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147: 底名無し沼さん [sage] 2018/06/30(土) 03:28:44 ID:fQcMv/55 八幡堂の存在や登山道の様子が確認できる。明治維新以降、女人登 山の解禁もあり、登山者は増加傾向を示すが、1889年、東海道 線の開運営通による御殿場口利用者の増加により衰退し、これへの 対策として1906年、村山を経由せず4km短縮された大宮新道 (カケスバタ口)が建設されたため、大宮から現六合目までの村山 口登山道は登山道としての機能を失い、その歴史を閉じた。現在エムソ ゙ネは、林道の建設に雨水による侵食も加わり、一部を除き登山道跡 の推定は困難な状態であり、道標、地蔵・不動明王像、建物跡など をある程度たどることができるのみである。写真大宮・村山口登山 道の写真A3須山口登山道アフィ南東麓、須山浅間神社運営を起点 とし、山頂部浅間嶽(駒ケ嶽)に至る登山道である。その起源は明 確ではないが、1200年の資料には大宮・村山口、吉田口、須山 (珠山)口以外には登山道がないことが述べられている。1486 年の京都の僧による資料(廻国雑記)では、「運営すはま口」の名 が確認できる。登山道および山頂部銀明水は須山浅間神社及び12 軒の御師を中心とした須山村により管理されていた。ただし、銀明 水の管理を巡り、須走村と争いになった際は浅間大社の裁定を仰い でいる。登山道には宝永噴火前の状況運営を描いた絵図で須山御胎 内に附属する御胎内神社等の宗教施設と山室がみられる。これらの 施設及び登山道はその中腹より噴火した宝永噴火により壊滅し、御 縁年の1740年に復興したが永続せず、1780年にようやく復 興した。また、1880年代運営の記録では御室浅間神社、中宮浅 間社、御胎内等の宗教施設と4箇所の石室があることが確認できる 。中宮浅間社や水呑浅間は村山修験の富士峯修行の行場としても使 用された。登拝者については詳しい研究が進んでいないが、西日本 ・東日本両方からの運営登山者があったことが、宿帳及び案内立札 の立地から確認できる。登拝者数は御縁年に当たる1800年に約 5,400人、1840年代前半は年平均約1,700人、続添副 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1530285766/147
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