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192: 底名無し沼さん [sage] 2018/06/30(土) 04:00:59 ID:fQcMv/55 的に遺物を含む土層上に構築されている。石塁下から祭祀に用いら れたと思われる土師器が出土しているため、それらが用いられた1 2世紀から15世紀、もしくは後の時代に築造されたものと推定さ れる。写真石塁の写真図石塁運営の平面図・断面図・玉垣遥拝所の 周囲にはコンクリート製の玉垣が設置されている。戦中もしくは戦 後に設けられたものと考えられる。また、遥拝所入口には鉄製の門 扉が取り付けられている。・遥拝所アフィを直接拝礼し、祭儀を行 うことを目的として運営築造されたと推定される施設である。南北 約15.2m、東西約7.6mの長方形で、30〜40?程度の溶 岩を用いて石列等によって組まれている。アフィを拝む方向に祭壇 が位置し、祭壇に向かって左側に祭儀を行う際の大宮司席、公文・ 案主席、献運営饌所が、向かって右側に別当・供僧席が設けられて いる。写真遥拝所の写真図遥拝所の平面図・石鳥居境内地の南端に 、石鳥居が建てられている。昭和6年(1931)に建立されたも のである。・参道石鳥居から籠屋まで参道が続いている。B3村山 浅運営間神社図以下に示す要素が点在している平面図・元村山溶岩 流村山浅間神社は、新富士旧期溶岩の元村山溶岩流末端部付近にあ たる。見付の間は平地で、両見付から先は急傾斜地となっている。 村山地区は標高が高く、他の集落と急傾斜地で隔絶された一運営段 高い場所に位置する。・水源地(竜頭ヶ池)社叢東側に「竜頭ヶ池 」と呼ばれる湧水池があり、水垢離や生活用水として利用されてき た。またこの湧水を水源とする村山沢は南流して渓谷を刻み神社西 側から大沢川となる。これらの水源は、村山の集落運営を成立させ た要因の一つである。・御神木(イチョウ、大スギ)[イチョウ] −54−昭和43年(1968)7月2日に県天然記念物に指定さ れた。目通り8m、根回り9.15m、樹高26m、枝張り東西1 9m南北14mで、樹勢よく乳状下垂気根運営の発達も著しい。気 根が数多く垂下する。気根の先端に針を刺して祈願すると妊産庫天 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1530285766/192
193: 底名無し沼さん [sage] 2018/06/30(土) 04:01:38 ID:fQcMv/55 乳の出がよくなると伝えられ、女性の信仰を集めていた。また以前 はウロの中に大日如来が祀られていたといわれ、現在でも祭祀でし め縄を張る。[大スギ]昭和31運営年5月24日に県天然記念物 に指定された。村山浅間神社の御神木と称される巨木である。境内 の多くのスギの中で最大のもので目通り9.9m、枝張り東西17 .5m、南北31m、樹高47mもある。中心部には高さ8mに及 ぶ空洞がある。案内板で運営は約1,000年の樹齢とされる致煎 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1530285766/193
194: 底名無し沼さん [sage] 2018/06/30(土) 04:02:18 ID:fQcMv/55 実際にはおよそ400〜600年と推定される。・社叢境内には胸 高直径0.7m以上のスギが39本ある。アカガシ3本、スダジイ 1本などの大樹も見られるが、裏山の大半は戦後植樹されたヒノキ やスギである。運営富士宮市の保存樹林に指定されている。・浅間 神社社殿村山浅間神社社殿は、神仏分離令によって境内社富士浅間 七社を相殿として造られ、中座に木花開耶姫命、左座に大山祗命、 彦火々出見命、瓊々杵命、右座に大日霊貴(天照大神)・伊弉諾尊 ・伊弉運営冉尊を祀っている。現在の社殿は大正2年(1913) に改築されたものだが、幣殿と拝殿は老朽化したため、その後さら に鉄筋コンクリート一部木造に建替えられている。写真社殿の写真 図社殿の図面・大日堂(興法寺)鎌倉時代の文保年間(1317エムソ ゙ネ〜1318)に、末代上人の流れをくむ頼尊が村山に興法寺を開 いたと伝えられている。その興法寺の建物として現存する唯一の堂 で、アフィの本尊である大日如来を主尊とする。現在の建物は、部 材の状況や絵様彫刻の特徴などから江戸時代末期の建造運営と考え られるが、外壁は波鉄板板張りに変えられている。桁行5間・梁間 7間、入母屋造、鉄板葺きで、南面に出入り口を開き、前面と両側 面に幅一間の回り縁を巡らしている。写真社殿の写真図社殿の図面 ・水垢離場山伏修行者及び修験者が、富士登拝運営の道者が垢離を とって身を浄めた場所で、間口約6.5m、奥行き約4mの長方形 で、深さ約0.6mに掘り込み、底に石を敷きつめ周囲は石積みと なっている。造成年代は不明。水垢離場へは社叢裏手の沢に湧く龍 頭池湧水を引き、上の段から樋で落と運営し垢離を取るようにして ある。水の落ち口には山伏修行のときの主尊とされる不動明王の石 像が安置されている。写真水垢離場の写真・護摩壇大日堂東側にあ り、正面には不動明王の石像が祀られている。護摩壇は、四囲を石 で囲んだ一辺5.3mの丸い運営石組となっている。丸い石組の前 に置かれた葛石には、「干時安政四年九月」と刻まれ、安政4牧凹 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1530285766/194
