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514: 2018/01/28(日)08:29 ID:0(514/694) AAS
ご登場いただくのは、アメリカの哲学者ヒラリー・パトナム(1926-2016)。
民主党大統領指名候補ヒラリー・クリントンと同じ名前だが、パトナムは男性。
哲学の中でも特に英語圏で支配的な「分析哲学」や「科学哲学」で活躍した、
20世紀を代表する哲学者の1人だ。その影響は、英語圏にとどまらず、
分析哲学とは犬猿の仲と噂されるドイツやフランスを中心とした「大陸哲学」
にまで及んでいる。残念なことに、パトナムは今年3月に亡くなったが、
彼の著作は第一級の哲学書として今後も読まれていくだろう。
さて、パトナムは多くの洞察に富んだ「思考実験 (thought experiments)」
を残している。その中でもひときわ有名なものが、主著『理性・真理・歴史―
省9
515: 2018/01/28(日)08:30 ID:0(515/694) AAS
驚くのはまだ早い、なんと「水槽の中の脳」の元ネタは17世紀フランスの哲学者ルネ・デカルトと
18世紀ドイツの哲学者イマニュエル・カントだと言われている。
どうやら哲学者は何百年も本気で「仮想現実」に取り組んできたようだ。
一体この2人の大哲学者はどのような「シミュレーション仮説」を唱えていたのだろうか?
まずは、デカルトの思考から見ていこう。
516: 2018/01/28(日)08:30 ID:0(516/694) AAS
デカルトといえば、「われ思う、故にわれ有り(Je pense, donc je suis)」という言葉が有名だが、実はこの言葉が暗に示しているものこそ「シミュレーション仮説」だといわれている。
デカルトは、このことを説明するために、パトナムに負けず劣らずの奇抜な思考実験を試みている。
みてみよう。
「もし全知全能の悪魔が私を欺いているとしたら、本当は1+1=5であるのに、
『1+1=』と私が思考するたびに、悪魔に欺かれて『2』を導き出してしまっている可能性」
があるとデカルトは考える。つまり、われわれが現実だと思っているものは、
全て悪魔に欺かれた結果に過ぎず、“本当の現実”は全く別物であるかもしれないというのだ。
このデカルトの思考実験も「シミュレーション仮説」にそっくりではないだろうか? つまり、「われわれの通常の現実は嘘で、“本物の現実”はわれわれの知らないところにある」という点が共通している。それでは、次にカントをみてみよう。
517: 2018/01/28(日)08:31 ID:0(517/694) AAS
カント哲学は難解な上、カント自身が認めているように“悪筆”極まりないので、カントの言葉はなるべく使わず、簡単に説明したい。
カントによると、我々が見ている世界は、生のデータの寄せ集めではなく、生まれつき備わった鋳型で加工されたもの(=表象)にすぎないという。
そのため、“本当の世界(物自体)”を我々が知ることはできない。
だが、知ることはできないが“本当の世界”は存在するとカントは言う。
なぜなら、未加工の生データがなければ加工もできないからだ。誤解を恐れずにいえば、
我々が普段見ている現実と“本当の現実”の間にはズレがあるということだろう。
このように、「シミュレーション仮説」と同型の議論がカント哲学でも展開されている。
518: 2018/01/28(日)08:32 ID:0(518/694) AAS
カント哲学をイメージしやすくモデル化したものが、パトナムの「水槽の中の脳」だと考えることもできる。
しかし、その帰結は両者で少々異なる。
カントは“本当の世界”の存在を肯定したが、パトナムは「水槽の中の脳を見ることはできない」と考える。どういうことだろうか?
我々の現実が全てコンピュータによるシミュレーションであるとしたら、
たとえ「私の脳を見つけたぞ!これが私の現実だ!」と言ったところで、
それは「シミュレーション」の中での発言であることをどこまでいっても否定し切れない。
つまり、“仮想現実”と“本物の現実”を分けることはできないというのだ。
もう少し噛み砕いて説明してみよう。
519: 2018/01/28(日)08:33 ID:0(519/694) AAS
クリストファー・ノーラン監督の映画『インセプション』では、「夢の中の夢」や
「夢から覚めても、また夢」というように重層化された夢の世界が描かれている。
この世界観を念頭におくと、パトナムの言っていることが理解し易い。
つまり、「私の脳を見つけた(夢から覚めた)」としても、
結局「シミュレーションの中にいる(また夢を見ている)」だけなのだ。
以上、デカルトから『インセプション』まで横断しつつ「シミュレーション仮説」への
哲学的アプローチを見てきた。ややもすると「シミュレーションの外(水槽の中の脳)」
が実在すると主張しがちな科学者たちへの反論(?)のような結論になってしまったが、
哲学と科学がそれだけ異なるアプローチをとっていることがご理解頂けたかと思う。
どちらの立場もありうると筆者は考えるが、読者はどう思われただろうか?
