[過去ログ] 【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)53【ダメ工作員】 (379レス)
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313: (ワッチョイ bf0c-cpcm) 2018/02/01(木)12:27 ID:HYIp01210(109/165) AAS
他の文化財とともに史跡富士山として指定される予定。B3.
村山浅間神社説明12世紀前半から中ごエムゾネろの修行僧末代の
活動が創建の起源とされており、1868年の神仏分離令まで
は神仏習合の宗教施設として興法寺(富士山興法寺または村山
興法寺)と呼ばれていた(資産範囲には浅間神社と寺院である
大日堂が含まれる)。富士山における修験道の中エムゾネ心地であ
り、14世紀初めには、その活動が組織化された。15〜16
世紀には一般の道者の登拝も増加し、その様子が16世紀の制
作とされる「絹本著色富士曼荼羅図」に描かれている。186
8年、神仏分離令により浅間神社と大日堂は分離され、1エムゾネ
省18
314: (ワッチョイ bf0c-cpcm) 2018/02/01(木)12:32 ID:HYIp01210(110/165) AAS
壊し1718年に再建された。この後もこの際の部材を使用し
、2009年の修理も含め何回かの修理がおこなわれている。
神社には富士講道者が多く立ち寄り、2エムゾネ0世紀前半を中心
に登拝回数の達成(33回がひとつの区切り)等の記念碑を約
80基造営した。法的保護、修理・整備の経緯2006年に社
殿が小山町の有形文化財となる。2009年に本殿・参道の修
理が行われた。文化財保護法の下に他の文化財とエムゾネともに史
跡富士山として指定される予定。B6.河口浅間神社説明古く
から富士山に関わる祭祀は南麓の浅間神社が執り行っていたが
、864〜866年に北麓で起こった噴火を契機に、北麓にも
省18
315: (ワッチョイ bf0c-cpcm) 2018/02/01(木)12:39 ID:HYIp01210(111/165) AAS
、1189、1275、1475、1525年と加修され、1
564には地元領主による大修理が行われている。現在の本殿
は1612年建立と認められ、その後も1698年、1867
年に修復が行われていた。1973−7エムゾネ4年には里宮の地
にそのままの形で移設された。里宮は、二合目の本宮(もとみ
や)が冬季の参拝に苦渋するために河口湖畔に建てられたとさ
れる。修験や登拝といった様々な富士信仰の拠点として
316: (ワッチョイ bf0c-cpcm) 2018/02/01(木)12:44 ID:HYIp01210(112/165) AAS
けられる二合目の本宮と、土地の産土神としてのエムゾネ里宮が一
体となって機能してきた神社である。法的保護、修理・整備の
経緯1973〜74年に吉田口登山道二合目にあった本殿が里
宮の地に移築された。151985年に移築された二合目本殿
が文化財保護法の下に重要文化財に指定された。文化財保エムゾネ
護法の下に他の文化財とともに史跡富士山として指定される予
定。B8.御師住宅説明御師は、道者に宿や食事を始め登拝の
ための一切の世話をするとともに、登拝の指導や祈祷を行うこ
とを業とした。富士山御師として代表的なのは、吉田口登山道
の起エムゾネ点である北口本宮冨士浅間神社の北西に、北東方向の
省18
317: (ワッチョイ bf0c-FqoX) 2018/02/01(木)13:11 ID:HYIp01210(113/165) AAS
穴については、古くから冨士山北口御師団が管理している。法
的保護、修理・整備の経緯1929年に史蹟名勝天然紀念物保
存法の下に天然紀念物に指定された。B14.人エムゾネ穴富士講
遺跡説明富士講の開祖長谷川(藤原)角行が修行したとされる
溶岩洞窟の人穴と富士講信者による約230基の碑塔群が残る
遺跡である。「吾妻鏡」では人穴探検の様子が描かれ、「浅間