195: 底名無し沼さん [sage] 2018/06/30(土) 04:03:00 ID:fQcMv/55 1857)造立と考えられる。周囲の正方形の石組みと中央の丸い 石組みは石材に違いが見られ、造成時期が異なっているものと思わ れる。写真護摩壇の運営写真・氏神社(高嶺総鎮守社)−55−護 摩壇裏手の一段高くなったところに末代上人を祀る大棟梁権現社が あったとされる。しかし、神仏分離令により廃され、代わりに村山 浅間神社社殿と大日堂の間から裏山に登ったところに大棟梁権現社 を遷し「富運営士大神社(祭神大己貴命)」として祀られた。現在 は「高根総鎮守」と呼ばれ、元村山集落の氏神社となっている。「 明治十八年五月十七日奉再建冨士大神社」と記された棟札が残され ている。現在の社殿は、平成15年に再建された。・石鳥居村山浅 間運営神社へと登る石段の途中に、石鳥居が建てられている。昭和 28年(1953)に建立されたものである。・氏神社鳥居氏神社 (高嶺総鎮守社)へと登る参道の入口に、鳥居が建てられている。 平成15年の再建に合わせて建てられたものである。・手水運営舎 (手水鉢)村山浅間神社へと続く参道入口の左側に、手水舎が設置 されている。明治16年(1883)に設置されたものである。・ 石段(参道)段の入り口が、村山浅間神社へ続くものと、大日堂へ 続くものの2本が平行して造られている。・狛犬昭運営和5年に奉 納された狛犬2体が、参道脇に設置されている。B4須山浅間神社 図以下に示す要素が点在している平面図・社叢樹齢500年を超え るスギの巨木が22本あり、中には樹高37m、目通りの太さが7 mを超えるものも見られる。社叢全体が市運営指定天然記念物とし て保護されている。・社殿大禰宜・渡邊対馬守安吉の社伝旧記によ れば、天元4年(961)に駿河国司・平兼盛が社殿を修理したと の記録がある。その後の記録として社殿の存在が確認できるのは、 大永4年(1524)と記された運営修築時の棟札による。現在の 社殿は、文政6年(1823)に再建されたとされている。写真社 殿の写真図社殿の図面・神輿殿須山浅間神社の例大祭で使用さ春賊 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1530285766/195
196: 底名無し沼さん [sage] 2018/06/30(土) 04:03:38 ID:fQcMv/55 神輿を納めた神輿殿が、境内地西側に建てられている。・狛犬境内 には、社殿前と石段手前運営の参道脇に計二対の狛犬が設置されて いる。社殿前の一対は平成12年に、参道脇の一対は平成13年に 奉納されたものである。・灯籠参道の両脇に灯籠が建てられている 。登り口のものは平成13年に、階段を登ったところにあるものは 、それぞれ寛保運営2年(1742)、文政6年に奉納されたもの である。・手水舎石段に至る参道の脇と、社務所西側の2箇所に、 手水舎が建てられている。社務所そばには、文政7−56−年と刻 まれた水盤も置かれている。・参道鳥居から10mほどは石畳が敷 かれ、運営その後社殿の位置する高台へ登るためにコンクリート製 の階段が続いている。・鳥居参道入口には、朱塗りのコンクリート 製の鳥居が建てられている。昭和41年(1966)に奉納された ものである。・石碑鳥居の東側に、郷社として奉幣を受けていたエムソ ゙ネことを示す碑が建てられている。・古宮神社八坂大神、八幡大神 、愛鷹大神、子安大神、疱瘡守護神を祀る境内社である。覆屋の中 にあり、旧本殿と推測される建物である。B5冨士浅間神社図以下 に示す要素が点在している平面図・社叢(浅間の杜)社運営殿周囲 と、参道の南側に社叢が広がっている。特に参道南側の部分を浅間 の杜と呼び、静岡県や小山町の天然記念物である大樹が生育してい る。・ハルニレ昭和38年(1963)2月19日に静岡県の天然 記念物に指定された。根回り約6m、目通り4運営m、樹高24. 50m、枝張東西28.10m、南北23.50m、樹齢約500 年。北日本の山地に多い落葉高木で、静岡県では極めて少なく当社 以外の小山町内では数本しか見当たらないが、境内には10本が生 育している。・エゾヤマザクラ昭和5運営8年5月1日に小山町の 天然記念物に指定された。樹齢約130年で、根回り2.08m、 目通り1.75m、樹高約10m、枝張東西13.8m、南北9. 5m。別名をオオヤマザクラと称するヤマザクラの北方型で、各赤 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1530285766/196
