミ・シラビソなどの針葉樹に変わエムゾネり、標 高1,600m付近で落葉樹とササがなくなる。・焼山部分の植物 森林限界である標高2,400m付近から上で、植物の垂直分布で は高山帯にあたる。この付近の植物は7月下旬から9月上旬にかけ ていっせいに花を咲かせる。オンタデ、ムラサエムゾネキモメンヅル、 ミヤマオトコヨモギなどが見られる。A3須山口登山道・木山部分 の植物植物の垂直分布では、須山御胎内(標高1,440m付近) 付近は夏緑樹林帯(ブナ・ミズナラ・カエデ類)にあたり、林床に はササ類が密生している。幕岩上部(エムゾネ標高1,680m付近) 付近は、針葉樹のシラビソ・−67−オオシラビソ・コメツガなど が多くなるが、森林限界(標高1,700〜1,750m)に近く なるにつれて樹高が低くまばらになる。宝永噴火の際に噴出したス コリアが厚く堆積しているたエムゾネめ、須山口登山道付近の森林限界 は、他の登山道よりもかなり低い。・焼山部分の植物須山口登山道 2合8勺(標高2,050m付近)から頂上までは、植物の垂直分 布で高山帯にあたる。オンタデ、イタドリ、フジハタザオ、フジア ザミなどが、まばらエムゾネに分布する。A4須走口登山道・木山部分 の植物植物の垂直分布では、須走口登山道5合目(標高2,000 m)付近は、亜高山針葉樹林帯でシラビソ・オオシラビソ・コメツ ガなどが分布する。須走口登山道の森林限界は約2,700mで、 他の登山道エムゾネよりも高い。・焼山部分の植物森林限界を過ぎると 高山帯となり、オンタデ、イタドリ、フジハタザオ、フジアザミな どが、まばらに分布する。A5吉田口登山道標高1600m付近よ り下方の区域は、山地帯に属する。自然林はごく少なく、ほとんど がエムゾネアカマツ・カラマツなどの植林地である。わずかに残る自然 林では、ミズナラ・ウラジロモミや自生のアカマツ等が生えている 。天然記念物「躑躅原のレンゲツツジ及びフジザクラ群落」が存在 するのもこの地域である。標高1600mから2500m付 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1516975152/234
235: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-9lb2) [sage] 2018/01/27(土) 16:13:01.80 ID:/kmEsvOR0 までの区域が亜高山帯にあたり、コメツガ・シラベ・オオシラビソ の森林を形成している。火山礫の露出した日当たりの良いところに は、ダケカンバが生えている。・焼山部分の植物標高2500m付 近から上の区域は高山帯に当たり、森林は形成されエムゾネない。植物 はほとんどみられない地域であることから、かつては「焼山」と呼 ばれた。植物の遷移の過程を見ることが出来る場所としても、学術 的価値が高い。ここには、カラマツが匍匐状に生育し http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1516975152/235
236: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-9lb2) [sage] 2018/01/27(土) 16:20:13.18 ID:/kmEsvOR0 ミヤマハンノキ・オンタデ・メゲツソウ・エムゾネフジアザミ・ムラサ キモメンズルなどが生育する。A6北口本宮冨士浅間神社A7西湖 A8精進湖A9本栖湖水辺植物群、沈水植物群にそれぞれ特徴が挙 げられる。イ信仰B1富士山本宮浅間大社構成資産の土地には、丘 陵を構成する社叢林・境内林などエムゾネのほか、敷地内において植栽 された樹木等が存在している。−68−B2山宮浅間神社構成資産 の土地には、丘陵を構成する社叢林・境内林などのほか、敷地内に おいて植栽された樹木等が存在している。B3村山浅間神社構成資 産の土地には、丘陵を構エムゾネ成する社叢林・境内林などのほか、敷 地内において植栽された樹木等が存在している。