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【柄谷】トラクリその可能性の中心【行人】 (958レス)
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957: ロ [カルルール審議中[] 2005/04/12(火) 22:51:33 カスタマーレビュー・ピックアップ あなたのレビューがサイトに載ります。 7 人中、4人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。 アントランスでアイロニカルなクリティーク, 2004/11/13 レビュアー: カスタマー 東京都中野区 柄谷行人は、初期の著作では宇野弘蔵にならって、価値形態論にマルクスの「可能性の中心」を見いだし、 商品に対する貨幣の地位すなわち買い手の優位を強調していた。 それは商品の価値形態をソシュール的なシニフィアンとシニフィエの非対称的な関係性として解読することで 可能となった画期的論点であった。ところが本書では、 この貨幣の地位がカント的な定言命法に置き換えられ、 自らに自由であれと命ずる超越論的主体の地位にすり替えられている。 しかも柄谷は生産過程を捨象した価値形態=流通過程を変革の軸に据えるといいながら、 なぜか言い古された「個人的所有の再建」に基づくアソシエーションという生産=消費過程に 変革のテーマがシフトしてしまう。それは、アントランスでアイロニカルなクリティークである。 こうした本書におけるソシュール的関係主義とカント的超越論の矛盾や、流通形態論批判とアソシエーション的展望の不整合性については、 たとえば青木孝平『コミュニタリアニズムへ』などが、 マルクスと宇野の価値形態論の詳細な検討に基づいて徹底的な批判を加えている。 本書は批評空間社版の『トランスクリティーク』を、その英語版をもとに全面的に改訂したものであるといわれる。 そうであるならば、こうした厳しい批判にも真摯に耳を傾け、謙虚に補訂を加えるべきでなかったか。 いわゆるNAMの実践的失敗は、その運動論以前に、本書の理論的スタンスに混乱と曖昧さに真の破綻の原因があったように思われる。 http://mint.5ch.net/test/read.cgi/philo/1070451932/957
カスタマーレビューピックアップ あなたのレビューがサイトに載ります 人中人の方がこのレビューが参考になったと投票しています アントランスでアイロニカルなクリティーク レビュアー カスタマー 東京都中野区 柄谷行人は初期の著作では宇野弘蔵にならって価値形態論にマルクスの可能性の中心を見いだし 商品に対する貨幣の地位すなわち買い手の優位を強調していた それは商品の価値形態をソシュール的なシニフィアンとシニフィエの非対称的な関係性として解読することで 可能となった画期的論点であったところが本書では この貨幣の地位がカント的な定言命法に置き換えられ 自らに自由であれと命ずる超越論的主体の地位にすり替えられている しかも柄谷は生産過程を捨象した価値形態流通過程を変革の軸に据えるといいながら なぜか言い古された個人的所有の再建に基づくアソシエーションという生産消費過程に 変革のテーマがシフトしてしまうそれはアントランスでアイロニカルなクリティークである こうした本書におけるソシュール的関係主義とカント的超越論の矛盾や流通形態論批判とアソシエーション的展望の不整合性については たとえば青木孝平コミュニタリアニズムへなどが マルクスと宇野の価値形態論の詳細な検討に基づいて徹底的な批判を加えている 本書は批評空間社版のトランスクリティークをその英語版をもとに全面的に改訂したものであるといわれる そうであるならばこうした厳しい批判にも真に耳を傾け謙虚に補訂を加えるべきでなかったか いわゆるの実践的失敗はその運動論以前に本書の理論的スタンスに混乱と昧さに真の破綻の原因があったように思われる
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