197: 底名無し沼さん [sage] 2018/06/30(土) 04:04:20 ID:fQcMv/55 県が南限である。県内ではま運営れな樹種である。・根上がりモミ 平成3年5月1日に小山町の天然記念物に指定された。樹齢約30 0年で、根回り4.61m、目通り3.07m、樹高27m。この 根上り群は約150年生のモミの根本にブナ、イヌシデの種子が生 え、宝永噴火の火山運営灰土が、降雨により流亡しながらモミが成 長したため、根が爪を立てた状態で生育し、根上がりになったと考 えられる。縁結びの木とも呼ばれている。・社殿平成18年8喝敢 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1530285766/197
198: 底名無し沼さん [sage] 2018/06/30(土) 04:05:00 ID:fQcMv/55 4日に小山町の文化財(建造物)に指定された。宝永噴火により大 きな損害を運営受けたが、享保3年(1718)に再建された。そ の後蟻害や老朽化により改修したものの、部材は享保年間(171 6〜36)のものが今なお使用されている。社殿は本殿・幣殿・拝 殿が連結した権現造である。拝殿は入母屋造で千鳥破風を据え、本 殿運営は享保年間の遺構を残した流造りとなっている。−57−構 造は、拝殿が桁行5間・梁間2間の入母屋造で、向拝1間、正面千 鳥破風付。幣殿が桁行3間・梁間2間の両下造。本殿が三間社流造 、向拝1間、屋根は全て銅板葺きとなっている。写真社殿の運営写 真図社殿の図面・楼門二階建ての随神門で、上層の周囲に高欄付き の縁を巡らしている。北の櫛岩窓神、南の豊岩窓神が随神として配 神されている。宝永噴火により社殿とともに大破しており、現在の ものは明和4年(1767)随神が寄贈された当時運営に再建され たものと考えられる。楼門の構造は、三間一戸楼門、茅葺型入母屋 造、銅板葺き。軒廻りは二軒繁垂木に組物は出組で、腰組も二手先 としている。・参道大鳥居参道入口には、花崗岩の石鳥居が建てら れている。春日造で、額束には「不二山」運営と刻まれている。明 治33年(1900)に奉納された。・裏参道鳥居西側駐車場から 本殿へ至る裏参道の入口に石鳥居が建てられている。・富士塚狛犬 楼門前参道の両側に、富士塚が築かれ、その上に狛犬が置かれてい る。・富士講講碑群明治より昭和運営にかけて、各地の富士講より 寄進された記念碑が多く残されている。多くは、数多く富士登山が 成就されたことを感謝し、先達や講名を高く掲げ信仰の証としたも ので、境内地の西側部分裏参道周辺に、多くの碑塔が建てられてい る。写真富士講講碑群の運営写真図富士講講碑群の配置図B6河口 浅間神社図以下に示す要素が点在している平面図河口浅間神社は、 864〜866年に北麓で起こった噴火を契機に、北麓でも浅間神 社が建てられることになったが、その神社である可能性が高い目財 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1530285766/198
199: 底名無し沼さん [sage] 2018/06/30(土) 04:05:39 ID:fQcMv/55 在もアフィと密運営接に結びついた宗教行事を行っており、歴史的 背景と相俟って、アフィ信仰を語る上で欠かすことのできない資産 である。顕著な普遍的価値を構成する諸要素として、富士信仰の拠 点でもある本殿などの建造物群や境内地などがある。・社殿、鳥居 河口浅運営間神社創建は、平安時代の865年に遡る可能性がある 。建立目的はアフィの噴火を鎮めるためであり、当時のアフィ及び 噴火ということに対する当時の考え方を理解することができる。鳥 居は1697年に谷村藩主秋本喬知の再建。銅製の扁額に記されエムソ ゙ネた「三国第一山」の書は輪王寺宮公弁親王の筆とされる。写真社 殿の写真図社殿の図面B7冨士御室浅間神社図以下に示す要素が点 在している平面図−58−冨士御室浅間神社は、8世紀初めに吉田 口登山道二合目に祭場をしつらえたのが最初とされ、富運営士山中 に祀られた最初の神社であるとする文献もある。二合目本宮(もと みや)へは冬季の参拝に苦渋するため、958年、河口湖畔に現在 の里宮が建立されたという。現在は二合目にあった社殿も里宮の広 い境内に敷地内に移設されている。