[過去ログ] 正体は同和民だった (105レス)
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70: 2014/04/01(火)08:59 0 AAS
なぬ!
71: アイヌの賢者 ダニエル・カールズ 2014/04/01(火)14:03 0 AAS
>>67
ロードス島戦記を激見ですか?
72
(1): 清見 2014/04/01(火)14:55 0 AAS
劇見です
73: アイヌの賢者 ダニエル・カールズ 2014/04/01(火)19:17 0 AAS
>>72
アイヌみたいな同和の人?手帳見せてよ。
74: アイヌの賢者 ダニエル・カールズ 2014/05/03(土)18:41 0 AAS
また、未熟さが俺の心をかき乱す
同和になれないなんて遅れてる 遅れてる 遅れてる
75: 2014/11/26(水)01:20 O携 AAS
クリばかり攻める。
76: 2014/12/26(金)06:54 0 AAS
■■■
通名の方々:

テレビ局・新聞社・ラジオ局・出版社・
芸能人・テレビに出てる人・本を出している人・雑誌の表紙・芸術家・
スポーツ選手・アダルトビデオ・性風俗・ヤクザ・暴力団・部落(同和)・
教員・大学教授・ノーベル賞受賞者・医師・弁護士、検察官、裁判官・政治家・公務員・
経団連・経済同友会・公益法人・旧軍人・巣鴨プリズン・明治政府〜・
塾・予備校・専門学校・ 自動車教習所・ 商店街・飲食店・寺・2ちゃんねる・

■■■
77: 2014/12/27(土)14:59 0 AAS
和民
78: 2015/02/27(金)01:02 0 AAS
和民はブラック
79: 2015/04/13(月)21:38 0 AAS
はよう飛び降りようぜ
80: 2015/04/13(月)22:59 0 AAS
アイヌ!部落!琉球!糖質!タックル!
81: 2015/05/23(土)18:10 0 AAS
アイヌ人って生で見たことないかも
82
(1): [age] 2015/05/24(日)01:36 0 AAS
どうしたら穢多になれますか?
83: 2015/05/24(日)01:46 0 AAS
階統秩序へ組み込んだ解釈
穢多差別は平安時代までには始まったとされ、江戸時代に確立され、呼称は明治時代に廃止された。
現代的には「士農工商に分類されない最下層の身分を意味する蔑称」という理解が主流であるが、
すでに鎌倉時代までには奈良と京都に「穢多」差別があったことが明らかになっており、室町時代には、「卑しい者とは結婚しない。血は一度汚れるときれいにはならない。
穢多の子はいつまでも穢多である」という差別意識まで記した史料が存在すると上杉聰は主張している。
江戸時代における身分について京都大学名誉教授朝尾直弘によれば「士と農工商の間に大きな身分的格差があるのであって、農工商の三つについてはほぼ同列だと考えられている。
これを平民あるいは平人として一括する意見もある[1]。その下にいわゆる「穢多・非人」と呼ばれた階層があった。
大きな線、区別は士と農工商、農工商とその下の「穢多・非人」との間にあった、ということが明らかになってきている。」という。
階統秩序に組み込まない解釈[編集]
なお「上から順に士農工商穢多非人」などと理解されてきたが、これを幕府が政治的につくりあげたとする根拠はないとする説がある。
省6
84: 2015/05/24(日)01:52 0 AAS
穢多と非人は何が違うの?
85: 2015/05/24(日)02:08 0 AAS
士・農工商の4身分の下に、穢多・非人を主要部分とする賤民(せんみん)身分があった。
穢多は斃牛馬(へいぎゅうば)処理、皮革の加工、農業や雑業的手工業などを行い、非人は主として乞食(こじき)をしたが、
加賀藩のように、非人の物乞いを禁じ、彼らに雑業的手工業や日雇労働に従事させ、新田開発を奨励した藩もあった。
また、江戸周辺では、斃牛馬処理権をもつ穢多のもとで、実際の仕事は主として非人がやらされた所もあった。
多くの地方では、穢多は、賦役として、警察・刑場関係の下役人足に従事させられ、百姓一揆(いっき)などに際しては、弾圧の手先に使われることもあった。
しかし江戸では、刑場の、とくにむごい下役には非人が従事させられた。
また、加賀藩では、同藩の賤民の中核的存在であった藤内(とうない)が警察関係の下役人足に従事、穢多はまったくこれを行わなかった。
非人のなかには「足洗い」といって平民に戻れる者もあったが、穢多はそれが認められなかった。穢多・非人その他の賤民は一般庶民との交際を禁じられるなど、厳しい差別を受けた。
彼らに対する上位身分の人々による蔑視(べっし)と迫害は、彼らがむごい賦役に従事させられることによって助長された。
86: 2015/05/24(日)02:17 0 AAS
穢多・非人のさらに下(?)には「サンカ」
と呼ばれた非定住者がいたんですよね?
87: 2015/05/24(日)02:25 0 AAS
名称
不特定の人びとの総称として用いられることが多く、様々な漢字が存在する。
「山窩」、「山家」、「三家」、「散家」、「傘下」、「燦下」(住む家屋を持たず傘や空を屋根とする屋外に住む存在という意味)などと表記される。
「ポン」、「カメツリ」、「ミナオシ(箕直)」、「ミツクリ(箕作)」、「テンバ(転場)」など、地方によって呼ばれ方も違う。
(それぞれの呼称は、「ホイト(陪堂)」、「カンジン(勧進)」など、特定の芸能を指す言葉と併用されることも多い。)
サンカの実態調査を試みた立場による呼び名の違いもある。