大菩薩の御在所」とみられていたとされている。この内容エムゾネ
は遅くとも1603年までに、浅間大菩薩の霊験譚として説話
化され、その存在が広く知られていた。富士講関連の文書によ
れば人穴は16世紀から17世紀にかけ、長谷川角行が修行に
省18
318: (ワッチョイ bf0c-FqoX) 2018/02/01(木)13:20 ID:HYIp01210(114/165) AAS
社が建立され、国家の宗教政策の一端に位置づけられるように
なった。また、富士山の神々しく秀麗な姿と周辺の自然環エムゾネ
境が芸術の対象とされるようになり、日本最古の歌集である『
万葉集』(8世紀半ば)や日本最古の物語とされる『竹取物語
』(9世紀後半)をはじめとして、数多くの和歌・物語など文
学の題材となったほか、現存最古となる『聖徳太子絵伝』(1
1世エムゾネ紀制作)をはじめ、数多くの絵画作品の題材として取
り上げられるようになった(表参照)。特に12世紀後半以降
、日本の政治的中心が京都から鎌倉に移動し、この二つの都市
を結び富士山南麓を通る街道の交通量が増加したことで、富士
省18
319: (ワッチョイ bf0c-FqoX) 2018/02/01(木)14:23 ID:HYIp01210(115/165) AAS
アールに学び、日本洋画に存在感ある独特の装飾技法を樹立し
た。その金字塔とも言うべき作。〃田崎広助長野・田崎美術館
箱根朱富士1エムゾネ975日本独特の平面的装飾に新しい一頁を
開いた田崎ならではの自然景観。〃林武箱根彫刻の森美術館赤
富士1967主として第二次大戦以後洋画壇をリードした。豪
快な技法で富士連作に挑んだ。膠画(日本画)富岡鉄斎兵庫・
清荒神清澄寺富士山及エムゾネび山頂全図屏風1898最後の文人
画家とも言われる思想家。自ら富士山に登り、その神聖性をダ
イナミックに表現した。〃横山大観東京国立近代美術館或る日
の太平洋1952フェノロサ、岡倉天心と共に日本画壇を復興
省18
320: (ワッチョイ bf0c-FqoX) 2018/02/01(木)14:29 ID:HYIp01210(116/165) AAS
894アマチュアながら当時の技術を駆使した大版写真を御成
婚25年記念に皇室に託した。〃岡田紅陽山梨・岡田紅陽写真
美術館忍野赤富士1894文字通り富士山の写真家。富士山の
あらゆる表情エムゾネを写真に収め、広めた。木版画萩原英雄山梨
県立美術館三十六富士1926本県出身の日本を代表する木版
画家。新しい視点からの富士山シリーズ。富士山の文学歴史書
「六りっ国史こくし」(奈良−平安)菅野すがのの真ま道みち
ら「続日本しょくにほエムゾネん紀ぎ」(平安)藤原通憲ふじわら
のみちのり「本朝ほんちょう世紀せいき」(平安)伝皇こう円
えん「扶桑ふそう略記りゃっき」(平安)※作者未詳「吾妻鏡
省18
321: (ワッチョイ bf0c-FqoX) 2018/02/01(木)14:36 ID:HYIp01210(117/165) AAS
恵ぎエムゾネょうえ(室町)「北国紀行ほっこくきこう」※作者不
詳(室町)「富士御覧日記ふじごらんにっき」道興どうこう(
室町)「廻国かいこく雑記ざっき」宗牧そうぼく(室町)「東
国とうごく紀行きこう」紹巴じょうは(室町)「富士見ふじみ
道記みちのきエムゾネ」小堀遠州こぼりえんしゅう(江戸)「東海
道紀行とうかいどうきこう」浅井了意あさいりょうい(江戸)
「東海道名所記とうかいどうめいしょき」岩佐いわさ又
322: (ワッチョイ bf0c-FqoX) 2018/02/01(木)14:42 ID:HYIp01210(118/165) AAS
たべえ(江戸)「迴国道の記」松尾まつお芭蕉ばしょう(江戸
)「野ざらし紀行」香エムゾネ川景樹かがわかげき(江戸)「中空
の日記」古川古松こしょう軒けん(江戸)「東遊とうゆう雑記
ざっき」藤とう惺せい梅ばい(江戸)「東海紀行」日記文学菅
原孝標女すがわらのたかすえのむすめ(平安)「更級さらしな
日記」阿仏尼あぶつに(鎌倉)エムゾネ「十六夜日記いざよいにっ
き」「うたたね」後ご深ふか草院くさいんの二条にじょう(鎌