修行や登拝運営といった様々な 富士信仰の拠点として位置づけられる二合目の本宮と、土地の産土 神としての里宮が一体となって機能してきた。顕著な普遍的価値を 構成する諸要素としては、信仰拠点である二合目や本殿などがある 。・吉田口二合目吉田口登山道二合目運営に御室浅間名字(本宮) が鎮座した。御室浅間神社は木花開耶姫を祭神とし、創立年代は詳 らかでないが、社殿には和銅元年(708)に祭場をしつらえたの が最初とされる。冨士山中最初の社という。なお、平安末期には浅 間神の信仰に修験道が習合し運営て、アフィが霊験所の一として広 く知られていた。冨士修験の信仰拠点は南口の村山であるが、北口 の二合目、御室の地にも山内の信仰拠点として行者堂が設置されて いた。・本殿本殿は、1612年に当時の甲斐国都留郡領主であっ た鳥居土佐守成次に運営よって桃山時代建築様式の神社建物に渡八 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1530285766/199
200: 底名無し沼さん [sage] 2018/06/30(土) 04:06:19 ID:fQcMv/55 されたことが棟札から明らかにされている。大規模な入母屋造りの 一間社で棟の高さは9.3m、屋根は檜皮葺形の銅板葺である。蟇 股や軒唐破風妻などにも彫刻を飾るなど、桃山建築様式の特色が見 られる。内運営部の色彩も当初のものを良く残しており、建築年代 の確実なこの時期の遺構としては大変貴重な建造物である。写真本 殿の写真図本殿の図面B8御師住宅図御師住宅の位置図御師住宅は 、富士講徒の案内をし、宿泊の世話や祈祷を行った御師の住宅兼宿 坊運営である。御師屋敷の多くは短冊状をなし、表通りに面して引 き込み路を設け、敷地を流れる水路の奥に建物がある。顕著な普遍 的価値を構成する諸要素として、最古の部類に入る旧外川家住宅な どがある。・旧外川家主屋、離座敷、中門主屋は妻入り形式運営の 典型的な御師住宅であり、棟札から1768年に建設されたもので あることが判明している。また、主屋は「平面座敷型」をとってお り、近世になって御師住宅の様式が確立される以前の御師住宅とし て最古の部類の建築物である。離座敷は、富士講が運営盛んになる ととともに主屋だけでは収容人数に限りがあるなどの理由から主屋 の東側に増設されたとみられる。ただし、御神殿が上段・下段の続 きの手前に配置され、上吉田の一般的な御師住宅に比して独自の構 成を有している。写真主屋等の写真図旧外運営川家住宅現状平面図 等・小佐野家主屋、蔵主屋は一部二階、切妻造、妻入の居室及び座 敷部の前面北寄りに台所部を背面南寄りに神殿部を付設した形式に なる。居室及び座敷部は間口11.8m、奥行き15.5m、正面 南寄りに式台、背面北寄りに庇、運営北側面には下屋を設ける。蔵 は主屋台所の前方に建つ。土蔵造りであるが、東西に庇を付けた切 妻造、板張りの覆屋をかけてい−59−る。この住宅は、部分的な 改変や増設がみられるほか保存がよく、富士講御師の住宅としての 形態を、屋敷地も含めて運営そのまま残している。全国でも比較的 少ない社家の一遺例として重要である。写真主屋外観写真図小誉延 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1530285766/200
201: 底名無し沼さん [sage] 2018/06/30(土) 04:06:58 ID:fQcMv/55 家住宅現状平面図B9山中湖図以下に示す要素が点在している平面 図アフィ周辺の湖を巡って修行する内八海巡りが多くの富士講徒に よって行われた運営が、いつの時代も変わらず巡拝の対象として数 えられている。また、景勝の地でもあり、多くの芸術作品とゆかり が深い。顕著な普遍的価値を構成する諸要素として、自然地形(湖 水)などがある。写真山中湖の写真B10河口湖図以下に示す要素 が点在運営している平面図アフィ周辺の湖を巡って修行する内作誓 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1530285766/201
202: 底名無し沼さん [sage] 2018/06/30(土) 04:07:38 ID:fQcMv/55 巡りが多くの富士講徒によって行われたが、いつの時代も変わらず 巡拝の対象として数えられている。また、景勝の地でもあり、多く の芸術作品とゆかりが深い。顕著な普遍的価値を構成する諸要素エムソ ゙ネとして、自然地形(湖水)などがある。写真河口湖の写真B11 忍野八海図以下に示す要素が点在している平面図忍野八海は、富士 山の伏流水による八つの湧水地で、それぞれに八大竜王を祀る冨士 信仰に関わる巡拝地(霊場)であった。顕著な普遍的価運営値を構 成する諸要素として、自然地形(湧水)がある。