B4須山浅間神社 構成資産の土地には、丘陵を構成する社叢林・境内林などのほか、 敷地内において植栽された樹木等が存在している。B5須走浅間神 社構成資産の土エムゾネ地には、丘陵を構成する社叢林・境内林などの ほか、敷地内において植栽された樹木等が存在している。B6河口 浅間神社B7冨士御室浅間神社B8御師住宅B9山中湖B10河口 湖B11忍野八海B12船津胎内樹型B13吉田胎内樹型B14人 穴富士エムゾネ講遺跡(人穴浅間神社)構成資産の土地には、丘陵を構 成する社叢林・境内林などのほか、敷地内において植栽された樹木 等が存在している。B15白糸の滝イロハカエデ、ヤブツバキ等の 自然林や植栽等の植物がある。ウ眺望C三保松原松の生立木が植エムソ ゙ネ栽及び自然植生している。B保存管理又は公開活用を目的とした 建造物構成資産の土地には、保存管理、公開活用のための各種展示 施設・管理棟・防災施設のほか、解説板・誘導案内板等が存在して いる。ア富士山山体及び登山道A富士山−69−富士山エムゾネにおけ る標識類総合ガイドラインに沿ったデザインで統一された案内標識 等の整備が進められている。A1山頂信仰遺跡富士山における標識 類総合ガイドラインに沿ったデザインで統一された案内標識等の整 備が進められている。A2大宮・村山口登山道エムゾネ富 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1516975152/236
237: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-9lb2) [sage] 2018/01/27(土) 16:26:35.50 ID:/kmEsvOR0 標識類総合ガイドラインに沿ったデザインで統一された案内標識等 の整備が進められている。A3須山口登山道なしA4須走口登山道 富士山における標識類総合ガイドラインに沿ったデザインで統一さ れた案内標識等の整備が進められていエムゾネる。A5吉田口登山道富 士山における標識類総合ガイドラインに沿ったデザインで統一され た案内標識等の整備が進められている。A6北口本宮冨士浅間神社 A7西湖A8精進湖A9本栖湖・2006年3月22日より、自然 環境や適切な利用環境の保全エムゾネを図るため、本栖湖水面は動力船 の乗り入れ禁止区域に指定された。こうした規制内容を説明するた めの説明板や水上バイク等動力船乗り入れ禁止看板が湖畔の川尻地 区などに設置されている。・中之倉トンネル脇の山腹は旧五千円札 (現千円札)の裏面エムゾネに使用されている富士山と本栖湖のイラス トのモデルとなった岡田紅陽の写真の撮影地である。国道300号 線沿いの中之倉トンネル脇には四阿を有する展望地がある。自然公 園法の第2種特別地域として、観光施設等も景観に配慮されている 。イ信仰Bエムゾネ1富士山本宮浅間大社・渋沢用水(横溝川)神立山 の北側部を流れる渋沢用水(横溝川)は、淀師地区渋沢の湧水地に 源を発し、神立山の北半部を蛇行しながら南東方向へ流れ、富士宮 市中心部を灌漑する用水路である。開削時期は不明であるが水田開 発エムゾネを目的として開削されたと考えられ、開発が進むにつれ生活 用水や防火用水として使われるようになった。現在は水質悪化によ り生活用水としては利用されなくなっている。・社務所−70−楼 門から続く東廻廊の東側に、神社を管理し神社の社務を取りエムゾネ扱 う社務所が建てられている。・祈祷殿楼門から続く西廻廊の西側に 、各種祈祷や御祓いを行うための祈祷殿が建てられている。・浅間 大社参集所現在の参集所は昭和53年(1978)に建てられたも ので、直会や各種会合に利用されている。・神田川エムゾネふれあい広 場施設昭和39年に富士宮市が浅間大社境内地の一部 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1516975152/237
上
下
前
次
1-
新
書
関
写
板
覧
索
設
栞
歴
あと 130 レスあります
スレ情報
赤レス抽出
画像レス抽出
歴の未読スレ
AAサムネイル
Google検索
Wikipedia
ぬこの手
ぬこTOP
0.008s