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647: 2018/01/31(水)21:54 ID:0(647/694) AAS
本書は、イギリスの経験論者デイビッド・ヒューム(1711年〜1776年)の主著『人性論』だ。
1739年から40年にかけて三篇の論文として出版された。
ヒュームは『人間知性論』を書いたロックと並んで、経験論の代表的な哲学者として知られている。
経験論と聞くと、「観念や本質のような形而上学的なものはさっさと捨てて、経験可能な自然事物のみを探求するべきだ」
とする考え方だと思うかもしれない。 しかし経験論は、方法的態度については観念論にかなり近い。
ロックは意識が経験にもとづいて作り上げる観念を探求することを通じて、認識の構造を示そうとした。
ヒュームは、ロックのこうした態度を受け継ぎ、それを徹底する。つまり、私たちの意識が到達できない領域を前提することなく、
ただ私たちの意識に与えられているものだけを探究することで、認識の構造を取り出そうとする。これは根本的な形而上学批判だ。
外的世界ではなく人間の意識に着目することによって認識の構造を取り出そうとするアプローチは、方法論的に見て適切だ。
なぜなら外的世界が意識の外側に存在することには疑いの余地が絶えず残り続けるからだ。
どれだけ極端だとしても、見えている世界が錯覚にすぎない可能性を消し去ることはできない。
認識の本質論を展開するためには、そうした可能性についても考慮にいれる必要がある。
認識の本質を取り出すにあたって、意識における知覚経験に着目するアプローチを取れば、
誰でも自分の認識構造を洞察することができる。もちろんそれには得手不得手がある。
上手く取り出せるひともいれば、そうでないひともいる。この点は数学や他の自然科学と同じだ。
計算に得手不得手があるように、認識構造を見て取ることにも得手不得手がある。
だが、ここで決定的なポイントは、その洞察が自分以外の誰にとっても確かめられうるかどうかにある。
この可能性を満たしているのであれば、外的世界が実在することを証明しているかどうかにかかわらず、
その認識論は普遍的な水準に達していると言える。それができないような書き方になっているのであれば、それは物語だ。
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