B12船津胎内樹 型図以下に示す要素が点在している平面図船津胎内樹型は、167 3年に富士講の指導者である村上光清により発見され、富士講の開 祖である長谷川角行が洞穴に祀った浅間明神が運営遷宮された溶岩 樹型である。顕著な普遍的価値を構成する諸要素には、宗教的な意 義付けがされている地形空間(溶岩樹型)などがある。・胎内樹型 船津胎内樹型は、承平噴火(937)で流出した剣丸尾第1溶岩流 の西縁に所在する。本穴自体も大小様運営々な樹型が複雑に交叉し て形作られている。本穴の側面では垂れ下がった溶岩が肋骨のよう に見え、そのうえ溶岩は鉄分のため赤色を帯び、あたかも内臓を摘 出したあとの胸控の如く見える。胎内の名称はこれに基づくもので あり、極めて貴重な形態と言運営える。・無戸室浅間神社・石造物 群1673年、富士講道者村上光清により現船津胎内樹型が発見さ れ、開祖が祀った焼入の地の浅間明神が遷宮された。浅間明神誕生 の地ともいわれ、無戸室(むつむろ)に火を放ち、無事に御子を出 産したという故事に運営倣い社号を無戸室浅間神社と名付けた。− 60−B13吉田胎内樹型図以下に示す要素が点在している平面図 吉田胎内樹型は、1892年に富士道者によって整備された「お胎 内」(溶岩樹型)である。顕著な普遍的価値を構成する諸要素には 、宗教的な運営意義付けがされている地形空間(溶岩樹型)などが ある。・胎内樹型吉田胎内樹型は、承平噴火(937)で流出称胸 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1530285766/202
203: 底名無し沼さん [sage] 2018/06/30(土) 04:08:17 ID:fQcMv/55 剣丸尾第1溶岩流の東縁に所在する。本穴の側面では垂れ下がった 溶岩が肋骨のように見え、母の胎内に似ているため、浅間大菩薩( 木運営花開耶姫)出世の御胎内として信仰の対象となった。・洞内 の石祠、石造物群吉田胎内の本穴の奥には、石祠があって富士講に とってのアフィの祭神である木花開耶姫が祀られている。樹型内に 入ると横穴の正面には、食行身禄を祀る石祠がある。B14運営人 穴富士講遺跡(人穴浅間神社)図以下に示す要素が点在している平 面図・犬涼み溶岩流人穴付近は、新富士火山旧期溶岩(約11,0 00年前から約5,000年前)に属する犬涼み溶岩流の末端部近 くに位置している。犬涼み溶岩流は、標高1,20運営6mの犬涼 み山から噴出し、西方に約5?、標高差にして約700mの扇状地 をつくる溶岩流である。写真溶岩流の写真図溶岩流の詳細図・溶岩 洞穴人穴溶岩洞穴は、天正年間に富士講の開祖、長谷川角行が千日 の行を行ったとされる洞穴である。犬涼み運営溶岩流の中に存在す る19箇所の溶岩洞穴のうち、西端部の最も低い位置にあり、溶岩 が流れ下るとき溶岩表面が冷やされて固化した後、内部の溶けた溶 岩が抜けて空洞ができたものである。洞穴の南西の端が進入口とな り、洞穴中央部でくの字型に曲が運営っている。入口から約30m の屈曲部手前中央には、直径約5mの溶岩柱がある。全体として幅 広く、奥に入ると広々として平坦な空間となっている。最奥部まで は約80mで、そのまま閉塞していると考えられる。写真溶岩洞穴 の写真図洞穴の図面・社運営叢(周辺の植生)人穴集落では主に製 炭と農業を中心とした生活が営まれたため、薪炭材のコナラ・クヌ ギ等を中心に育林していた。しかし、昭和30年代に薪炭の消費が 減少し、境内地とその周辺は建材としてのヒノキ・スギに改植され た。御神木に相運営当する大樹等は存在しない。・碑塔群人穴浅間 神社の境内地には、富士講信者が建立した232基の碑塔が存在す る。そのうち碑塔に建立年が刻まれたもの89基についてみる富列 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1530285766/203
204: 底名無し沼さん [sage] 2018/06/30(土) 04:08:57 ID:fQcMv/55 一番古い碑塔は寛文4年(1664)建立のものである。建立目的 によっ運営て大きく分類すると、個人の戒名や行名を記した墓碑・ 供養碑である「墓碑供養碑」、修行による大願成就を祈願する「祈 願奉納碑」、個人の富士登拝や講の人穴参拝を記念する「顕彰記念 碑」の3種とそれ以外に整理される。「墓碑供養碑」が最も多いエムソ ゙ネ。−61−写真碑塔群の写真図碑塔群の配置図・参道洞穴入口や 浅間神社社殿のある平場へ至る参道が、境内地内を南から北へ伸び ている。現在はコンクリートで覆われている。・建物跡大小2つの 建物跡が人穴洞穴直上の平場で検出されている。西側に運営規模の 大きな1棟と、その東側にやや小規模の1棟があり、大規模なもの の方がより古い遺構とみられる。また建物跡の周辺には石積みが施 されている。