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109: 2017/07/30(日)02:31:40.06 ID:0(109/694) AAS
ごめんなさい、黙ります。
180: 2017/08/05(土)09:13:15.06 ID:0(180/694) AAS
>>179
うわー(о´∀`о)www
SMAPネタで草なぎだけ雑w

AAでは小泉さんが1番笑ったwww
263: 2017/09/07(木)22:04:58.06 ID:0(263/694) AAS
AA省
298: 2017/10/06(金)19:22:24.06 ID:0(298/694) AAS
ペンパックは基本のき
508: 2018/01/28(日)08:21:52.06 ID:0(508/694) AAS
パトナムはこの命題を例証するために動物界に例を求めている。いったい、様々な種類の動物の脳構造が、
痛みやその他の心的状態を同じやり方で了解するなどということがありうるだろうか、というのが彼の問いである。
(同じタイプの心的状態は同じタイプの物理的状態によって実現されなくてはならないとして)
もしそれら様々な種類の動物が同じ脳構造をもっていないならば、それらの動物は同じタイプの心的状態や性質を抱くことができない
(しかし、異なる種の動物は同じ脳構造を持っていないにもかかわらず、
痛みやその他の精神状態を共有しているように思われる)。この難問への答えは、
痛みやその他の心的状態は(同じタイプの心的状態であっても)異なる種においては異なるタイプの物理的状態によって了解されている、
というものでなくてはならない。パトナムはここで議論を一歩先へと進め、
異星人、人工知能ロボット及び珪素生命体についても同様のことを言えるだろうか、と問うている。パトナムの主張によれば、
これらの仮定の存在者が人間と同じ神経化学作用を持っていないというだけでは、
省4
544: 2018/01/28(日)18:07:50.06 ID:0(544/694) AAS
機械状態機能主義[編集]

チューリングマシンは、「状態」ごとに決定される作業選択に応じて
ひとつずつ書き込み又は消去することのできるスロットの並ぶ無限の長さの
テープとして、視覚化することができる。パトナムの機械状態機能主義によれば
心的状態という概念は、純粋なコンピュータにおける状態概念とまったく同じもの
なのである。
こうした機能主義理論の最初の定式化はパトナム自身によって行われた。
この理論は現在では「機械状態機能主義」(英: machine-state functionalism)と
呼ばれているが、パトナムなどによって注目された、
心とはどんなアルゴリズムでも計算することのできる理想的チューリングマシンのようなものだ、
省12
634: 2018/01/31(水)02:05:29.06 ID:0(634/694) AAS
ジョン・スチュアート・ミルはロンドンにてジェームズ・ミルの長男として生まれた。
ミルは学校へ行かず厳格な父親によって教育され、また父親と親交が深かったベンサムやフランシス・プレイスにも助言をもらったりした。
彼は小さい頃から年中勉強させられ、父親はミルが同年代の他の子供たちとは遊ばないようにさせた。
父親のジェームズ・ミルはベンサムの思想に共感し、また協会主義(associationism)の支持者でもあった。
ジェームズはそれらの考えにもとづき、ミルを優れた知識人として、またベンサムと自分に続く功利主義者として育て上げようとした。
この勉強法により、ミルは、三歳にしてギリシャ語のアルファベットと単語を母語の英語と共に教わり、
八歳になるまでにアイソポス寓話、クセノポンの『アナバシス』、ヘロドトスの著作全てを読み、
またルキアノス、ディオゲネス・ラエルティオス、イソクラテス(Isocrates)、プラトンの六編(ミルの自伝を参照)を理解した。
彼はまた英語で書かれた歴史の本も多く読んでいる。
8歳から13歳にかけてのミルの学習の記録は、彼と同時代に生きたスコットランドの哲学者である
省10
657: 2018/01/31(水)22:00:10.06 ID:0(657/694) AAS
本書は、イギリスの経験論者デイビッド・ヒューム(1711年〜1776年)の主著『人性論』だ。
1739年から40年にかけて三篇の論文として出版された。
ヒュームは『人間知性論』を書いたロックと並んで、経験論の代表的な哲学者として知られている。
経験論と聞くと、「観念や本質のような形而上学的なものはさっさと捨てて、経験可能な自然事物のみを探求するべきだ」
とする考え方だと思うかもしれない。 しかし経験論は、方法的態度については観念論にかなり近い。
ロックは意識が経験にもとづいて作り上げる観念を探求することを通じて、認識の構造を示そうとした。
ヒュームは、ロックのこうした態度を受け継ぎ、それを徹底する。つまり、私たちの意識が到達できない領域を前提することなく、
ただ私たちの意識に与えられているものだけを探究することで、認識の構造を取り出そうとする。これは根本的な形而上学批判だ。
外的世界ではなく人間の意識に着目することによって認識の構造を取り出そうとするアプローチは、方法論的に見て適切だ。
なぜなら外的世界が意識の外側に存在することには疑いの余地が絶えず残り続けるからだ。
省9
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