行政系的なカテゴリー
住居を定めない浮浪漂泊者、野非人の群れの1つに「サンカ」、「山カ」、「さんか」等と記述されていた。
警察系的なカテゴリー
例外なく「山窩」とされている。独自な犯行手口を用いる犯罪専科の単位集団として規定されていた。
省10
88: 2015/05/24(日)02:34 0 AAS
サンカと呼ばれた人たちは、犯罪に手を染める者も実際多かったんですか?
89: 2015/05/24(日)02:50 0 AAS
江戸時代末期から大正期の用法から見て、本来は官憲用語としての色合いが強い。その初期から犯罪者予備軍、監視および指導の対象者を指す言葉として用いられたことが、三角寛の小説における山窩像の背景となっている。
また、サンカを学問の対象として捉えた最初の存在と言ってもよい柳田國男やその同時代の研究者らも、その知識の多くを官憲の情報に頼っている。
官憲の刑事政策によって幕末から発生した、流民の虞犯者に対して「川魚漁をし、竹細工もする、漂泊民」の呼称であるサンカが(「山窩」という当て字で)使われた。
それがマス・メディアに載って流通し、一人歩きした果てに、日本の中で異なる習俗をもった異なる種族の如き意味を孕むに至ったという。
官憲からの情報で「山窩らしき」者を調査した民俗学者の柳田國男は、鷹野弥三郎のサンカ=犯罪者論を鋭く批判し、彼等の窃盗は「財貨に対する観念の相違に基づく」ものであるとして一応擁護の立場に立っている。
第二次大戦後には山間の非定住者への偏見を是正しようという試みが文学の世界を中心に多く見られるようになるが、そのころには山間や里部の不定住者の実態がほぼ消失しているであろうという考えが強かったため、
実際にサンカと呼ばれた人びとからの直接的な取材はあまりおこなわれず、その試み自体が事実を正しく反映していないと思われるケースも多い。
近年では単純な貧困層(山間や里部でさまざまな隙間産業的な生業に就いていた者)と犯罪者あるいは犯罪者予備軍の隠れ家としての性格のあった生活形態を持っていた者を切り離して考えようという見方が一般的になりつつあるが、
全国的にサンカの名称が使われ出したのは、もっぱら官憲の用語としてであったことを考え合わせると、これもまた反動的であり、中立性を欠いてるという他ない。
強い監視が必要であると過去に目されていた一定の集団は、単純な貧困層より早い段階(おそらく昭和初期)に社会構造の変化や官憲の圧力により山間部や里部からは姿を消したのであろうという考察もある。
省1
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