倉)「とはずがたり」賀茂真淵かものまぶち(江戸)「岡部日
記おかべにっき」永井ながい荷風かふう(江戸−昭和)「大窪
だより」伝説・物語※作者不詳「竹取たエムゾネけとり物語ものが
省18
323: (ワッチョイ bf0c-FqoX) 2018/02/01(木)14:49 ID:HYIp01210(119/165) AAS
」童謡巌谷いわや小波さざなみ(明治−大正)「富士山ふじさ
ん」(「ふじの山」)海野うんの厚あつし(明治−昭和)「背
せいくらべ」随想・随エムゾネ筆新井あらい白石はくせき(江戸)
「折おりたく柴しばの記」田山たやま花袋かたい(明治−昭和
)「富士を望む」小島烏水こじまうすい(明治−昭和)「すた
れ行く富士の古道」、「不二山ふじさん」永井ながい荷風かふ
う(明治−昭和)「日和ひよりエムゾネ下駄げた」太宰だざい治お
さむ(明治−昭和)「富嶽百景ふがくひゃっけい」大町桂月お
おまちけいげつ(明治−大正)「富士の大観」中村星湖なかむ
らせいこ(明治−昭和)「少年行しょうねんこう」北村きたむ
省18
324: (ワッチョイ bf0c-FqoX) 2018/02/01(木)15:01 ID:HYIp01210(120/165) AAS
かものまぶちエムゾネ(江戸)「賀茂翁家集」本居宣もとおりのり
長なが(江戸)「石いその上稿かみこう」「鈴屋すずのや集」
契沖けいちゅう(江戸)「詠富士山百首和歌」村田むらた春海
はるみ(江戸)琴後ことじり集」島木赤彦しまぎあかひこ(明
治−大正)土井どい晩エムゾネ翠ばんすい(明治−昭和)「大敵迫
る」斉藤さいとう茂吉もきち(明治−昭和)「赤光」「箱根路
」前田まえだ夕暮ゆうぐれ(明治−昭和)「富士を歌ふ
325: (ワッチョイ bf0c-FqoX) 2018/02/01(木)15:08 ID:HYIp01210(121/165) AAS
わかやま牧水ぼくすい(明治−昭和)「海の声」北原きたはら
白秋はくしゅう(明治−昭和)エムゾネ「雲母集」「不尽抄」金子
かねこ光晴みつはる(明治−昭和)「富士」「五つの湖」草野
心平くさのしんぺい(明治−昭和)「富士山」小野おの十とお
三郎ざぶろう(明治−平成)「重油富士」「風景詩抄」28俳
句松尾まつお芭蕉ばしょう(江戸)「奥エムゾネの細道」与謝蕪村
よさぶそん(江戸)小林こばやし一茶いっさ(江戸)蝶夢ちょ
うむ(江戸)「宇良うら富士紀行」正岡まさおか子規しき(明
治)高浜虚子たかはまきょし(明治−昭和)飯田いいだ蛇笏だ
こつ(明治−昭和)「山りょ集」富安風生とみやエムゾネすふうせ
省18
326: (ワッチョイ bf0c-FqoX) 2018/02/01(木)15:14 ID:HYIp01210(122/165) AAS
による宗教的登山の代表的存在となった。山体とその周辺の地
域には、体系化された儀礼・活動の場となった神社、登山道、
及びその沿道に分布する関連遺エムゾネ跡群、霊地・巡礼地となっ
た風穴・湧水地・湖沼などが残されている。そこでの儀礼や活
動を通じて、人々の生活の中に富士山に対する信仰の核心が継
承されている。また、今日でも富士山は日本を代表し象徴する
最高峰として老若男女を問わず憧れ親しエムゾネむ「名山」である
。したがって、富士山は山頂への参詣という形態を中心とし、
時代を超えて今日まで継承された山に対する固有の文化的伝統
を顕著に表わす物証として稀有な存在である。・日本における
省18
327: (ワッチョイ bf0c-FqoX) 2018/02/01(木)15:20 ID:HYIp01210(123/165) AAS
も命脈を保ち、特に夏季を中心に訪れる外国人を含む多くの登
山客とともに富士登山の特徴を成している。また、信仰の核心
部分は各地の浅間神社に対する信仰や今日も続く宗教的な儀礼
・活動によって受け継がれ、富エムゾネ士山は日本を代表する神聖
な山として知られている。(※1)この神は、1868年の神
仏分離令まで神仏習合の影響を受け仏の化身と考えられていた
。また、この神は一つの神に限定されず、信仰の種類や時代ご
とに異なる性格と名称を持ついくつかのエムゾネ神または仏が信仰