・参道跡建物跡へ向かう参道跡が、建物跡南側の平場 から斜面を下り、井戸跡の所在する平地まで約運営34m続いてい る。溶岩角礫や露出している溶岩を利用して21段の石段が構築さ れている。・道跡2本の道跡と思われる石列が参道跡の上り口、石 垣の西側に位置する。建物跡と洞穴や碑塔群などを結ぶ機能を有し ていたと考えられる。・炭焼窯跡指定運営地の北側を通る林道に沿 って、5箇所の炭焼窯跡が検出されている。昭和初期まで使用され ていたものであるが、富士講に関わる遺構は検出されていない。・ 井戸跡参道跡の南側に位置する。内部が溶岩角礫や土砂によって埋 没し、涸れ井戸となっている運営。B15白糸ノ滝図以下に示す要 素が点在している平面図・古富士泥流堆積物山体が崩壊した際に崩 れた土砂が堆積した地層であり、古富士火山の一部を形成するもの である。この地層は、塊状礫岩と平行層理を持つ砂岩が不規則に互 層しているものであ運営る。写真写真・白糸溶岩流新富士火山の土 台となっている溶岩流のひとつであり、白糸ノ滝付近0.3平方キ ロメートル程度にある。白糸溶岩流は4枚の溶岩流層からなると考 えられており、白糸ノ滝では2枚の溶岩流層が確認できる。溶媛肘 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1530285766/204
205: 底名無し沼さん [sage] 2018/06/30(土) 04:09:37 ID:fQcMv/55 層の境目に運営はマグマの急冷時に形成された粉砕部(クリンカー )が発達している。また、溶岩流内部には、マグマが冷え固まった 際の収縮により形成された縦方向の割れ目(柱状節理)が存在する 。白糸ノ滝は、地質の特徴上、次のようなメカニズムで崩落を繰り 返運営していると考えられている。白糸の滝は、最近10年間の平 均で日量約15.6万トンの湧水量が見積もられており、この多量 の水の落下は、白糸溶岩流に比して軟弱な古富士泥流堆積物を喝堪 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1530285766/205
206: 底名無し沼さん [sage] 2018/06/30(土) 04:10:19 ID:fQcMv/55 に浸食する。やがて、下部が抉り取られることで上部の溶岩運営流 はオーバーハング状態となり、自重に耐えられなくなった時点で自 然崩落する。この作用が繰り返され、崖線が後退し続けていると考 えられる。また、白糸溶岩流内の柱状節理は浸食に弱く、滝の後退 を早める一因と指摘されている。白糸ノ滝は、1年運営に約2セン チメートルの割合で北側に後退しているという計算もある。音止の 滝も、白糸ノ滝と同様の地質であり、同様のメカニズムで崩落−6 2−を繰り返していると考えられている。写真溶岩流の写真図溶岩 流の拡散図・白糸ノ滝白糸の滝は、高さ約運営20メートル、長さ 約120メートルに渡り馬蹄状に広がる崖面の各所から湧出した水 が、数多の白い糸を垂らしたように流れ落ち、滝となったものであ る。白糸ノ滝周辺の地質は、下部に不透水層である古富士泥流堆積 物があり、上部に透水性のある白運営糸溶岩流があると考えられて いる。アフィ麓に降った雨水は、上部の溶岩流を透過し、下部の不 透水層との境目を流れ下っていると考えられている。白糸の滝は、 両層が崖面として露出しており、両層の境目や上部の溶岩流の間か ら水が湧出している様子運営が確認できる。写真滝の写真(音止の 滝も同時に掲載)・音止の滝音止の滝は、「音無の滝」とも呼ばれ 、白糸の滝と台地を隔てた東側に位置する。主瀑は落差約25メー トルを流れ落ちる芝川の本流であり、轟音を轟かせている。崖面で は、白糸の滝同運営様の地層が観察され、湧水が見られるが、白糸 の滝に比して水量は少ない。・鬢撫水鬢撫水は、「お鬢水」とも呼 ばれ、白糸の滝の崖上にある。鬢撫水は、湧水が池となったもので あり、その水は白糸の滝の一部として流れ落ちている。また、ここ には「運営駒繋石」、「弁当(行厨)石」、「杓子石」等の名前の ついた石があったとされるが、現在は不詳である。・植物白糸の滝 の両岸の崖上には樹木が生い茂っている。また指定地内には、メヤ ブソテツ、ユリワサビ等特色ある植物相がある。・富士講「白糸エ味棄 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1530285766/206
