反出生主義について ★5 (304レス)
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27
(2): 11/22(金)01:10 ID:0(27/304) AAS
ここまで、ベネターの非対称性の理論に乗っかった上での批判を展開してみたが、
そもそも、主観という常に揺蕩い変動する複雑な性質のものを、至極単純化したマトリクス上で表すこと自体がナンセンスであることはいうまでもない

ここで論点になってくるのが、快苦の総量という功利主義的概念だが、前提として、快楽/苦痛は主観なので、客観的に定量化が不可能という問題がある
であれば、主体自身が人生の中で感受した快楽と苦痛を体感的に分析するしか方法がないわけだが、人間とは複雑なもので、苦労や苦痛が多い人生であっても晩年に「色んなことがあったけど、総体として中々良い人生だった」と評価することがある
そうすると、必ずしも苦痛が多い人生が当人にとって悪い人生とは言えなくなる
つまり、主体が自分自身の人生総体を「良きもの」と捉えれば、仮に苦痛が多い人生であってもそれを生み出したことは善であるということになる
34: 11/22(金)19:31 ID:0(34/304) AAS
>>27
そうですよね。
人間は矛盾、葛藤、相克を内包しているから単純化すればするほど嘘になる。
それをまだ単純化が足りないと言うお馬鹿さんがあなたが現れる少し前にいたんですよ。
よく言ってくれました。さすがわかってますね。

初めて個人的な思いを述べますが私は生まれてきてよかったと思います。
理由は簡単で様々な力を授かることができたからです。
認識力、思考力、理解力、表現力、記憶力、想像力その他諸々の力です。
快楽というよりは喜びと言いたいですね。
もちろん苦痛もかなりありましたがそれを差っ引いても力を持つことは魅力的です。
省4
37: 11/22(金)21:22 ID:0(37/304) AAS
>>27
反出生主義についてはKane Bの動画で見ただけなのであまり詳しくないけど、
ベネターは功利主義者ではなく義務論の人でしょう。
他人に危害を加えるのはいかなる場合においても悪であり、
危害を加えないよう努力する義務がある、という観点から論じてるのであって、
それを功利主義的な観点から批判してもあまり意味がない気がする。
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