520: 2018/01/28(日)08:52 ID:0(520/694) AAS
痛みとは、神経物質による神経への作用だ。
521: 2018/01/28(日)08:52 ID:0(521/694) AAS
はたして、人間に「心」はあるか?
522: 2018/01/28(日)08:52 ID:0(522/694) AAS
いや、心はある。
魂がないだけ。
523: 2018/01/28(日)08:53 ID:0(523/694) AAS
哲学板では、この「水槽の脳」みたいな話が出てくると、オカルトだといって非難し始める
人がいるのだが、これはオカルトでも神秘主義でもなんでもない。
むしろ逆だ。
唯物主義の極致みたいな思考実験だ。
524: 2018/01/28(日)08:54 ID:0(524/694) AAS
脳と心の関係を探る。
525: 2018/01/28(日)08:55 ID:0(525/694) AAS
意識を服とするならば、脳はハンガーにすぎない。
・・・という人もいるのだが、それはどうだろう。
526: 2018/01/28(日)08:55 ID:0(526/694) AAS
すべては脳の作用である・・・というのは、唯物思考の極み。
527: 2018/01/28(日)08:59 ID:0(527/694) AAS
論理実証主義
ろんりじっしょうしゅぎ
logical positivism
特に L.ウィトゲンシュタインの影響のもとに,ウィーン学団が展開した哲学の思想とその運動。
認識の根拠は経験による検証であり,命題の意味とはその検証の方法にほかならない。
したがって検証不可能な形而上学の命題は無意味であると主張。
自然に関するすべての認識は,一つの言語で表現され,したがって科学の統一は可能である。
哲学者の任務は言語学的であり,哲学は言語の批判,すなわち言語の分析と分類を行い,理論ではなく活動であるとした。
1938年ナチスの迫害で学団のメンバーは大部分がアメリカなどへ亡命し,運動は国際的となったが,主義そのものは論理経験論へと解消した。
528: 2018/01/28(日)09:01 ID:0(528/694) AAS
ろんり‐じっしょうしゅぎ【論理実証主義】
ウィーン学団に始まった実証主義哲学。マッハの実証主義を受け継ぎ、前期ウィトゲンシュタインの決定的影響のもとに成立した。
知識の基礎を経験に求め、形而上学を否定し、哲学の任務は科学において用いられる言語の論理的分析であるとした。
529: 2018/01/28(日)09:02 ID:0(529/694) AAS
論理実証主義【ろんりじっしょうしゅぎ】
英語logical positivismなどの訳。シュリックを中心に1920年代に結成された〈ウィーン学団〉の実証主義的科学哲学。
マッハの経験批判論とラッセル=ウィトゲンシュタインの論理思想の影響のもと,ライヘンバハらの〈経験哲学協会〉派と協働しつつ,
哲学の仕事は科学の命題の論理的分析にあると考え,従来の形而上学の命題等,直接に検証不可能な命題は無意味だとしてこれを排斥した。
530: 2018/01/28(日)09:04 ID:0(530/694) AAS
形而上学の問題のほとんどを検証不可能で無意味なものとして退け、哲学の課題を科学において用いられる言語の論理分析と意味の明確化に限ろうとする立場。
531: 2018/01/28(日)09:04 ID:0(531/694) AAS
言語を明晰化すること。
それこそが、哲学の役割だ。
532: 2018/01/28(日)09:05 ID:0(532/694) AAS
論理実証主義者は、形而上学を捨てた。
言語の明晰化こそ、哲学の役割と位置付けた。
533: 2018/01/28(日)15:50 ID:0(533/694) AAS
相撲を始める前は柔道とサンボを経験し、サンボではヨーロッパ王者になったこともある[3]。
小学生に入るころに柔道とチダオバ[4]と呼ばれるジョージアの伝統格闘技を始めた。
自身も柔道と相撲の強豪選手であった弟のラシャ・ゴルカゼが「兄は真面目で、いつも練習ばかりしていた。私は真似できなかったなあ」と振り返るのを筆頭に、複数の証言者がレヴァニの練習熱心さを語っている[5]。
2004年の世界ジュニア相撲選手権大会に全く相撲の稽古をしないまま出場したのが初めての相撲経験であり、この時に3位入賞を果たした。
世界ジュニア大会ではほかにも重量級準優勝などの実績を残している。
柔道が好きであったので角界入りについては迷っていたが、同郷の黒海に話を聞いたり家族に相談したりした末に入門。
本人は後年「相撲に入っていなかったら多分、柔道でオリンピックに出ていたでしょうね。
ジョージア代表で出ていた選手には一度も負けたことがなかったからね」と話している[6]。
レスリング出身者が多い欧州勢の中で、相撲エリートとしての実績や恵まれた体躯、
優れた身体能力から、入門時より将来の角界を担う力士として期待された。
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