207: 底名無し沼さん [sage] 2018/06/30(土) 04:11:03 ID:fQcMv/55 ゙ネノ滝」には、江戸時代中期以降江戸で隆盛した富士講の祖長谷川 角行にまつわる伝承がある。角行は白糸の滝で垢離をとり修行を行 ったとされ、富士講の信者の中には白糸の滝を訪れる者や、白糸の 滝で修行を行う者がいたことが知られている。幕末の資運営料には 、白糸の滝で垢離をとり修行を行った富士講の信者の記録がある。 指定地内には富士講の信者が建てた石碑があり、「仙元大神」と記 されたもの(市道沿い)や、「食行身禄」と記されたもの(白糸の 滝滝つぼ右岸)等がある。・白糸の滝の勝景白運営糸の滝の、数多 の白い糸を垂らしたように落ちる優美な勝景がある。写真景勝の写 真・音止の勝景音止の滝の、轟音をたてて落ちる雄大な勝景がある 。写真景勝の写真・アフィの展望指定地では、白糸の滝と音止の滝 の勝景とともに、見事なアフィが望ま運営れる。写真展望の写真・ 富士の巻狩の伝承「白糸ノ滝」には、建久4年(1193)に源頼 朝が行ったいわゆる富士の巻狩にまつわる伝承がある。音止の滝の 名前は、富士の巻狩に関係する曽我兄弟の仇討ち伝承に由来するも ので、兄弟が仇討ちの相−6運営3−談をしている間は水音を止め たことから名づけられたという。また、鬢撫水には、富士の巻狩の 折に源頼朝がここで鬢のほつれを直したという伝承がある。・歌碑 「白糸ノ滝」の勝景は古くから詩歌に詠まれてきており、白糸の滝 滝つぼ右岸には白糸運営の滝の勝景を詠んだ歌碑がある。・標識名 勝及び天然記念物であることを明示する標識がある。?眺望C三保 松原図以下に示す要素が点在している平面図三保松原は、静岡市清 水区南東部に位置する三保半島にあり、半島の東岸真崎から海岸線 に沿い、南運営北に約4キロメートルに及ぶ松林と内陸部に散在す る松林が主体をなしている。真崎から海岸線に沿う松林は、国有地 又は市有地が大半を占めているが、内陸部の松林と松林の景観を維 持している背後地については、ほとんどが民有地となっている。松 林運営には、300年を経た老木から幼令木が約54,000疑墾 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1530285766/207
208: 底名無し沼さん [sage] 2018/06/30(土) 04:11:44 ID:fQcMv/55 幅広く分布している。図三保松原の地区区分図表地区区分詳細表地 区境界?特別規制A地区真崎灯台の内海側の第2種規制地区との境 界は、隣接する特別規制B地区と第2種規制地区との境界(運営松 が途切れる所)の延長線上とする。?特別規制B地区特別規制A地 区との境界は防潮堤外側とし、その他の規制地区との境界は、羽衣 参道は道路外側、それ以外は平成元年4月1日現在において松原を 形成している地区、ただし、真崎先端の境界は真崎運営灯台と建設 省財産、運輸省財産及び民地側の境界を結んだ線とする。?第1種 規制地区真崎付近の第2種規制地区及び第3種規制地区との境界は 、都市計画道路の中心線とし、字広道の第2種規制地区との境界、 字羽衣脇の三保第一小学校を中心とする第運営2種規制地区との境 界及び大字折戸地区における第2種規制地区との境界は、隣接する 道路の中心を境界とする。ただし、羽衣参道西側の第2種規制地区 との境界は、羽衣参道中心より25mの位置とする。?第2種規制 地区真崎付近第3種規制地区との運営境界は、市道本村海岸58号 線の中心の延長を境界とする。その他の地区との境界は、???を 参照。?第3種規制地区各地区との境界は???を参照。(2)顕 著な普遍的価値を構成する諸要素と密接に関わる諸要素?自然地形 構成資産の土地には、山運営並み、湧水やアフィ及び側火山の噴火 等の火山活動によって形成された溶岩樹型などの自然地形が見られ 、構成資産を成立させる重要な要素となって存在しているものもあ る。アアフィ山体及び登山道Aアフィ−64−・テフラ噴火の際、 山頂火口から粘運営性の小さい玄武岩質のテフラと溶岩を繰り返し 多量に噴出したため、山頂付近はテフラに覆われている。・大沢崩 れ「八百八沢」と呼ばれる多くの浸食谷の中で最も大きなもので、 アフィ西斜面の山梨県との県境に位置する。山頂直下から標高2, 200運営m付近まで延長2.1?、最大幅約500m、最大深さ 約150mに渡る。崩壊は現在も進行中で年平均約15万〜の行今 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1530285766/208
209: 底名無し沼さん [sage] 2018/06/30(土) 04:12:21 ID:fQcMv/55 ・土砂を流出し、大沢川流域に扇状地を形成している。写真大沢崩 れの写真図大沢崩れの図面A1山頂信仰遺跡なしA2大宮・村山エムソ ゙ネ口登山道・日沢(浸食谷)日沢はアフィの浸食谷の1つで、村山 口登山道跡とほぼ並行に山腹を南下していく。村山口登山道跡とは 、中宮八幡堂跡の東側(標高1,280m付近)及び、6号建物跡 と7号建物跡の間(標高2,015m付近)で交差する運営。2, 015m付近には、日沢の上に巨石があり、自然の橋のような殖猟 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1530285766/209