されていた。(※2)「禅定」とは本来は心を静めて一つの対
象に集中する宗教的瞑想・状態、あるいはその結果仏と一体化
省18
328: (ワッチョイ bf0c-FqoX) 2018/02/01(木)15:25 ID:HYIp01210(124/165) AAS
は近代工業社会以前のエムゾネ段階における山と人間との精神的関
係を表す景観の顕著な見本である。・山と人間との精神的な関
係を表す景観の顕著な見本富士山では噴火が沈静化した12世
紀ごろから山頂への宗教的登山が開始され、15〜16世紀に
は「富士山禅定」と呼ばれた登エムゾネ拝様式が整い、大衆にも拡
大した。この過程で富士山は、矮小な存在である人間が山麓の
草原地帯(「草山」、「カヤ原」などと呼ばれた)にあ
329: (ワッチョイ bf0c-FqoX) 2018/02/01(木)15:31 ID:HYIp01210(125/165) AAS
・水垢離場で身を清め、森林地帯(「木山」、「深山」などと
呼ばれた)の山中の宗教施設等を順に経エムゾネながら、砂礫地帯
(「焼山」、「ハゲ山」などと呼ばれた)の神仏の世界あるい
は他界に至るイメージで認知されるようになり、同時期に絵画
や文学作品において典型的な富士山像が成立したことを背景に
、「絹本著色冨士曼荼羅図」を代表例とする信仰エムゾネ上の景観
認識が成立した。17世紀以降はこれらの典型的な認識を基に
、さらに多様な信仰上の認識(※3)が模索され、「富士講」
と呼ばれる富士山信仰集団の隆盛や交流人口の拡大などにより
、18世紀後半から19世紀にかけてほとんどの日本人にエムゾネ
省18
330: (ワッチョイ bf0c-FqoX) 2018/02/01(木)15:37 ID:HYIp01210(126/165) AAS
まで継承されている山頂への遥拝と参詣を中心とした文化的伝
統は、アジア地域に顕著である山を神聖視する文化と深い関り
を有している。写真写真焼山(ハゲ山)エムゾネ木山(深山)草山
(カヤ原)32また、これらの富士山の特色は古くから様々な
芸術活動の母胎ともなり、「万葉集」や「竹取物語」をはじめ
とする日本固有の和歌、俳句、物語文学やこれらを主題とする
絵画などの対象として日本人に良く知られていたエムゾネ。特に富
士山を題材にした「浮世絵」などは海外にも広く知られ、近現
代の西洋芸術に様々な影響を与えてきた。したがって、富士山
は、顕著な普遍的意義を持つ生きた伝統、芸術的作品・文学的
省18
331: (ワッチョイ bf0c-FqoX) 2018/02/01(木)15:43 ID:HYIp01210(127/165) AAS
十六景」である。19世紀前半に作成されたこの一連の作品は
、日本の開国に伴い西洋に輸出され、他の浮世絵とともにその
構図や表現方法がジャポニスムと呼ばれた西洋における日本芸
術の流行を生み、モネ、ゴッホといったエムゾネ印象派の画家に大
きな影響を与え、アールヌーボーが発生する一因となった。そ
のほか、富士山と三保松原を舞台に富士山に関わる伝説をモチ
ーフとした能(謡曲)「羽衣」は文学におけるモダニズムに影
響を与えた作品である。また、19世紀後半からエムゾネ20世紀
初頭にかけて、日本が万国博覧会などで意図的に出品した富士
山を題材にした絵画・工芸作品や、富士山を意匠に用いた日本
省18
332: (ワッチョイ bf0c-FqoX) 2018/02/01(木)15:50 ID:HYIp01210(128/165) AAS
絵」などの日本独特の芸術文化エムゾネを育んだ「名山」である。
富士山は、山岳に対する信仰の在り方や芸術活動などを通じ、
時代を超えて一国の文化の諸相と極めて深い関連性を示し、生
きた文化的伝統の物証であるのみならず、人間と自然との良好
で継続的な関係を示す景観の傑出した類エムゾネ型として、世界的
にも類例を見ない顕著な普遍的価値を持つ山である。富士山の
山体とその周辺の地域には、宗教的な儀礼・活動の場と
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