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575: 2018/01/29(月)00:44 ID:0(575/694) AAS
ジョン・スチュアート・ミルはロンドンにてジェームズ・ミルの長男として生まれた。
ミルは学校へ行かず厳格な父親によって教育され、また父親と親交が深かったベンサムやフランシス・プレイスにも助言をもらったりした。
彼は小さい頃から年中勉強させられ、父親はミルが同年代の他の子供たちとは遊ばないようにさせた。
父親のジェームズ・ミルはベンサムの思想に共感し、また協会主義(associationism)の支持者でもあった。
ジェームズはそれらの考えにもとづき、ミルを優れた知識人として、またベンサムと自分に続く功利主義者として育て上げようとした。
この勉強法により、ミルは、三歳にしてギリシャ語のアルファベットと単語を母語の英語と共に教わり、
八歳になるまでにアイソポス寓話、クセノポンの『アナバシス』、ヘロドトスの著作全てを読み、
またルキアノス、ディオゲネス・ラエルティオス、イソクラテス(Isocrates)、プラトンの六編(ミルの自伝を参照)を理解した。
彼はまた英語で書かれた歴史の本も多く読んでいる。
8歳から13歳にかけてのミルの学習の記録は、彼と同時代に生きたスコットランドの哲学者である
アレクサンダー・ベイン(Alexander Bain)によって出版されている。
ベインによると、ミルの自伝は彼が実際にやってのけた学習量を控えめに述べているという。
8歳の時分にミルはラテン語、ユークリッド幾何学、代数学を学び始め、父親によって家族内で彼の弟たちの教師役に選ばれた。
彼の読書の大部分はいまだ歴史物が大半を占めていたが、ミルはまた当時の学校や大学で広く読まれていた
全てのラテン語とギリシア語の著作を読んでもいた。ミルはラテン語やギリシア語で作詩することは教わらず、
それらの言語での著作の内容を理解するためだけに向けられていて、10歳の頃には彼はプラトンやデモステネスを
難なく読むようになった。彼が12歳の頃、1818年に父親のジェームズによる著作『インドの歴史』が刊行され、
そのほぼ直後からミルはスコラ論理学を全般的に学び始め、またそれと同時に、アリストテレスの論理学に
関する論文を原語で読みはじめた。翌年、彼は政治経済学を始め、アダム・スミスや リカードを父親と共に
学習・研究し、彼らの古典経済学の生産要素の見方を完全に学び取った。
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