210: 底名無し沼さん [sage] 2018/06/30(土) 04:13:02 ID:fQcMv/55 になっており、横渡と呼ばれる。登山道はここで日沢の左岸から右 岸に渡る。写真日沢の写真A3須山口登山道起伏に富んだ自然地形 をなし、粘性の小さい玄武岩質のテフラと溶岩運営を繰り返し多量 に噴出したため、テフラに覆われている。A4須走口登山道起伏に 富んだ自然地形をなし、粘性の小さい玄武岩質のテフラと溶岩を繰 り返し多量に噴出したため、テフラに覆われている。A5吉田口登 山道二合目から三合目にかけて見られ運営る古富士火山からの泥流 堆積物、二合目付近で見られる玄武岩溶岩の滑床及び縄状溶岩など 様々な地質・地形が火山活動により形成されている。A6北口本宮 冨士浅間神社A7西湖A8精進湖A9本栖湖地質学的にみると湖の 北側、西側、南側は御坂基盤運営層により構成されているが、東側 新富士火山の旧期の溶岩、さらにそれらを覆う形で青木ヶ原溶岩が 分布している。この溶岩流については水中に流入して形成された水 底溶岩の可能性も指摘されている。(久野久(1968)水中自破 砕溶岩)また本栖湖運営畔のボーリング調査において43mより上 位は新富士火山の特徴が示され、それより深いところは古富士火山 の特徴を示している。その時期は概ね30,000年前以降の溶岩 主体のアフィ起源の火山活動が確認−65−されている。イ信仰B 1アフィ本運営宮浅間大社・鏡池楼門前の池で一名眼鏡池とも言わ れる。参道を挟んで両側に丸く池が広がっている。寛文10年(1 670)の絵図では、ここから流れる水が御手洗川に流れ込んでい る。写真鏡池の写真B2山宮浅間神社構成資産の土地には丘陵や河 川運営などの自然地形が見られ、構成資産を成立させる重要な要素 となって存在しているものがある。B3村山浅間神社構成資産の土 地には丘陵や河川などの自然地形が見られ、構成資産を成立させる 重要な要素となって存在しているものがある。B4須山浅間運営神 社構成資産の土地には丘陵や河川などの自然地形が見られ、構成資 産を成立させる重要な要素となって存在しているものがある。知囚 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1530285766/210
211: 底名無し沼さん [sage] 2018/06/30(土) 04:13:40 ID:fQcMv/55 須走浅間神社・信しげの滝(清めの滝)境内地の池で汲み上げた水 が、石鳥居南側の「信しげの滝」まで流れている。運営B6河口浅 間神社B7冨士御室浅間神社B8御師住宅中門をくぐると川(水路 )が流れており、かつては当家に宿泊する富士講の禊ぎの場となっ ていた。B9山中湖B10河口湖B11忍野八海B12船津胎内樹 型・構成岩石質、地質学的形状(平面的、運営立体的)等B13吉 田胎内樹型溶岩流の流出時の表面の状態がほぼ保たれている。地域 を覆う玄武岩溶岩流をはじめ、スコリアなどの火山活動に伴う噴出 物が顕著に見られる。B14人穴富士講遺跡(人穴浅間神社)−6 6−構成資産の土地には丘陵や河運営川などの自然地形が見られ、 構成資産を成立させる重要な要素となって存在しているものがある 。B15白糸の滝構成資産の土地には丘陵や河川などの自然地形が 見られ、構成資産を成立させる重要な要素となって存在しているも のがある。ウ眺望C三保運営松原なし?森林、植栽樹木構成資産の 土地には、アフィの景観を構成している天然林、アフィ原始林及び 青木ヶ原樹海、人工林などからなる森林が存在しているほか、社叢 林・境内林などが存在している。アアフィ山体及び登山道Aアフィ 標高3,300運営m付近より上方の地域にコケ類・地衣類が生育 している。A1山頂信仰遺跡なしA2大宮・村山口登山道・草山部 分の植物村山浅間神社から中宮八幡堂跡の下までにあたり、植物の 垂直分布では、丘陵帯から山地帯にあたる。戦後、スギ・ヒノキ・ モミな運営どの植林が行われ、道沿いはほとんどが人工林であるが 、天照教社からアフィ麓山の村を経て中宮八幡堂跡に至る道沿いに は、ブナ・ミズナラ・カエデなどの落葉広葉樹の自然林が残ってい る。林の下にはササ(スズタケ)が視界を遮るほど生い茂っていエムソ ゙ネる。・木山部分の植物中宮八幡堂跡付近から新5合目の森林限界 (2,400m付近)までにあたり、植物の垂直分布では、山地帯 から亜高山帯にあたる。高所に上がるにつれてブナ・カエデな糧硝 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1530285766/211
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